act.1 騎士道とは鋼の精神と見つけたり
それはいつもの場所で昼食をとっているときだった。めずらしく『碧の月亭』のオヤジが自分から仕事の話を持ちかけてきたのだ。
「暇そうじゃねぇか」
「そう見える?」
シーフードスパゲティをフォークでくるくるしながら皮肉をこめて返事をかえす。
「いつもの連れはどうした?」
「出稼ぎ中よ。……で、なに?」
「ご察しの通り仕事の依頼だよ。実は依頼人がもうすぐ来るんだが…話を聞いてやっちゃぁくんねぇか?」
なんであたしが、という表情をするがオヤジはかまわず続けた。
「いやな、月魔法の学院のねぇちゃんなんだがぁ……ちょっと依頼料が少なくてな、他のやつらには断られっちまって、残ってるのはお前さんと新米だけ……いやそうだな…」
言葉の通り彼女は露骨にいやそうな顔をする。 なんで報酬が少ない仕事をあたしにまわすわけ?と、言いたげなのが一目でわかった。
「いや、聞くだけでいいんだ。とりあえず聞くだけで。そんじゃ、たのんだぜ」
逃げるように退散するオヤジに文句も言えず、結局彼女は依頼人を待つことにして食事を終わらせた。
依頼人が来るまでそう時間はかからなかった。むしろ予定より少し早いくらいだ。
「あの、依頼を聞いて頂ける冒険者の方ですか?」
依頼主は17・8歳くらいで、手入れされた栗色の長髪がよく似合う清楚な感じのおおよそ魔術師には見えない女性だった。
彼女は両手で抱いていた猫をテーブルの上におろすと笑顔でよろしくお願いしますと言う。
印象はとてもよかった。
「さて、早速だけどいいかしら?」
彼女は静かに頷くと、依頼の内容を話し始めた。
「私は月魔法の学院所属の導師アニス・エンフィードと申します。実はつい先日、使い魔の呪文を拾得して早速儀式を行ったんです。使い魔には猫を選んで儀式は無事に成功したんですが…」
ちらりとテーブルの上の猫に目をやる。たぶん、こいつがその猫なのだろう。最近、ペットとして人気の高いパルマショートヘアーという種類の猫だ。猫のくせにきちんと姿勢を正して座っているところがなんとも奇妙でおかしい。
「…儀式に成功したその夜、私はなにげなく使い魔に話しかけました。そうしたら、その使い魔は私の心に直接答えを返してきたんです。いかに使い魔とはいえ猫は猫、そんな知性など持ち合わせていません。使い魔はフィリップ・インザーギと名乗りました。年齢は18歳で数日前まで人間の騎士だったと教えてくれて………。彼は赤い満月の夜、ある任務の遂行中に敵の罠にはまり猫にされて売られたらしんです…」
依頼主の言葉に呆気にとられる彼女に向かって、猫は軽く会釈をする。
目の前の猫が元騎士かどうかはともかく、その猫が普通の使い魔ではないことは見てとれた。
「お願いです。どうか彼をこんな風にした呪術師を私たちと探してください! 依頼料はたしかに少ないんですが…」
と、彼女は金貨を2枚テーブルの上に置く。
「…リ、リスクのわりに安いわねぇ。……申し訳ないんだけど、今回は他にあたってもらえるかしら?」
やっぱりとうつむく彼女に続けて話す。
「…まぁ、暇があれば少しは情報を集めとくけどあんまり期待しないでね。その金額じゃ新米にまわされるだろうけど、イキのいいのがいるから、きっとなんとかしてくれるわ。がんばんなさい」
その言葉に幾分救われたのかアニスは笑顔で返事を返した。
act.1 騎士道とは鋼の精神と見つけたり
「はーい、本日のおすすめ料理シーフードパスタでござーい!」
愛想をいっぱいに笑顔を振りまくカーリャを見ながら、おやじがうんうんと一人で頷く。
「…いい。……いいなぁ。なにがいいって、やっぱり華がある。客も増えるし、こいつぁ一石二鳥ってやつだ」
ここは、冒険者たちの情報提供の場『碧の月亭』。この町にある冒険者向けの酒場の中では比較的大きい部類に入っていた。
近頃、若いウエイトレスが入ったことも手伝って、昼にも関わらずこの酒場は活気に満ちていた。
「あのぅ、それで依頼を引き受けてくれそうな冒険者の方々はどこに?」
