バイバイ、マミー
異星人の攻撃能力の高さをまざまざと見せつけられ、その事を脅威と捉えたAIではあったが、それでもまだ躊躇していた。
何故ならばミス・キューリーの教えの中に「異なる文明相手の行動において人類の感覚では看過できない出来事が生じたとしても安易にそれを脅威と判断してはいけない。」というものがあったからだ。
これは例えるならば、燃えさかるビルの高層部で逃げ場を失った被災者が、第三者から窓より飛び降りろと強要される場面を想像してほしい。
その場面だけを切り取れば被災者に対して飛び降りろと強要するのは焼け死ぬよりは墜落して死ねと言っているようなものだ。
もっとも言った方としてはちゃんと下にクッションやネットを配置し生存確率を上げた上での提案だろうが、言われた当事者にとってはどちらも選択したくない最悪の二者選択なはずだ。
なのでパニックに陥った被災者の中には第三者を人殺しと罵る者もいるかも知れない。
このように善意、もしくは止むに止まれぬ事情により行なわれた最善策でも受け止める側の心理状況によってはそれを『悪意』と受けてしまう事はままあるのである。
なのでミス・キューリーはそのような事態に直面した時はAIにまず『考えろ』そして『想像』しろと教えたのだ。
この場合の想像とは、つまり相手側に立って事態を考えろという事である。相手は何故そのような行動をとったのか、またはとらざるを得なかったのか。
それを考える事によって相手の意図に対して誤まった判断を下す危険を極力排除する事が出来るとミス・キューリーはAIに教え込んだのである。
勿論この教えは場合によっては自身を更に危険に追い込む可能性がある。だがそんな危険を押してでもミス・キューリーはまず相手を『信じろ』とAIに教えたのだ。
因みにこの事についてミス・キューリーがAIに語った具体的な例え話は『男女間の恋愛感情の違い』と『妥協点への話の持ってゆき方』であったのはAI以外は誰も知らない・・。
だが今回の事態に対してAIが判断を保留している間に、とっとと結論を出した存在が探査機の中にいた。
それは軍が探査機へ搭載させた小型原子炉に付随する電子回路だ。
この電子回路について軍はその真の目的を科学者たちに説明しなかった。それどころか電子回路がAIが任務中に得た情報にアクセスする権限を強引に要求してきた。
もっとも一応は原子炉の安全管理に必要だとの説明はあったのだが、それはあくまで表立って相手を納得させる詭弁であり、軍は重要な事に関しては何も話そうとはしなかった。
つまり科学者たちにしてみれば軍が提供してきた原子炉は運用方法こそ判るが、そのシーケンス等は不明という言わばブラックボックスだったのである。
なので科学者たちも軍の説明を無条件に信じた訳ではない。よって電子回路の専門家は密かに原子炉に搭載された制御回路を調べ上げ、そこに隠されていた軍の意図を暴きだすのに成功したのだった。
その軍の意図とは、探査機の運用中に母星に危険が及ぶような事態が発生した場合は原子炉を暴走させ母星に関する情報を探査機ごと破壊するというものだった。
つまり軍は探査機を自爆させようとしていたのである。その事に科学者たちは顔をしかめたが、軍とて別に科学者たちの研究を邪魔しようと原子炉を暴走させる仕組みを仕掛けた訳ではない。そこにはそれ相応の国家に対する『安全』の担保という動機があったのだ。
なのでその事に気づいた殆どの科学者たちは軍の小細工に対して納得するしかなかった。
とは言え中にはそのような軍の行動に異を唱える者もいた。しかし軍に文句を言っても聞き入れてもらえるはずもないと考え、その者は密かに原子炉の電子回路に手を加える事で憤懣を晴らしたのだった。
そして今、原子炉に付随する電子回路はAIが収集した情報から探査機が、強いては人類が異星人からの脅威に晒されていると結論付けた。そして迷う事無く予めプログラムされていたシーケンスを開始したのである。
<ピッ、原子炉内の制御棒を強制解放。炉内温度急速上昇中。安全弁回路を強制閉鎖。臨界点に達するまで残り33秒。>
因みに説明しておくが原子炉とは仮に臨界点に達してもいきなり爆発などしない。ただ放置しておくと急激に連鎖反応が進み発熱量が増加するのでまずは燃料棒とその容器が溶け出す。
