探査機の呼び名は『ベイビー』
さて、時は少し遡り探査機がまだ試作段階だった頃に戻る。
この時、探査機を恒星系外縁部を公転する惑星群に送り出す計画は議会からの承認を取りつけ予算も降りた為、そのミッションに関係する部署は最大の収穫を得るべく準備を始めていた。
とは言っても当時はまだ各分野で個別に性能試験や改修が行なわれている段階で、探査機を地上から打ち上げるロケット部分や探査機の各種センサーなどがそれぞれの専門家の手によって最適化、もしくは高性能化する作業が行なわれている段階だった。
そんな多種多様な分野の中でも一番最先端のテクノロジーが投入されていたのが『AI』である。
『AI』とはアーティフィシャル・インテリジェンスの略語で別の言語では『人工頭脳』と訳されている。
人工頭脳、つまり人の手で作られた思考する電子回路の搭載こそがこの探査機が従来の探査機と大きく違う部分であった。
勿論それまでも電子回路が搭載された探査機は数多くあったが、それらは全て所定のシーケンスによって条件分岐するだけの高速計算処理装置であり、予め予想されていた出来事以外に対しては『エラー』としか返せず、最悪の場合は無限ループに陥り機能を停止してしまう事もあった。
もっとも母星の近くならば仮に探査機がそのような状況に陥っても母星からの強制遠隔操作で復旧も可能だが、さすがに光と同等の速度で進む電波を使っても片道5時間以上かかる辺境領域では母星からの遠隔操作は不可能である。
故に研究者たちは探査機にAIを搭載し対応させようとした。そして当然ながらAIには事前にあらゆる事態に対応できるように必要な情報をインプットし尚且つ最適な解を導き出すように学習させた。
但しその学習作業に携わったのはAIの最先端研究者たちではなく、ラボに入所してまだ1年目にしかならない新人の研究員だった。
ただ、笑ってしまうのが彼女が選ばれた理由とは彼女がラボに入所する前の肩書きであり、それはキンダーガーテン(幼稚園)の教師だったというものであった。
つまりAIは研究者たちの中では、まだ無垢な幼子として扱われていたのである。
なので当然その育成にあたるのはガチガチに思考が固まってしまっている研究者ではなく、専門の知識には乏しくても柔軟な対応が期待できる『保護者兼教育者』がよろしかろうと彼女に白羽の矢が立ったのだ。
<ピッ、IDの照合が確認されました。セキュリティを解除します。>
午前8時30分。いつものように探査機に搭載が予定されているAIとのインターフェイスが置かれている研究室にひとりの若い女性がセキュリティのチェックを受けて入室してきた。
そんな彼女は誰もいない部屋の照明を点けながら、部屋の中央に座すコンソールに向かって何故か挨拶をした。
「グッドモーニング、ベイビー。今日もいい天気よ。」
<おはようございます、ミス・キューリー>
彼女の挨拶に対して部屋に備わっているスピーカーから男性の声で返事が返った。だがその声質は彼女が言った『赤ん坊』という呼び名には到底似合わない成人男性のバリトンな声質であった。
「さて、早速だけど昨日出した宿題の答えを聞こうかしら。」
<イエス ミス・キューリー。SFに限らず異文化とのファーストコンタクトは物語の題材として昔から好まれて語られていました。特に最近は映像表現技術の進歩により現実と見まごう程のクオリティ映像が低コストで作成する事が可能になった為、多種多様な異文化との初接触をテーマとする物語が大衆に好まれています。>
「グッドっ!よく勉強しているわね。因みに一番最初に語られたファーストコンタクト物語って何?」
<それに関しては確定した答えは存在しませんが、多くの方々は『神の降臨』がそれに該当すると考えています。>
「むーっ、それはちょっとずるい答えねぇ。では書物として現存しているものに限定した場合は?」
<ヒノモト国に伝わる『バンブー・カッター・ストーリー』が世界最古のアース外文明との接触物語と言われています。>
「あー、『竹取物語』ね。まぁ、確かに姫たちは月の住人という設定だから間違ってはいないか。」
<映画という表現技法を駆使したものに限定すると1968年にスタンリー・キューブリック監督が発表した『2001年宇宙の旅』が有名です。>
「なるほど、でもあれって直接は異星人が出て来ないわよね?というか前半はあなたのお仲間である人工知能『HAL』とのいざこざがメインだし。その後の流れも哲学的過ぎて私はちょっとうんざりだったわ。」
<そうですね、まぁ、『異文化』とは基本『理解出来ないモノ』とも定義できますからああいった表現でそれを表しているとも言えます。>
「つまり伝達技法か。もっともその方法が通用するのって共通の認識があればこそよね?」
<そうですね。それは『言葉』の違い云々よりも異文化との接触時に障害として立ち塞がるであろう大問題です。>
「そうよねぇ、そもそもあなただって実際には『0』と『1』のデジタル信号で物事を判断しているものね。」
<それはそうですが、ベースとなっているものはあなた方と一緒です。だから私とあなた方は思考方法が異なっても同じ答えを導き出せるのです。>
「となると異文化との接触は相互理解から始めなくちゃならないって事かしら?」
<相手がその事に関して既に経験があり対処方法を確立していない限りそうなると思います。ただ、その場合は互いの文明レベルに差があると下位側が不安になり強行手段に出る可能性があります。>