栗色の長髪が愛らしい、ゆったりとした白いローブに身を包んだ女性が、一人頷くオヤジを前におずおずと聞く。
「…お、おう、すまねぇな。んん〜っと、いたいた。あの奥のテーブルに座っているやつらだ。ブラン伯がスポンサーだから腕は確かなはずだ。ま、がんばんな…」
女性はおやじに簡単にお礼をすると、急ぎ足で昼食中の冒険者達のもとに向かった。
カーリャを除く全員が揃うそのテーブルでも、テーブルに向かってくる彼女が依頼人だと簡単に認識できていた。
依頼内容については簡単にだがオヤジに聞かされていたため、話はわりとスムーズに進んでいた。
「あの、依頼を聞いて頂ける冒険者の方ですか?」
ハーミアが黙って頷く。噂の猫も一緒のようだった。
「私は月魔法の学院所属の導師、アニス・エンフィードと申します」
「その猫さんが………?」
アニスがユーンに対し力強く頷く。なんだか興奮気味なのは、やっと依頼を引き受けてもらえると思っているからだろうか。よほど断られ続けてきたのだろう。
彼女はそのまま胸に抱く猫をテーブルにおろすと、空いている席に腰を下ろした。
話題の猫は彼女の胸に抱かれていたせいか、少し前屈み気味になって座る。その理由に一同はすぐに気付くが、当人達のせっぱ詰まった状況を前に口に出すことはできなかった。
「やあ、おいらフィルってんだ。フィルって呼んでね」
フィルがテーブルの上の猫に対し、お決まりの挨拶をするが、猫はつーんとあさっての方向を向いてしまった。
「…あの、依頼を受けてもらって本当に感謝しています。よろしくお願いします」
アニスが深々と礼をするのに対し、やはり猫は顔を横に向けたままでいる。
「…まあ、楽にしてください。お話はすでに伺っています。聞きたいことが山ほどあるんで、差し支えなければお教え願えますか?」
「はい、えっと、あなたがこのパーティーのリーダーさんですか?」
アニスの問いにルーが首をふる。
「…えっと、では、どなたが?」
「……あそこで、料理を運んでるやつがそうだ」
アニスと猫が、サイの指さす方向に顔を向ける。
視線の先には、ひいひいと料理を運び続けるカーリャの姿があった。それを見た猫が、眉をひそめるようにしてあからさまに不満そうな顔を浮かべる。
「あ、ああ見えて、とっても頼りになるんですよ」
ユーンがすかさず言うものの、猫は機嫌悪そうにうなだれていた。
「……自己紹介がまだでしたね。僕は……」
「…知っています。ルーフェス・アイラードさんですね?」
間の抜けた顔をするルーに、アニスがにこりと笑う。
「こう見えても私は学院の導師です。内部の情報は多少なりとも耳を傾けています。…いい男で有名なんですよ?」
くすくす笑うアニスと、顔を赤くして下を向くルーを見て猫がちっと舌打ちをする。
「器用な猫だな…」
サイはなんだか、いけ好かないこの猫に、わざと聞こえるように言ってみた。
猫はきっ、とアニスの方に無言で顔を向ける。
「…ご、ごめんなさい。インザーギさん、………え、ええ…………それは分かっています。……はい…………ええ、そうします…」
「どうしたのですか?」
「……あの、早く話を進めろと……」
再びちっ、と舌打ちをする猫に、ハーミアはアニスが気の毒に思えて仕方がなかった。
騎士と聞いていたから、もっと礼儀正しいかと思っていたのに、どうにも感じの悪い男(?)である。同じリンクされるなら、もっと他にいい男性もいるだろうに……
「わかりました……でもその前に一応、私が解呪できるかどうか試してみましょう」
ハーミアはそう言って静かに祈りを捧げ始める。目を閉じて集中力を高め、やがて片掌から一瞬光が溢れる。
神聖魔法のホーリーだ。
しばらく一行が見守っていたが、やがてハーミアがあきらめたかのように首を振った。
「……やはり、普通の呪いではないようです。なんらかの魔法をかけられたと思うんですが……。とにかく対処策を考えなくてはいけませんね」
ちょうどカーリャも昼休みに入ったようなので、一行は簡単な自己紹介と依頼の再確認をし、幾つかの疑問点を取り出し始めた。
「ねえねえ、その猫さん…フィリップさんだっけ? おいらとも話せるの?」