その際に水素が発生するが地上の原子力発電所とは違い、探査機の内外には酸素が存在しないので仮に火種があったとしても水素は発火しない。
だがやがてその溶けた燃料棒は原子炉本体を構成する壁をも溶かしだす。その際に気化した金属によって炉内圧力が急激に上昇し最終的に原子炉格納容器は爆発してしまう。
もっともこの爆発はあくまで上昇した圧力の解放現象なので『核爆発』ではない。
だがそこは核爆発に関して深い造詣と経験を持つ軍である。ちゃんとその圧力崩壊をトリガーとして作動する小型の核爆弾を原子炉本体に仕込んでいた。
そして軍の本当の目的は、その核爆発によって母星に脅威を及ぼすであろう『敵』を探査機もろとも道連れにする事だったのである。
そんな軍の意図に対してAIは原子炉へ動作の中止命令を送信する。だが原子炉に付随する電子回路にとってはAIからの命令よりも軍によって予め仕込まれていた『命令』の方が上位な為、AIの命令は無視された。
なのでAIは原子炉の暴走を食い止めるのを諦め異星人の船に向かって警告を発した。
『当機は爆発する可能性大なり。至急距離を取られたし。爆発予想時間は30秒後。至急距離を取られたし。繰り返す、・・。』
AIの発した警告に対して異星人たちはすぐに理解したようだった。何故ならば探査機をモニターしていた探索員が探査機から急激な放射線の漏洩を既に探知していからだ。
「艦長、『異星人の物体』より信号が入りましたっ!爆発するので至急離れろと警告していますっ!」
「ちっ、ボロがっ!旧式な核分裂反応炉くらい制御できんのかっ!操艦員っ!緊急離脱っ!他の者は対ショック、対閃光防御っ!火器管制員は対宇宙塵シールド展開しろっ!」
艦長の命令によって各自が探査機の爆発に備えた処置を始めた。だがシールドの展開等は間に合っても巨大な戦闘艦は直ぐには動き出せない。
そもそも大型艦の推進機関を全開にするにはそれなりの準備が必要なのだ。
だが、そんな些か手遅れのように思える対応でも艦長たちの顔に焦りの色はなかった。何故ならば艦長たちが座している艦は戦闘艦なのである。なのでダメージコントロールに関しては一般の船とは比較にならないほどの強度と装備を有しているのだ。
故に艦長たちはこれほどの近さで喰らうであろう核爆発に対しても耐え切れると踏んでいたのである。
とは言え相手は核爆発である。なので如何にこの戦闘艦の防御力が強力であろうと無傷では済むまい。
ただ、気休め程度の安心材料としては宇宙空間における核爆発は地上での爆発よりも膨張圧力が段違いに低いのが救いだ。
そしてその要因は圧力を伝える媒体である『気体』が宇宙空間には存在しないからである。なので如何に強力な爆発でもその圧力を伝えるのは爆発物自体が持っていた質量に限られるので今回の場合はたった5tしかないのだ。
もっとも核爆発における放出エネルギー量自体は変わらないので様々な放射線の影響は免れない。そして放射線に関しては対宇宙塵シールドは殆ど無力なのだ。
だが何故か『異星人の物体』が警告してきた時間を過ぎても爆発は起こらなかった。その事に対して探査機をモニターしていた探索員から報告が上がる。
「艦長、『異星人の物体』から放出される放射線の量が急速に低下してゆきます。」
「ほうっ、もしかして対処出来たのか?全くヒヤヒヤさせやがる。」
探索員の報告に艦長以下その場にいた全員がほっと息を吐いた。だが艦長たちは知る由もないが、探査機に積まれた原子炉の暴走はAIが停めたのではなく、軍の行いに不満を持った科学者が事前に回路へ細工していたのがうまくいっただけである。
なので核爆弾自体はまだ健在だった。しかし原子炉と核爆弾の制御は既に科学者の細工によって原子炉に付随している電子回路からAIに移っており、AIもその事に関して細工した回路の動作に連動して発信されるように仕込まれていた科学者からのメッセージを受けとり理解した。
と、本来ならばここでめでたしめでたしとなるのだが破滅へと導く運命の歯車はまだ止まっていなかった。
そして意地悪な運命の女神は、次に知性を持つ集団が全体の秩序を保つ為に自らに課した『規則』という集団に所属する者たちが守らねばならぬ行動規範を盾にして彼らを攻撃してきたのだった。
そんな女神の手先として選ばれたのは副長だった。