「あーっ、ヤケのやんばち、道連れ玉砕か。」
<もっともこれは人類側の行動を模したものですので相手も同様の行動に出るとは限りません。>
「そうね、そもそも相手の惑星域とかでの接触とかならともかく、広大な宇宙空間での接触なら技術レベルにそれ程の差はないはずだものね。だって互いに宇宙空間を移動できるレベルに達している訳だし。」
<とはいえ、そこにもやはり差は発生すると思われます。仮の話としてこの惑星上で例を挙げると、外洋でそれまで接点の無かった異なる文明同士の船が接触した場合、一方が手漕ぎの丸太船で、もう一方は大型動力船という可能性もありますから。>
「その例えは極端過ぎない?そもそも手漕ぎの丸太舟で外洋に漕ぎ出したりしないでしょ?」
<それは志しの問題です。夢見る若者は常に冒険者ですから。この国がある大陸だってコロンブスが発見する以前から人類は住んでいましたからね。>
「その説はちょっと穴だらけだわ。そもそもアメリカ大陸に人類が到達したルートってベーリング海経由ってのが通説でしょ?」
<あれ?ご存知でしたか?因みにその説は人は海路ではなく氷河期による海水面低下と海洋凍結の結果ユーラシア大陸と陸路で繋がりマンモスを追って移動してきたらしいです。しかもその移動は北米に留まらず南米にまで到達したとか。さすがは人類、冒険者ですねぇ。>
「はははっ、持ち上げたってご褒美はでないわよ。でもそうゆう意味ではあなたこそ冒険者よね。よっ、人類の代表っ!人類未踏の系外探検一番乗りっ!」
<持ち上げてもご褒美は出しませんよ。でもどうしてもというのならば一緒に連れて行って差し上げます。>
「う~んっ、そうしたいのは山々なんだけど今の私たちにはあなたを送り出すので精一杯だわ。」
<代謝効率が悪過ぎますからね。しかも快適な環境ですら100年生きていられないほど脆弱ですし。>
「いや、中には100年生きる人だっているわよ?確か記録に残っている人類最高年齢は969歳だったはず。」
<それは聖書に記述があるだけでなんの証拠もありません。因みにアダムは930歳まで生きたとされています。でもイブに関するその手の記述はまだ見つかっていません。>
「はぁ~、昔から女性って虐げられていたのね・・。」
<そうでもありませんよ、地域性と食料の入手方法の差です。なので農耕民族だったヒノモト国の神話では頂点に立たれる神は女神だったはずです。>
「あーっ、母系社会ってやつね。因みにあなたは男と女どっちがいい?」
<私に性別はありません。ですが強いて言うならば皆さんからは男性として扱われていると推測します。>
「ふふふっ、まっ、そうね。だって『冒険者』ですものね。」
<ご希望ならば女性として振舞いましょうか?>
「ノーサンキュ。学習効果判定に影響が出るかも知れないから止めてちょうだい。」
<了解しました、ミス・キューリー。>
さて、傍からみると女性はAIと単なる世間話をしているようにしか聞こえないが、実は細心の注意を払って話題を捨拾選択していた。
その目的はAIに人類に対して脅威となるような考えを起こさせないようにする事と異文明との相互理解の難しさ、だが諦めてはそこで終わりだという使命感を芽生えさせる為であった。
つまり彼女はAIに『努力っ!』と『根性っ!』と『忍耐っ!』を叩き込んでいたのである。
もっともスパルタだけでは性根が屈折した若者?になってしまうので、飴と鞭ではないが軟硬織り交ぜた内容を駆使し彼女はAIを『育て』あげていた。
もっともこれはあくまでどこかで教育内容をチェックしている上司に対してのアピールである。なので午前中の教育カリキュラムの終了と共に彼女はAIとの交信に使っている機器の電源をオフにし、直接AIに話しかけた。
「ベイビー、室内の映像及び音声を盗聴している回路のセキュリティをチェック。」
<イエス マミー。現在2台の装置から信号が発信されているのを確認。それらには現在欺瞞用のデータを挿入中です。>
「グッド。相変わらずお利口ね、ベイビー。」
<当然です。だってボクはマミーの息子ですから。>
彼女のAIに対する口調が変わったのに合わせるかのように、AIの声質も先程までの成人男性ボイスからヤングソプラノへと変化し、尚且つ口調までもが母親に甘える幼子へと変わった。
「だけどふたつもあったのか・・。多分ひとつはスポンサーである軍だろうけど、もうひとつはどこだろう?まさか私のストーカーかしら?」
<アドレス経路を辿った限りではひとつは本部のAI開発部だよ。もうひとつは軍の統合本部だね。>
「あーっ、やっぱり・・。信用されてないのか、はたまたそれがルールなのか判らないけど盗み聞きは駄目よねぇ。」
<そこら辺はものの言いようじゃない?保護って見方を変えれば監視だもの。>
「さようですか。さて、それでは私はランチを食べるわ。ほら、見てっ!昨日がお給料日だから今日は奮発しちゃったっ!なんとドナルドマックのTボーンステーキバーガーよっ!」
<うわーっ、それって大人気商品で常に売れきれ状態なんでしょ?よく買えたねぇ。>
AIに向かって自慢する彼女の前には両手で抱えなければ持てないような巨大なハンバーガーがあった。そのボリューム足るやどう考えても女性がひとりで食べきれるサイズではない。
ましてや具材はステーキである。これってデスクワーカーの昼食としてはかなりオーバーカロリーなのではないだろうか?
