第139話 人は変わる
香川さんに促され、俺たちはギルドマスター室へ向かった。
廊下を歩く途中、熊谷が横に並んで小声で訊いてくる。
「なぁ。さっきの阿久津とかいうヤツ、風間とどういう関係なんだ?」
――やっぱり気になるか。最初に声をかけてきたのは熊谷だったしな。
「学生時代からの付き合いだ。社会人になってからも同期で……昔は親友だと思ってたんだけどな」
口にしてみると、胸の奥に鈍い痛みが広がる。
親友に裏切られ、恋人まで奪われ、挙げ句に身に覚えのない罪で会社も追われた。あの頃の絶望が、まだ少しだけ刺さっている。
「少なくとも学生時代は、あんな奴じゃなかったはずなんだけどな……」
阿久津は運動万能で頭も切れた。今にして思えば、どうして俺なんかとつるんでいたのか不思議なくらい優秀だった――少なくとも、昔は。
「……さっきの態度じゃ親友には見えなかったけどな」
「まあ、そうだろうな。俺だって信じられなかったくらいだ」
「裏切り、か。胸クソ悪いぜ。ダチを売るヤツが一番嫌いなんだ」
熊谷が吐き捨てる。彼も似た経験があるのかもしれない。
「人は変わる。良くも悪くも、だ」
後ろから中山が俺の肩をぽんと叩く。
確かにそうだ。俺自身、冒険者になるなんて思っていなかったのに、今はこうして仲間と笑っている。
「この俺だって、昔はヒョロガリってバカにされてたんだからな」
「え?」
「マジかよ……」
「ワン!?」
「ピキィ!?」
「マァ!?」
「モグゥ!」
「ゴブッ!」
モンスターたちまで目をまん丸にして驚く。今の大胸筋からは想像もつかない話だ。
そのとき、愛川が袖を引きながらモジモジと口を開く。
「か、変わったといえば……その、風間さん……えっと……」
視線が俺と秋月のあいだを行ったり来たり。熊谷がにやにやしながら茶々を入れた。
「何だモジモジして。トイレか? だったらさっさと行けよ」
「ちっがうわよ! デリカシー皆無ね!」
愛川が真っ赤になって熊谷を小突く。
「そ、そうじゃなくて……い、いつから“ハル”って呼ばれてるのかなって……」
言われて俺もハッとする。さっき秋月が何気なく呼んでいたのを思い出した。
「いや、俺の名前が晴彦だから、短くしただけで……」
「そ、それなら私もこれから“ハルさん”って呼ぶね!」
秋月が一瞬だけ視線を投げ、穏やかな笑顔を浮かべる。けど――なぜか背筋に冷たいものが走った。笑っているのに、ちょっとだけ怖い。
「い、いいよね?」と愛川。
「……あ、いや、それは――」
返事に詰まったところへ熊谷が豪快に背中を叩いた。
「いいじゃねぇかハル!」
「うむ、ハルは呼びやすい」
中山まで便乗。モンスターたちも何だか楽しそうに鳴いていて、完全に流れが決まってしまう。
「も、もちろん好きに呼んでくれ……」
「う、うん! ハルさん!」
秋月は小さくため息をつき、それから苦笑い。
どうやら許可は下りたらしいが、なぜ呼び名にここまで空気が張り詰めるのか、俺にはまだよく分からない。
――と、その空気を切り裂くように、香川の淡々とした声が響いた。
「お喋りはそのくらいに。着きましたよ」
見ると、もうギルドマスター室の前だ。
香川は扉に手をかける直前、わざとらしく苗字を強調した。
「どうぞ、風間さん」
……やっぱり意図的だ。肩をすくめつつも、俺たちは小澤マスターの部屋へと足を踏み入れた。