「会話はできないと思いますが……」
「そうではなくて…猫の状態でも人間の言葉を理解できるのですか? それとも、アニスさんの言葉だけなんですか?」
「あ、そういうことですね。ええ、ユーンさんの言うとおり言葉は通じます。返すことも………」
と言いながらアニスがイスの横に寝かせていた革製のバッグの中から、ごそごそと何かを取り出した。そして取り出した羊皮紙をテーブルの上に広げ、丸まらないように四つ角に小石を置く。
羊皮紙には共通語が音順に書かれており、猫がぽんぽんとその手を文字の上に置いていった。
「えっと、俺・の・名・は・イ・ン・ザ・ー・ギ。俺の名はインザーギ?」
カーリャの言葉に、インザーギがこくりと頷く。
「ねぇ、インザーギさんを罠にはめた人達って、いったい何者なわけ?」
“悪だ”
「いえ、ですから、どのような方たちでしたかと聞いているのですが?」
“極悪人だ”
カーリャとユーンが顔を見合わせてうなだれる。
“このような屈辱、騎士として許すことはできぬ”
「……敵はどんな部隊でした? 魔術師とか…戦士とか……」
めげずにユーンが質問をする。
“魔術師一人だ”
「……いったいどんな任務だったんだ?」
“俺はまだうぬらを信用したわけではない。そうぺらぺらと他人に任務を話せん”
いちいち勘に障るやつだ。人間にもどったら、一発殴るか…と、物騒なことをサイが考えていると、横からカーリャがびしっと猫の頭をはたく。
「いい加減にしなさいよ。人間にもどりたいんでしょう? だったら少しは協力すれば? ……って、あっ、ごめんなさい」
見ればアニスが自分の頭をさすっていた。全ての感覚がリンクしてしまうというのは、本当らしい。
申し訳なさそうにするカーリャに、猫がぎらりとその眼孔を光らせる。
“最初に言っておく。俺には嫌いな物が三つある”
「はぁ?」
“一つは、卑怯者。二つ目は魔術。三つ目は剣の道の神聖さも知らずに、遊びで剣を振りまわすがさつな女だ”
「…………やな奴だな」
インザーギのあまりの言葉に固まってしまったカーリャにかわって、サイが代弁する。
しかしインザーギは悪びれた様子もなく、ふんっと顔を横に向ける。むしろアニスの方が申し訳なさそうにしているくらいだ。
“俺は姿こそ猫になってしまったが、騎士である高貴な精神までも失ったわけではない。騎士道とは鋼の精神と見つけたり”
「…とにかく話して頂かないと、見つけられません。もう少し協力してもらえませんか?」
淡々と言うハーミアに対し、インザーギはやはり友好的な態度を見せようとはしなかった。
“全てはアニスが知っている。俺は俺で他の方法を探す”
「ちょっと、あんたねぇ……」
カーリャのあきれ顔を後目に、インザーギはひょいとテーブルから降りて外に向かって走り出す。
「なんなのよ…アレ」
「失礼な方ですね…」
その時アニスが、文句を言う二人の口を慌てて両手で押さえた。
「だめだよ、二人とも。いくらインザーギがいなくなったからって、アニスがいる以上こっちの話は筒抜けなんだから」
はっとして顔を見合わせるカーリャとハーミア。やがて少し気まずそうに、同時に頷いた。
「では、効率よく質問していきましょう。そのうち打開策も見えてくるかもしれないしね〜」
気を取り直したカーリャが、席を立ち円卓を囲む仲間達にむかって言う。
「では、疑問点………スタートぅ!」
「まず、任務だ。ここのみんなが気にしているはずだ」
「それから考えられる敵です。先ほどユーンが言ってましたが何者なのかとか、どれくらいいるのかとか」
サイとハーミアが立て続けに言う。
「…任務については、本当になにも言えないんです。というのも、インザーギさん、その辺の記憶をショックでなくしてしまっていて……覚えているのは魔術師風の男にそうされたくらいで……」
「では、どこで猫にされたとか…」
「どんな風に呪いをかけられたのかは?」
ルーとフィルの言葉にも、やはり首を振って否定する。
「じゃあ、他に仲間はいなかったのですか?」
ユーンの質問に、アニスが反応する。長い沈黙の後、ゆっくりと確かめるような口調で話し始める。
