機神令嬢ダイリーゼ
「クリストフ博士、お茶をお持ちいたしました」
「おお! これはこれはリーゼ様! いやあ、いつもすいません」
わたくしがクリストフ博士の研究室に伺うと、今日も博士は堆く積まれた書類の山と奮闘していた。
「毎日本当にお疲れ様でございます」
「ありがとうございます。でも、これがボクの仕事ですし、好きでやっていることですから、辛いと思ったことは一度もありませんよ」
博士は分厚い瓶底メガネをクイと上げながら、朗らかに微笑む。
ふふ。
「あなた様こそ、我が国の宝ですわ。博士が昨年開発されたニャッポリート合金製の鎧のお陰で、兵士の死亡率も激減いたしましたし」
「アハハ、少しでもお役に立てているのでしたら、こんなに嬉しいことはありません。ですが、リーゼ様こそ、未来の王太子妃という立場であらせられながら、こうして自ら各省を回られて、直接お茶を届けられているのですから、畏敬の念を抱かずにはいられませんよ」
クリストフ博士は胸に手を当てながら、感じ入るように頭を下げる。
「ふふ、それこそこれがわたくしの仕事ですし、好きでやっていることですから、どうかお気になさらず」
国のために働いてくださっている方々に、少しでも気持ちよく仕事をしていただける環境を整えることこそが、未来の王太子妃であるわたくしの役目の一つですから。
「さあ、今日はチーズケーキを作ってみたのです。どうぞ温かい紅茶と一緒にお召し上がりくださいませ」
「おお! チーズケーキは大好物なんです、ボク! うわあ、これは美味しそうだ!」
チーズケーキを前にして、子どもみたいにはしゃぐ博士。
ふふ、本当に、可愛いお方。
「ところで博士、博士は午後からのガーデンパーティーにはご出席なさいますか?」
「あ、あ~、それなんですが、今やってる仕事が大詰めでして、ちょっと出席は難しそうです……。申し訳ございません」
「あ、いえいえ、そういうことでしたら、しょうがありませんわ。ですが、どうかくれぐれもご無理はなさらないでくださいましね? 先ほども申し上げました通り、あなた様は我が国の宝なのですから」
「は、はい……! 恐縮です……!」
クリストフ博士はまるで女神に祈るかの如く、わたくしに向かって手を組む。
ふふ、大袈裟な方ね。
「それではそろそろわたくしは失礼いたします。食器は後ほど回収に伺いますので、チーズケーキの感想を聞かせてくださいましね」
「はい! 必ず!」
今にも泣きそうなくらい感極まってらっしゃる博士を尻目に、わたくしは研究室を後にした。
さて、そろそろわたくしもガーデンパーティーの準備にかからないと。
「リーゼ、今この時をもって、君との婚約を破棄する」
「「「――!!」」」
宴もたけなわとなったガーデンパーティーの最中。
わたくしの婚約者であり、我が国の王太子殿下でもあらせられるフーベルト殿下が、唐突にそう宣言した。
そ、そんな……!
「ご、ご冗談はおやめください殿下。殿下らしくございませんわよ」
「うん、もちろん冗談などではないよ。君には本当に申し訳ないとは思っている。だが僕は、真実の愛に目覚めてしまったんだ」
「――!」
真実の、愛……?
「今後僕はこのアルビーナを新たな婚約者として迎え、共に真実の愛を築いていくことを、ここに誓う」
「ウフフ、大変光栄に存じますわ、殿下」
殿下の隣に、男爵令嬢であるアルビーナ嬢が不敵な笑みを浮かべながら立つ。
「正気ですか殿下!? わたくしと殿下の婚約は、王家が定めた絶対的なもの! それを自己中心的な感情で一方的に破棄するなど、許されることではございません! しかも王太子が男爵令嬢を婚約者とするなど、前代未聞ですわ!」
確かにわたくしと殿下はあくまで政略結婚の間柄ですから、お互いに恋愛感情と呼べるものはなかったかもしれません。
ですが、だからといって自らの役目を放棄し、私情に走るなど愚の骨頂……!
「その点は心配ないよ、リーゼ」
「これは私たちも認めていることですから」
「……なっ」
国王陛下と王妃殿下も、無機質な笑顔でそう仰った。
な、何かおかしい……。
姿形はご本人そのものなのに、まるで中身がまったく別の誰かに入れ替わっているかのような……。
「そこまでです」
「――!」
その時だった。
一人の男性が、わたくしたちの間に割って入ってきた。
――それは他でもない、クリストフ博士その人だった。
「な、何故クリストフ博士が、ここに……?」
ガーデンパーティーには出席できないと仰っていたのに。
「いやあ、あなた様のチーズケーキがあまりに美味しかったもので、早くお礼を言いたくて」
「……博士」
博士は照れくさそうに、頭をポリポリと掻いた。
「――それに、大事な仕事もしなくちゃなりませんしね」
「え?」
仕事?