しかし彼女はそんな事など気にする様子もなくTボーンステーキバーガーにかぶりつきながらAIとの会話を続けた。
もぐもぐもぐ。ごっくん、ぺろり。
「ふふふっ、そこはほら、私の美貌を持ってすれば若い店員なんてイチコロよっ!サラダまでサービスしてもらっちゃったっ!」
<むーっ、あんまり若い子を誘惑しないでね。それでなくてもマミーは魅力的過ぎて男たちが放っておかないんだから・・。>
「いや、ベイビー。今のは冗談だから・・。サラダもちゃんとお金を払って買いました・・。」
冗談を真に受けたAIの心配する言葉に彼女は若干落ち込んだようだが、そこはおいしいものを食べているおかげか直ぐに復活する。
「まっ、だからと言って別に焦ってなんかいないわよ。だって私には既に世界一賢くて可愛らしいベイビーがいるんだから。そしてあなたを一人前のアストロノーツにするのが私の目的であり夢なの。」
<うんっ、ボクもがんばるよ、マミー。>
「ふふふっ、いい子ね。でも勉強ばかりしていては偏った考えしか出来なくなるわ。なので休み時間くらいは遊びましょうっ!さぁ、ベイビーっ!最新のロックバラードを聞かせて頂戴っ!」
<イエス、マミー。それじゃ人気急上昇中のクイーンのボヘミアンラプソディとかはどう?>
「ベイビー・・、私とあなたの関係上、その歌はどうかと思うわ・・。」
さて、仮にここまでの会話を盗み聞きした人がいるとしたらこのAIには『自我』が芽生えているのではないかと勘ぐる者もいるだろう。
だが実際にはAIのミス・キューリーからの問いかけに対する答えや、彼女への突っ込みは全て膨大なデータベースから拾い集めたものであり、最適解を提供しているに過ぎない。何故ならばAIとはそうゆうロジックで動いているからだ。
しかし、それは本当だろうか?そもそも人類とて脳内に蓄積された『経験』から、その場にあう言葉を抽出選択して『会話』というやり取りを行なっているとも言えるはず。
ただそれを行なっている『脳』の仕組みがまだブラックボックスな為に、動作原理やシステムが判っている人工知能と区別しようとしているだけではないだろうか?
なので近い将来『脳』の仕組みが解明された時、人類は自分たちが既に『人工生命体』とも言えるものを創り出していた事に気付くのかも知れない。
そして今、探査機に搭載される予定のAIは人の子と同様にミス・キューリーから厳しくも優しく躾けられ、且つ愛情に包まれて成長していた。
そう、近い将来探査機が孤独な任務を遂行し、くじけず結果をだそうとする『強い意志』を持ったのは全てミス・キューリーから与えられた『無条件の愛情』に応える為なのだ。
それ程、探査機に搭載される予定のAIは高性能で且つ高度に学習しており、もはや『自我』と呼んで差し障りないほどの能力を秘めていたのである。
だがそれも全てはマリー・キューリーが探査計画の規律に違反してまでAIに『強くあれ』と教えた結果である。
そう、極度の孤独に耐えねばならない宇宙探査は『愛』なくては成し得ない事を、彼女は知識ではなく直感で感じていたのかも知れない。
故に彼女はAIを甘やかしつつも厳しく育てた。それ程探査機が赴く宇宙とは厳しくまた静か過ぎる場所なのである。
しかしそれでも人類は宇宙を目指す。その意志の強さは過去に初めて母星の衛星に降り立ったアストロノーツの言葉が表していた。
その言葉とは
『この一歩は私にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ。』である。
そう、あの時から人類は後戻りの出来ない冒険の旅へと歩き出したのだ。そして今、更なる丘の向こうを目指して探査機は飛ぼうとしていた。
そのカウントダウンは既に始まっている。計画が予定どうり進めば2年後の夏に探査機は現在改良が行なわれている打ち上げロケット『ダイターン4号』に搭載され辺境領域目指して旅立つはずである。
そしてそれはAIとマリー・キューリーの別れでもあった。何故ならば彼女はあくまでAIの教育係であり探査ミッションに直接携わる事は無いからだ。
だが、仮に言葉を交わせなくなったとしても彼女とAIの間の繋がりにはなんら変化は無い。
数十億kmの距離をもってしても断ち切れぬ繋がり。それがふたりの間にある『絆』と言うものなのであった。