「……………うっすらと、何人かいたような気もする…そうです…」
「他にも動物にされたのが、いるかもしれないってこと?」
かもしれませんと、カーリャに答える。
「じゃあ猫にされた後、どういうルートで店までやってきたのか覚えてませんか? もしくは猫になってからアニスさんの使い魔になるまでの間に、何か不可解な話や名前を聞いたりはしていませんか?」
ユーンの質問にまたしても長い沈黙が訪れる。
「……ライオン……サーベルタイガー…」
アニスが動物の名前を幾つか言う。
「…………エムボマ…? …誰ですかその人?…ええ…そうですか…。……あとは、エムボマという名前しか覚えてないそうです」
「おいらにはさっぱりわかんないや。ルーはわかる?」
「さて、さっぱりですね」
「その、呪いってかけた本人しか解くことはできないの?」
やはり、ルーは首を振る。
聞いたことはないが、月魔術の中にはそんな呪文があってもおかしくはなかった。
考えられるのは何らかのキーワードで解けるか、強力な解呪の魔法、もしくは魔法をかけた張本人の意思が必要か……
「いずれにせよ、その術者を探すしかないようですね」
ルーの言葉にアニスが、お願いしますと頭を下げた。
「さてと、みんな揃ってる?」
バイトを終えたカーリャが、なじみ深くなってきた円卓を見回す。
アニスから正式に依頼を受けてすでに数時間が過ぎ、今日は時間の関係上、情報収集ができないため明日から本格的に動くことになっていた。
全員、夕食も終わり明日の予定を決めるところだ。
「じゃあ、始めるわよ。みんな意見があったらどんどん言ってね」
「では………僕はとりあえずギルドで調べたいことがあります。おわかりでしょうが、あの呪いについて調べなくてはなりません。インザーギさんは満月の夜に猫にされたと言ってました。もしかしたら月の満ち欠けや周期に関わる魔法かもしれません…」
「俺も同行するぜ…他にも調べたいことがあるしな」
カーリャが頷く。
「おいらは、ブラン伯に聞きたいことがあるから、そのあとでルーのとこにいく」
「あたしも、って言いたいとこだけどさすがに多すぎるわね。……んと、じゃあ、人を猫に変える魔術はあるのかってのと、それを扱える人間がどこにいるのかを調べておいてね」
ルー達が引き受けたといった感じに頷くのを確認し、カーリャは再び腕を組み考える素振りをする。
「さて、私たちはどうしようか……」
「私はアニスさんが儀式を行った部屋に行ってみようかと思います。なにか手がかりがあるかもしれません」
「うん、わかった。じゃあ、それはハーミアにお願いするわ」
「……あの、カーリャ…」
控えめにユーンが進言をする。
「フィリップさんは猫になってからの記憶がしばらくないようだから、アニスさんがフィリップさんを買った店から逆に辿っていくとよいと思うんですけど…」
「あ、そうか。なるほどぅ、ユーンてばあったまいい〜。じゃあ、私とユーンで行きましょ」
「……待って、カーリャ。いくらなんでも分断しすぎじゃありませんか? できるだけみんなで行動したほうが……」
「ハーミアの言うことも最もだけど、町中だったら大丈夫じゃない。いきなり乗り込んだりはしないもの」
「ですが……」
やはり根拠無く大丈夫と胸をはるカーリャに、ハーミアは心配そうに視線をおくる。
「……わかりました。でも気をつけて下さい」
カーリャがこくりと頷き、一呼吸おいて話をまとめ始める。
「じゃあ、明日はサイとルーと途中からフィルが加わって学院で術などの調査。ハーミアはアニスさんと調査。わたしとユーンはペットショップで調査……で、夜にまたここで話し合いましょ。他に何かある?」
「そう……ですね。身元調査をしておいた方がいいと思います」
「ああ、インザーギの?」
ハーミアが首を振る。
「プラス、アニスもです」
「……なるほど。前の仕事の教訓ですね。依頼人をまず調べること…」
一人ルーが納得したように頷いた。
「OK。じゃ、それもふまえて調べましょう」
一行は黙って頷いた。