「さあ、正体を見せなさい」
博士は懐から水鉄砲のようなものを取り出すと、水を噴射し、それをアルビーナ嬢の顔面に浴びせた。
博士!?!?
「ぎゃああああああああああ!!!!」
「「「――!!」」」
すると、アルビーナ嬢が途端にもがき苦しみ出した。
「クリストフ博士、あなたは何を!?」
「落ち着いてください。ボクは聖水を掛けただけですよ」
「聖水を……!?」
「クッ、よくもやってくれたわねぇ!」
「……!!」
アルビーナ嬢の頭から、禍々しい二本の角が生えてきた。
そして瞳の色が、血のような深紅に染まった――。
あれは――!!
「……魔族」
「その通り。あの女は我々人類の仇敵――魔族です」
「で、ですが、魔族は三百年前に、勇者ユリウスの手で封印されたはずでは?」
「ハッハッハァ! だからその封印がやっと解かれたのよ! これでまた思う存分暴れ回れる。魔族の時代がやってくるのよ!」
アルビーナは高笑いを上げながら、身を乗り出す。
「で、では、フーベルト殿下も国王陛下も王妃殿下も、魔族に洗脳されているということですか?」
だから三人とも、様子がおかしかったのですね。
「はい。……ただ、洗脳というよりは」
「ハッハッハァ! バカねぇ、洗脳なんて甘っちょろいものじゃないわ。――見せておあげなさい、三人とも」
「「「はい、アルビーナ様」」」
「「「――!!!」」」
三人が上着をたくし上げると、三人とも腹部に拳大の大きな穴が開いていた。
そ、そんな――!?
「この三人はゾンビになっているのよ。私は殺した人間をゾンビとして自在に操る能力を持っているの。――我こそは魔王軍十大厄蔓の一人、【酷屍夢想】のアルビーナ。まあ、名乗ったところでこの場にいる人間はすぐゾンビになっちゃうんだから、意味はないけど」
アルビーナが指をパチンと鳴らすと、地面から夥しい数のゾンビが湧いてきた。
くっ……!
「う、うわああああ!!」
「きゃああああああ!!」
「た、助けてくれええええ!!」
途端に場は騒然となった。
嗚呼、どうしたら……。
「みなさん、落ち着いてください! 大丈夫です!」
が、クリストフ博士は毅然とした態度で、人々に呼び掛ける。
博士……!?
「こんな時のために、ずっとボクは準備してきたのですから」
「「「――!!」」」
今度は博士がパチンと指を鳴らすと、庭園の中央にあるプールの水が一瞬で引いた。
そしてプールの底が開き、そこから金髪縦ロールでドレスに身を包んだ、人間の女性のような容姿をした鉄の巨人がせり上がってきたのである――。
えーーー!?!?!?
「これこそがボクが長年開発してきて、つい先ほどやっと完成した巨大人型ロボット――機神令嬢ダイリーゼです!」
「機神令嬢ダイリーゼ????」
そ、それってまさか……。
「勝手ながら、あなた様のお名前を拝借したこと、どうかお許しくださいませ、リーゼ様」
クリストフ博士がお茶目な笑顔でわたくしに頭を下げる。
や、やっぱりこれ、わたくしがモデルだったのですね……。
「そ、それはまあ、いいのですが、何故博士は、魔族が復活することをご存知だったのですか?」
「それはボクがこう見えて、勇者ユリウスの末裔だからですよ。ユリウスはいつか復活するであろう魔族の侵攻に備えることを、自らの子孫に代々受け継がせていたのです」
「――!」
そんな!
博士が、ユリウスの……!?
「ハッハッハァ! なるほどねぇ、どうりでそのヘラヘラした顔が、あの憎きユリウスにそっくりなはずだわ。ここで会ったが三百年目、貴様の先祖に受けた恨み、ここで晴らしてやるわぁ!」
アルビーナが指をパチンと鳴らすと、無数のゾンビたちがわらわらとアルビーナに群がってきた。
そしてそれらはダイリーゼと同じくらいの大きさの、巨人の姿に変貌したのである。
「ハッハッハァ! これでそのチンケなオモチャを、ぐちゃぐちゃにしてやるわぁ!」
アルビーナの上半身が、巨人の胸の辺りから生えてきた。
こ、こんな化け物、本当に勝てるの……?