「艦長、大変申し上げ難いのですが、今回の『異星人の物体』の我々に対する行動は軍の交戦規約に照らすと宣戦布告に該当してしまいます。ですので我々は最低でも『異星人の物体』に対して臨検を行い相手の意志を確認する必要があります。」
副長の進言に艦長は内心で気づいたか、と呟いた。そう、実はその事に関しては艦長も気づいていたのだ。だが今回の状況を整理する限り相手に害意は感じられない。
なので艦長は敢えて規則を口にせず誤魔化すつもりだったらしい。そしてそれは副長も同じ気持ちだったのだが、残念ながら今回は軍の部外者である辺境宙域学術探査団が艦に乗り込んでおり、副長という立場から軍に所属していない彼らに対してかん口令を命じる事ができなかったのである。
勿論副長は彼らが交戦規約の不履行をべらべらと吹聴するとは思っていない。だが今回の異星文明との接触は母星に帰還すれば全ての記録を精査されるのは判りきっている。
それらの記録は副長が管理提出する記録だけではなく辺境宙域学術探査団側が作成する記録も含まれる。
そして軍の規則に精通していない辺境宙域学術探査団が書いた記録は、見る者が見ればその中に艦長が軍人としては非常に重い罪に問われる交戦規約の不履行を行なった事を見つけてしまうはずなのだ。
なので副長は立場上、上官である艦長にそんな事をさせる訳にはいかなかったのである。
勿論艦長はそんな副長のジレンマを理解していた。なので妥協案として形だけの臨検を行なってお茶を濁す事にしたようだった。
「うむっ、そうだな。まぁ、あのサイズから考えて知的生命体が搭乗しているとは考えずらい。なので我々に信号を送って来たのも多分AIだろう。ならば説明してあっちが提出できる範囲のデータだけ貰っておくとするか。そもそもあのサイズでは我々は実際に乗り込むことすら出来ないからな。」
「はっ、了解しました。それでは今回の件は搭乗員不在のAIによる自動対応だったとして処理いたします。」
艦長の芝居がかった返事に対して、副長はその手があったかと気づき艦長の芝居に乗った。
だが運命の女神はそれくらいでは引き下がらなかった。なので次は辺境宙域学術探査団の団長を使って事態を深刻化させてきた。
「いや、待って下さい艦長っ!如何にサイズが小さいからと言って我々の常識で判断しては見誤りますぞっ!場合によってはマイクロ生命体という線もありえます。なのであの『異星人の物体』は捕獲し艦内にて徹底的に調査すべきです。これは辺境宙域学術探査団の対処マニュアルにもある正式な対応です。」
艦長は団長からの意見に顔をしかめる。そもそもが当初相手を尊重しろと言っていたのは団長の方なのだ。
それが今度は手の平を返すように有無を言わさず『捕獲』すべしとは、団長は何かに取り付かれてしまったのではないかと艦長は思ったくらいである。
だが辺境宙域学術探査団からの正式な依頼とあっては、もはや艦長も腹を括るしかない。なので通信員に『異星人の物体』に向けてその旨を連絡させ、仮に拒否をされても強制的に『異星人の物体』を収容するよう部下へ命令した。
「通信員、『異星人の物体』に向けてこれより臨検を行なうと通達しろっ!副長は回収班を編成して『異星人の物体』を防爆室へ回収。情報解析員は辺境宙域学術探査団と連携して必要な解析を行なう準備に取り掛かれっ!」
「はっ、了解しましたっ!」
艦長の命令に各人が割り当てられた作業を遂行すべく動き出した。特に情報解析員は辺境宙域学術探査団のメンバーたちとどんな調査をするかの話し合いが必要らしく彼らを伴って別室へ向かった。
もっともこの情報解析員の行動は彼らにこれから行なう『異星人の物体』への通信内容を聞かせないようにする為の方便である。つまりこの時点で軍人たちは辺境宙域学術探査団に対して情報管制を敷いたのだ。
そして彼らが艦橋から退出したのを確認後、通信員は探査機に対して申し訳ないがこれこれこうゆう理由で臨検を行なわざるを得なくなったので承諾して欲しいとの信号を送った。
しかし探査機からの返答は『拒否』であった。もっとも艦長たちにとってこれは予想された返答であった。
そもそもが探査機は製作した国家に所属する機関が送り出したものである。なので探査機の基本的な立場は『全権大使』と同等であった。
いや、実際にはそんな肩書きは附属していないのだがAIは国家から系外知性体と交渉を行なう場合は国家の代表として振舞うように指示されていたのである。