依頼を受けてから二日目の昼、『碧の月亭』ではいつものように客で賑わっていた。
「おーい、ユーンちゃん。ムール貝のクリーム煮がまだ出てないみたいだが…」
「あっ、ごめんなさい。今すぐ作ります」
おやじの言葉に一人厨房で奮闘するユーンが、言葉を返す。
「…ごめんね、ユーン。なんか、手伝ってもらっちゃって…」
「えっ?…あ、ううん、いいんです……お料理、嫌いじゃないから」
「まったく、ユーンちゃんが手伝ってくれて助かるよ。俺は料理が大の苦手でねぇ」
「おやじさんが、そんなでいいの?」
「なぁに、言ってやがる。コックが急に辞めちまったんだから、しょうがねぇじゃねぇか」
「なによぅ、おやじさんがこき使うから辞めちゃったんじゃない。大体、私達だって今日は本職の日なんだから」
「ぶわぁか、情報ってのはまず酒場で集めるもんだぜ? おめぇもウエイトレスなら、さっさと料理運んで、ついでに情報を集めちまうんだよ。無料で集められるんだ。これほどの得はねぇだろうが」
むうと、カーリャが口を噤む。
「わかったらばりばり働け。そんなこっちゃ、リアに抱いてもらえねぇぞ?」
ごすっっと鈍い音の後、派手にオヤジが頭を抱えた。カーリャの容赦ないお盆の角攻撃がまともに脳天ヒットしたのだ。
怒ったカーリャは、そのまま厨房から出ていってしまった。
「……ててて、加減ってのを知らないのか…」
「…今のは、おやじさんが悪いと思います」
「………そうか?」
「…カーリャだって最近やっと、自分の気持ちに気付き始めたばかりなんです。女の子にあんなこと言っては駄目ですよ」
「……女心ってやつか? それが分かれば、俺もとっくに結婚してるんだがなぁ」
おやじは腕を組み、首を傾げる。
「あいつ、はやくリアと会えればいいんだがなぁ…」
なんだかんだ言ってカーリャの心配をするおやじに、ユーンも同意するように頷く。
「知ってるか? あいつここの仕事が終わったら、近くの空き地で剣の稽古してんだぜ」
「よく知ってますね」
「…ん? ああ、なんだ……ほら、いくら剣士とはいえ女の子一人、夜の空き地に……ってのは問題があるからな……言うなよ?」
「どうしてです?」
「…かっこ悪いだろ。人の女を見守るなんて。40を越えたおやじのすることじゃねぇよ……」
くすくすと笑われオヤジは、ばつが悪そうに厨房から出ていく。
しばらく後、カーリャが厨房に駆け込んできた。
「行くわよ、ユーン!」
「どうしたんですか?」
「わかったのよ。アニスさんから聞いたペットショップの場所が!」
「でも……」
「仕事? 大丈夫、おやじさんが行ってこいって言ってたから」
ユーンが頷き、エプロンをたたむ。
それを確認すると、カーリャも支度するため早足に厨房をあとにした。
同時刻、フィルはなぜか同行を求めてきたインザーギと一緒に、ブラン伯の屋敷にきていた。
例によって客間に通された二人は、ブラン伯が来るのを待つことになっていた。
「ねぇねぇ…今度、報酬少ないから一緒に旅費稼ごっか…何か市場とかでやったらすぐおこずかい稼げちゃうよ?」
“騎士である私がそのようなことできるか。報酬に関してはあれで了承したはずだ”
「そりゃそうだけどさ……簡単に稼げるんだから…それも騎士道精神ってやつ? 騎士って大変だね」
“誇り高き心だ。大変ではない。戦士としての美徳だ”
ふーんと口をとがらせるようにして言う。
「…ねぇ、猫になるってどんな気分?」
“……地に伏せて歩くような視点で疲れる。騎士が地に伏せるときは死ぬときだ。はいつくばって生きる、このような屈辱はない”
「ええ? もっとポジティブに考えようよ。身軽になって楽しいとか、またたび好きになっちゃうとかさぁ」
“うぬは、ちと変わってるな…”
そう? と首を傾げるフィルに、インザーギが頷く。
しばらくインザーギが沈黙するが、やがて再びぽんぽんと文字を踏み始める。
“うぬに頼みがある”
「頼み?」
“猫にされる前に俺は、国王陛下から頂いた騎士の鎧と剣を持っていた。あれだけはなんとしても取り戻さなくてはならない。手伝ってはくれまいか?”