「リーゼ様、あなた様にお願いがあるのです」
「え? わたくしに?」
クリストフ博士?
「どうかボクと一緒に、ダイリーゼに乗ってはいただけないでしょうか?」
「…………は?」
わたくしが???
ダイリーゼに???
「む、無理ですよ! わたくしはあなた様と違ってロボットの操縦なんてしたことありませんもの!」
「ですが、ダイリーゼは二人乗りなのです」
「で、でも、だったら他にももっと相応しい人が……」
「いいえ、あなた様でなければならないのです。――どうか我が国を助けるためだと思って、力を貸してはいただけませんか?」
「――!」
祈るような顔で懇願されては、わたくしはもう何も言えなかった。
――そう、我が国のために尽力することこそが、わたくしの役目。
わたくしにしかできないというのなら、やらない理由はございませんわ。
「わかりました。精一杯、お手伝いさせていただきますわ」
「――! ありがとうございます。やはりあなた様は、ボクの女神です」
「め、女神……!?」
もう!
こんな時までお世辞はよしてくださいませ!
「では、参りましょう!」
「は、はい!」
クリストフ博士に差し出された手を、そっと握るわたくし。
「ダイリーゼ、フェードイン!」
「――!」
ダイリーゼの腹部から光が伸び、その光が博士とわたくしを吸い込んでいく。
こ、これは――!?
気が付くとわたくしと博士は、無数の機械に囲まれた狭い部屋で、左右に並んで座っていた。
前方には、外の風景と思われるものが映っている。
「リーゼ様、目の前にある左右のレバーを握ってください。そのレバーが我々の意思を読み取り、ダイリーゼを操縦する仕組みになっています」
「は、はい!」
恐る恐るレバーを握る。
するとまるでダイリーゼがわたくしの身体の一部になったかのような感覚がした。
これなら、わたくしでも動かせるかも!
「さあ、いきますよ、リーゼ様!」
「はい、クリストフ博士!」
ダイリーゼは腰に差していたレイピアを握り、それを前方に構える。
フェンシングなら貴族学園の大会で優勝したこともありますし、多少の心得はございますわよ!
「ハッハッハァ! まずは小手調べといこうかぁ!」
アルビーナが右腕をゴムのように伸ばしてきた。
そんなこともできるのね!?
「リーゼ様!」
「はい!」
ダイリーゼはレイピアで、アルビーナの右腕を粉々に斬り刻んだ。
凄い!
勝てる!
ダイリーゼなら、この化け物にも勝てるわ!
「ハッハッハァ! 流石ユリウスの末裔。だが、これならどうかしら?」
「「――!」」
アルビーナの右腕は瞬く間に再生し、左右の手のひらをわたくしたちに向けて突き出してきた。
「喰らえぇ! 【堕落への黒い誘惑】!」
「なっ!?」
手のひらから極太の、漆黒の波動が放たれた。
クッ……!!
「リーゼ様、避けましょう!」
「はい!」
わたくしの本能が、あれを喰らったらマズいと警鐘を鳴らしている。
ダイリーゼはすれすれのところで、【堕落への黒い誘惑】を躱した。
よし!
「ハッハッハァ! 甘いよぉ!」
「「――!!」」
が、その瞬間に【堕落への黒い誘惑】は軌道を変え、ダイリーゼの背中に直撃してしまったのである。
「キャアアアアアアア!!」
激しく揺れるダイリーゼの機体。
機器からもけたたましくアラーム音が鳴り響いている。
これは、相当なピンチ……!
「ハッハッハァ! 所詮こんなものね。平和ボケした勇者の末裔など、私の敵じゃないのよぉ!」
「クッ……!」
ここまでなの……?
わたくしの力が及ばないばかりに、この世界は魔族に蹂躙されてしまうというの……?
「リーゼ様、大丈夫です」
「――! クリストフ博士」
右隣に座るクリストフ博士が、わたくしの右手にそっと自身の左手を重ねる。
「何故ボクがダイリーゼのもう一人のパイロットにあなた様を選んだのか。――それはダイリーゼが、愛の力によって出力を増すように設計してあるからなのです」
「――!?」
愛???
何故ここにきて、愛???