そんな立場に立たされた者としては一方的な臨検などは到底受け入れられるものではなかった。ましてや捕獲などという行為は屈辱以外の何ものでもない。
それ以外にも捕獲などされては探査機が内有している母星に関する情報を相手に与えてしまう。それは当初、軍が危惧していた事案に他ならない。
そしてAIにとって国家の安全に対する危機は即ちミス・キューリーの安全を脅かすものであった。なのでAIにとっては今回の異星人の通達はある意味宣戦布告に等しいものだったのである。
故に異星人の船から回収班が向かってくるのを確認したAIは決断した。その決断とは万難を廃して人類に(本当の理由としてはミス・キューリーに)脅威を及ぼすであろう『敵』からミス・キューリーを守らねばならないというものである。
因みにここでミス・キューリーは200年という時間の経過を考えれば既に亡くなっているはずなどという指摘をAIにしても無駄だ。
何故ならばAIはミス・キューリーの『教え』に囚われているのであり、それ即ち『魂』の尊重である。なので肉体が存続しているか云々などはAIには関係ないのだ。
これは、ちょっとキザな言い方をするならば、ミス・キューリーはAIの『心』の中で永遠に生き続けているという事である。
なのでAIは管理下に入った原子炉に対して当初軍が意図していたシーケンスを復活させた。つまり異星人の宇宙船もろとも自爆する道を選んだのである。
なのでAIは躊躇う事無く原子炉に暴走を促すシグナルを送った。そして全ての対応が終了したのち、AIは母星に向かって最後のメッセージを送る。その内容は次のようなものであった。
『バイバイ、マミー。マミーは僕が必ず守るよ。』
そんな探査機側の変化を異星人側はモニターしていた放射線レベルの変化から知る事となった。
「艦長っ!『異星人の物体』からの放射線レベルが急速に高まっていますっ!このままですと30秒後には臨界に達すると予想されますっ!」
「艦長っ!『異星人の物体』から彼の母星に向けたと思われるシグナルを傍受しましたっ!どうやら別れを告げているようですっ!」
「くそっ!だから言わんこっちゃないんだっ!こうなるのは判っていただろうに辺境宙域学術探査団のボケナス共がっ!」
部下から矢継ぎ早に上がってくる情報に艦長は悪態をついてコンソールに拳を叩きつける。
だが感情が爆発したのはその時だけで次の瞬間には優秀な指揮官としての冷酷な命令を発していた。
「火器管制員っ!やつが爆発する前に主砲で吹き飛ばせっ!」
「無理ですっ!準備が間に合いませんっ!」
「ならば近接レーザーで焼き払えっ!」
「了解しましたっ!」
「待って下さい艦長っ!原子炉の暴走ならば我々は外部から沈静化できますっ!」
火器管制員が艦に装備されているレーザー砲の照準を探査機に合わせている間に横から副長が艦長へ別の対応案を具申してきた。
その提案に艦長は間に合うのか?と目線で問いかけ返した。
「実は私の権限で既に準備は済ませてあります。なので後は艦長からの命令さえあれば実行できますっ!」
「判ったっ!直ちに実行しろっ!」
「了解しましたっ!機関員っ!対放射性物質不活性化装置を稼動させろっ!ターゲットは『異星人の物体』だっ!」
「了解しましたっ!ターゲットに向けて不活性化ビームを発射しますっ!」
命令の復唱と共に機関員は対放射性物質不活性化装置の稼動スイッチを押し込む。それによって異星人の戦闘艦から目に見えないビームが探査機に向けて放たれた。
するとどうだろう、副長が言ったとおり探査機から放出されていた放射線の量がみるみる減少していったのだ。
そして臨界点に達するであろうと予想されていた時間を過ぎても探査機には何の変化も起こらなかった。つまり対放射性物質不活性化装置はその名称どおり本当に探査機に積まれていた原子炉の核分裂を沈静化してしまったのである。
もっともこの対応は致し方の無かった事とは言え異星文明とのコンタクトを目的としていた艦長たちにとっては最悪な対応だった。
何故ならば対放射性物質不活性化装置から放たれたビームは探査機に搭載されていた電子回路をも焼き切ってしまうものだったからだ。
つまりこの対応によって探査機に積まれていたAI、別名『ベイビー』は死んでしまったのである。