「おいらは、かまわないけど……どうやって探すの?」
“もしかしたらもう売られたかもしれん。しかし、正規のルートでは売れんだろう。お前が盗賊なら…”
「ギルドで聞けってこと?」
こくりと猫が首を縦に振る。
「……あとは、ブラン伯がインザーギが絡む、騎士達の戦いを知ってたらいいんだけどね」
“いかにブラン伯とて、極秘任務までは知りえないと思うが…”
「……一見、無駄とも思える努力の積み重ねが、やがて実を結ぶっていうよ?」
“うぬは以外に学者だな”
フィルが大きく胸をそらせる。
「おいらのマブダチが言ってた。だからカーリャは、ずっと剣の練習をしてるんだと思う」
“……あの女か。俺は女は剣など振るわず、家庭に入るべきだと思うが…”
しかし、フィルはちっちっちっと指を立てる。
「それは差別だよ。そう考える方が普通なんだろうけどさ。でも間違いなく、カーリャはリアにいちゃんと剣で語り合ってたから、立派な剣士だと思うよ」
インザーギには理解できなかった。
剣で語り合うという意味が。
剣とは、自らを守り、人を守り、敵を討つためのものである。自らの意志の通りに動く、いわば自分の存在を示す意志の証のようなものだ。
会話の手段に使うとはどういうものなのだろうか。
わからぬ……女としても家庭に入る方が幸せではないのか……
「案外広い部屋に住んでるんだな」
そうですか? とルーは言いながら、いくつかの書物を机の上に置いていく。
学院内に入ったことのないサイは、その規模の大きさにまず驚いた。地上からそびえ立つ塔は町のどの場所からでも確認できたが、これほどのものとは思いもよらなかった。きっとこういう場所こそが、一つの文明が滅びた後『遺跡』と呼ばれるのだろう。
ルーの部屋も6階にあるため見晴らしはよいものだった。塔はまだまだ上があるようだが、駆け出しの月魔術師の部屋にしては広いように感じた。
「ここで勉強を始めたのは随分と昔のことですから…僕にはもう普通の環境になってしまっているようです。……さあ、調べましょうか…」
「二人の身元はどうする?」
「フィルが来る途中に調べてきてくれることになっています。…忘れてなければですけど。…そういう情報は盗賊ギルドの方が正確で早く手に入るんですけどね。情報料はかかりますが…」
そう言えばブラン伯も、ロードの出席するパーティーを割り出すのに盗賊ギルドの情報を買ったと言っていたな。おそらく今回も進言すれば経費として出してもらえるのだろうが……道楽なのだろうか…ここまでよくされると、かえって気味が悪いというものだ。
「さて、肝心な呪いなんですが…どうやら…儀式めいたことをすれば月魔法でも可能なようです。しかしそれには、魔法陣とかも必要で時間がかかります。あと考えられるのは古代王国の遺産である何らかの魔導器を使ったとか、失われた月魔法を解読したとか…誰かまではとても特定できませんね…」
「治す方法はないのか?」
「…難しいですね。月魔法の『新月』で、解除できそうなんですが……そんなこと、アニスさんほどの導師でしたらとっくに試しているでしょうし…やはり魔法をかけた本人に会うのが一番てっとり早いですね……いずれにしても油断できない相手です…」
「……そうか。……なぁ、ルー………話は変わるんだが、『封印魔法』って知ってるか?」
「『封ずる者』のですか? アレに関しては文献が不足していて……」
「なら『57の封印』ってのは?」
「57の魔獣を封じたという伝承ですね? それもあまり知られてませんが、一番有名なのは北のムスペルスヘイム火山に封じ込まれているという魔獣『ハイドラ・オロチ』、あとはこの近くの海域に『ゴーゴン』が封じられてるとも言われてます。ただ、封ずる者の存在自体あやふやですからなんとも言えませんが…」
「ヨグは57のうちの一つに入るのか?」
ルーが首を傾げる。