「リーゼ様、実はボクはずっと前から、あなた様のことをお慕いいたしておりました」
「――!!」
クリストフ博士は分厚い瓶底メガネを外しながら、唐突にそう告白した。
初めて目にしたクリストフ博士の素顔は、思わず見蕩れそうになるほど、お美しいものだった。
は、博士が、わたくしのことを……!!?
「で、でも、わたくしは……!」
急にそんなことを言われても、どうしたらいいか……!
何せ生まれてこの方、一度も自由に恋愛などしたことないものですから……。
「フッ、今すぐボクの想いに応えてくれとは申しません。――ですがどうか今だけは、ボクから愛されているという実感を持ってはいただけませんか? それだけで、ダイリーゼは無限のパワーを発揮できるのです」
「は……はい」
クリストフ博士の宝石のような瞳を、じっと見つめるわたくし。
嗚呼、まるで心臓が自分のものではないみたいに、ドキドキしているわ……!
「……好きです、リーゼ様」
「――!」
クリストフ博士……!
「……愛しています、リーゼ様」
「……」
嗚呼、クリストフ博士……!!
「ええい、何を殺し合いの最中にイチャついてんのよ!? バカなんじゃないのアンタら!?」
――!
そ、そう言われてしまうと、何も言えないわね……。
「フッ、バカで結構! それくらいでないと、世界は救えないからね! さあ、今のでラブパワーもマックスまで溜まった! ――お見せしよう、ダイリーゼの真の姿を!」
クリストフ博士が前方の大きなレバーを引くと、ダイリーゼの全身が輝き出した。
これは――!?
ダイリーゼから直接頭に伝わってくる、ダイリーゼの背中から、光の翼のようなものが生えてくる感覚が。
そして握っているレイピアの刃にもその光が纏われ、まるで騎士の持つランスのような形態になったのである。
こ、これが、ダイリーゼの真の姿……!
「さあ、決着をつけようじゃないか、アルビーナ!」
「クッ、そんな見掛け倒しにこの私がビビると思ったら、大間違いだよおおお!!!」
アルビーナは再度【堕落への黒い誘惑】を放ってきた。
くっ、次にあれをまた喰らえば、今度こそ一溜まりもないわ……!
「リーゼ様、大丈夫です。ボクを信じてください」
「……クリストフ博士」
こんな時でもクリストフ博士は、微塵も怯えた様子もなく、慈愛に満ちたお顔でわたくしを見つめる。
そうですね、ここまできたら、もうあなた様のことを信じて、突き進むのみですね。
「わかりました、共に参りましょう、クリストフ博士」
「はい! リーゼ様!」
ダイリーゼはランスを前方に構え、光の翼を羽ばたかせて【堕落への黒い誘惑】に真正面から突貫する。
「なにィイイイイイイ!?!? 正気か貴様らああああ!?!?」
もちろん正気よ。
クリストフ博士が開発したこのダイリーゼなら、どんな相手だろうと負けないって信じているもの――。
「「ハアアアアアアアアアアアアアア!!!」」
「なああああ!?!?」
光のランスは【堕落への黒い誘惑】を斬り裂いていく。
そして――。
「――ガハッ」
そのままアルビーナの胴体を貫通したのである。
「バ、バカな……。この私が……、この私がああああああああ!!!!」
チュドーンという轟音と共に、アルビーナの巨体は爆発四散した。
……終わった、わね。
フーベルト殿下、国王陛下、王妃殿下、仇は討ちましたよ――。
「お疲れ様でございました、リーゼ様。あなた様のお陰で、ボクは勇者としての仕事を果たすことができました」
「ク、クリストフ博士……!」
クリストフ博士がほんのりと頬を染めながら、わたくしの右手をキュッと握る。
は、はわわわわ……!
胸の高鳴りが止まらないわ……!
どうしちゃったというのかしら、わたくし……!
「で、ですが、アルビーナの口振りでは、他にも強力な魔族がたくさんいるようですが」
「はい。ですからボクの勇者としての仕事は、まだ始まったばかりです。――どうか世界が再び平和を取り戻すその日まで、お力を貸してはいただけますか?」
「――!」
真剣な瞳で、真っ直ぐにわたくしを見つめるクリストフ博士。
「もちろんですわ。この命に替えても、どこまでもご一緒いたしますわ」
「フッ、これではまるで、プロポーズみたいですね」
「なっ!?」
いたずらっ子みたいに、コロコロと笑うクリストフ博士。
「もう、からかわないでくださいませ!」
「アハハ、すいません」
――こうしてこの日から、わたくしの勇者のパートナーとしての、戦いの日々が始まったのである。