コンタクト開始
その後、AIは人類以外の知的生命体が乗っているであろう宇宙船と思しき物体との位置関係を再度確認し、最適な未来会合位置を割り出してその場所へ探査機を移動させようとした。
ところが探査機を移動させるスラスター(反作用を利用した動力装置。つまり小型のロケット)が反応しない。
これに対してAIは制御回路上では異常が認められないのでスラスターに何か物理的な故障が発生したと判断する。
ただ如何せん探査機にはAIが探査機自身を画像で確認する方法が搭載されておらず、尚且つ仮に故障箇所が判明しても物理的に修理する機能なども積んでいなかった。
よってAIは人類以外と思しき宇宙船に自ら接近する事は諦めて接触可能な残りの15万秒あまりを通信のみで相手と交信する事とした。
しかし悪い事は続くの例えではないが、探査機に搭載されている『受信信号』をデータ化する回路にも不具合が生じた。その原因は不明だが予想としては100年ぶりに通電した為に電子回路に使われていたコンデンサーが電圧異常を起こしたと考えられる。
もっともこれは使われている部品の製品保証期間が大幅に過ぎているが故の経年劣化であり誰が悪いというものではない。
スラスターの不具合にしても既に想定を超えた期間が過ぎているのだ。逆に言うと今AIがちゃんと稼動している事自体が奇跡のようなものなのである。
だがそんな事態になってもAIは諦めなかった。相手はAIが送った全ての波長領域信号を返してきた事から高精度の送受信能力を有していると推測できる。
なのでAIは外惑星探査時に使用した近接光学発信装置、つまり低出力レーザー距離測定機にて相手に信号を送る事とした。これはいわば視覚を使った『手旗信号』のようなものである。
そしてこの対応は事前に作成されたマニュアルには記載が無い。つまり科学者たちはそんな事態になるとは考えていなかったのだ。
いや、そもそも今AIが置かれている長期間の運用自体が当初の『恒星系外縁部惑星群探査計画』には正式に盛り込まれていなかったのである。
しかしAIは自身に課せられた使命を全うする為に今使える全てのモノを駆使して諦める事無く『目的』を遂行しようとしていた。
そしてその目的遂行の原動力は探査計画に則ったものではなく、AIがミス・キューリーから叩き込まれた信条、つまり『強くあれ』という使命感からである。
そしてその努力は報われる事となった。なんとAIからの光学信号に応じるかのように異星人のものと思しき宇宙船の方から進路と速度を変更して探査機に近づいてきたのである。
その変化は減速と進路変更の為に行なわれていると思われる相手の宇宙船から放出された高出力エネルギーの量から推測できた。その値足るや探査機が搭載している観測装置の測定上限をあっさり振り切る程の出力である。
これ程の出力を一気に放出できる装置を200年前の人類は有していない。
いや、制御されない放出ならば『核融合爆弾』、所謂『水爆』という形で人類は技術的には有していたが、そんな高出力のエネルギーを宇宙船から一気に且つ持続して放出したら結果がどうなるかなど科学者でなくとも簡単に理解できるだろう。
つまりこの観測結果をもってして探査機に向かって来る相手は人類の数歩先を進んでいる科学技術を持ち合わせている事になる。
故にこれは新たな危惧の発生でもあった。何故ならば相手は人類とは違った進化をしてきたはずの異文明知性体なのだ。なのでその接近が必ずしも友好的なものである確証は無い。
しかしだからと言って殻に閉じこもっていては何も始まらない。そう、交流とはまず相手を信じる事から始まるのだ。
とは言え盲信するのは愚の骨頂である。あくまで慎重に、されど卑屈になる事なく礼節をもって接するのが文明というものを確立した生命体の基本なはずなのだ。
そもそも文明とは『個』ではない。様々な『個』が集まった『集団』が発展させるものなのだ。そして『個』と『個』の結びつきは『交流』から生まれる。
そして交流とは自分との違いを認め合う事であり、その土台には相互の『信頼』というものがあるはずだ。
故にミス・キューリーはAIに『強くあれ』と教え、その根源に『愛』を唱えたのである。
もっともその具体的な方法が『努力っ!』と『根性っ!』と『忍耐っ!』だったのは些か偏った教えだと思うが、何事も言葉こそ違えど何かを成すにはそれらが支えとなっているはずである。
だがそんな信条にて育てられたAIでも今の状況は非常に困難なものである。なんと言っても会話というコミニュケーションにおいて相手の言葉を聞き取るという大切な『耳』の部分が欠落してしまったのだ。
つまりAIはこちらの言葉は伝えられるが相手の言葉を聞く事が出来なくなっているのである。
ただこれはあくまで電磁波を使用した通信方法だけが動作不安定になっただけで、AIにはまだ視覚という受信方法が残っている。つまり可視光線領域を使用したデータのやり取りならばまだ可能なのだ。
そしてこの方法は人類も『手話』や『読唇術』という技法を使って実用化していた。つまり『やって出来ない事はないっ!』である。
ただ問題は相手がそれを理解してくれるかだが、それに関してAIは楽観視していた。何故ならば相手は3600秒もかからずに人類の信号プロトコルを解析し、尚且つ探査機からの手旗信号にさえ応えてわざわざ減速し進路を変えてきたからだ。
こうしてAIは人類の代表として記録に残る上では人類初となる異星文明とのファーストコンタクトに挑む事になったのである。
但しその状況はお気楽なSFなどによくある対等な条件でのコンタクトではなく不利も不利、大型動力船と櫂を失った手漕ぎのボートの会合と例えても何らおかしくない状況による会合だった。
だがそんな状況にも関わらずAIに自身の科学技術を卑下する様子は見られない。これは別にAIが電子回路だからそのような感情を持ちあわせていないという理由などではなく、あくまでAIがミス・キューリーから教えられた信念と、AI自身の目標を達成しミス・キューリーから褒められたいという思いからくる、ある意味『必死』とも取れる願望がそうさせていたのであった。
そしてその時は刻一刻と近付いていた。