「多分違うでしょう。そんな話聞いたことないですし……。しかし、57という数字は出ていても、57箇所全てがわかっているわけではないので確証はないですけどね……」
そうか…と腕を組んだままうつむく。
ザナの言葉を信じれば父親は今、封印を守るべく各地をまわっていることになる。
ついで、優しい母親の顔が浮かぶ。元気にしているのだろうか…。
母親のためにも…自分のためにも…会わねばならなかった…流浪の父親に…
ちょうど同じ頃、ハーミアもまた学院に来ていた。
アニスが使い魔の契約の儀式を行った部屋……つまり彼女の自室を調べに来たのだ。
ルー達も来ているのなら呼んだ方がいいのではと提案したものの、アニスもさすがに男性を部屋に入れるのには抵抗があるようで丁寧に断られてしまっていた。
導師ということもあって彼女の部屋は10階に位置し、階段を上るだけでも一苦労だった。
「大変ではないですか? 毎回こんなに階段をのぼるのですか?」
「…いえ、普段はほとんど部屋から出ませんから……それに、いい運動だと思ってるんで…」
なるほど、魔術師は体力がないという話はあながち嘘ではないようだ。
ルーもそうなのかしら…と、優しい彼の笑顔を思い浮かべる。
まあ、たしかにあまり体力があるとは思えないけど…
「それで、……どうしましょう?」
「え? ああ、そうですね…まずどのように儀式を行ったのか、具体的に説明してください」
「ええ、参考になるかどうかわかりませんが……」
と、アニスがひとつため息をする。
「どうかしました?」
「あ、すみません。今、インザーギさんが眠られたようなので……」
「……大変ね。もう少しデリカシーのある方とリンクされればよかったのに…」
しかし、アニスは首を振る。
「あの方は騎士ですから…。とても心の強い方なんですよ。……でも、やはり全てのリンクは大変です。…例えば、ハーミアさんがお風呂に入ったとします」
アニスが深刻そうに続ける。
「どこから洗いますか?」
「え? それは……」
「その時目線は? 自分の肌にあまりに手をふれずに体を洗えますか? もし彼の鼓動に反応して自分の鼓動が早くなったら…」
顔を真っ赤にしてうつむくアニス。
「自分の体を見ることも、触れることもできないのです。トイレだって彼が寝ている間に行かなくては……」
あまりにかわいそうなアニスにハーミアは心から同情していた。なんとか助けてあげたかった。
「でも……それは彼も同じなんですよね。いいえ……猫にされて記憶もない上、騎士としてのプライドまである彼の方がきっと大変なんです。私はなにもしてあげられなくて……」
うるうると瞳をうるわせるアニスに、ハーミアが何かに気づく。
「…あの、失礼な質問なんですが……アニスさんひょっとして…インザーギさんのこと……」
顔を赤くしたままこくりと頷くアニスに、イセリアの顔が少しダブる。
「そう………とにかくがんばりましょう。どうやらここには何もないようですが、きっとカーリャ達がなにか情報を手に入れてくれているはずです」
「……ハーミアさん!!」
「きゃあ!」
突然抱きついてきたアニスに思わずハーミアが悲鳴をあげた。
けっこう勢いがあったため思わず後ろのベッドにお尻をついてしまう。
「あの、アニスさん、私、そんな趣味は…」
「ハーミアさ〜ん…」
おろおろとするハーミアに、アニスはぐすぐすと涙ぐみ、その胸に顔をぐいぐいと押し当てる。今まで留めてきたストレスが、ハーミアの優しさで解放されたのだろうか。よほど不安と緊張の日々をおくってきていたのだろう。
大丈夫よと頭をさすりながらも、まさかインザーギさん起きてはいないよねと心配してしまう。
「そうそう、アニスさんに質問があるんですが……」
「……なんですか?」
いまだ目が潤んでいるアニスが顔だけを上げる。
「ザナという名の導師を知っていますか?」
「……ザナ? たしかかなり高位の導師さまの中にそんな名前があったような気がしますが……それが?」
「……うん。……今もこの塔にいるのかしら?」
「……どうでしょう……いると思いますよ……」
そう…と、ハーミアはあまりいい顔をしない。
「あと一つ……どんな病気も治せるマジックアイテムとかって聞いたことありますか?」
「………病気…ですか。フェラーナの町にある神殿に、高額ですがたしかあると聞きました」
「フェラーナ? そこに行けばあるのね!」
「もうないですよ。たしかシェイプチェンジャーの盗賊団『ナインズ』に奪われたとか聞きましたから…」
「ナインズ……」
「……事情は分かりませんが…あきらめた方がいいですよ。彼らは、強盗、強姦、殺人となんでもする犯罪者集団ですから。ハーミアさんのような綺麗な人が行ったら、交渉する間もなく襲われてしまいますよ。最近世間を騒がせている『キャットアイ』の方がまだましです」
やはり残念そうに頷くハーミア。
「…どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないの。気にしないでください」
不思議そうな顔で見上げるアニスに、ハーミアが微笑みかける。
イセリアの時と同じ……悪い人ではないようだった。もし、インザーギも彼女の言うとおりの人なら、それほど悪い人ではないのだろう。ただ、不器用なだけなのかもしれない。サイも少しそんなところがあるし……
とにかく今は、彼女たちを助けるのが先決だった。
ペットショップに着いたカーリャとユーンの二人は早速、店長にアニスの買った猫の話をもちかけていた。
犬や猫の専門店らしく少し臭いはきついが、可愛らしい犬や猫が所狭しと檻に入れられ並べられていた。
ユーンもかわいらしい子犬を抱えて楽しそうだった。抱える子犬が、心なしかオレアデスに似ているのは偶然ではないのかもしれない。
きっとユーンは本当にオレアデスが好きなんだろう。
「その猫なら『カリアリ』から流れてきたやつだなぁ…」
「カリアリ?」
「そう、あのバッツィオに本拠地があると言われるサーカス団さ。今はレッジーナに特別興行に来てるんだ。で、なんでもレッジーナまでの移動中に動物が増えたそうで、売りに来たんだよ」
二人が顔を見合わせる。
「カーリャさん……たしかインザーギさんが、サーベルタイガーとかライオンを見たと言ってました」
「それに……エムボマ……だっけ?」
「おう、そいつはたしか団長の名だ。そいつから買ったんだよ」
二人はもう一度顔を見合わせて、きゃあと抱きつきぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「すごいわ、ユーン。大当たり!」
ユーンも嬉しそうに頷く。
「他には流れてきてないんですか? そのサーカス団からは…」
「ん? ああ、今んところはそいつだけだな」
「……インザーギさんの他にはいないということでしょうか?」
カーリャが首を傾げる。いないと願いたいけど……実際の所まだそうとは決められなかった。
「店長さん、そのサーカス団って今はどこにいるの?」
「…郊外に行けばいるはずだぜ。まだ、公演はしてないけどな……準備中だってさ。…あんたらそんなことも知らないのか? 数週間前から来てるのに……」
その頃は無人島にいたもんと、心の中でカーリャが愚痴る。
「ありがとうございます。……カーリャ……」
カーリャも頷き、店長に礼を言う。
どうやら、そのサーカス団が怪しいのは間違いないようだった。
「どうする? ユーン。ちょこっとだけ客をよそおって、下見に行く?」
「………たしかに、場所だけでも調べた方がいいのかもしれないけど……」
カーリャが考える素振りを見せる。
実際、場所くらいは把握しても損はないだろう。
「………どうしようかな…まだ、時間もあるし…」
しかし、なかなか決断に困るのも事実だった。
蒼き月の周期に
彼らの二つ目の冒険が始まった。