『満月のハナシ』外伝 【精霊が認めた理由】
レッジーナは港町としても有名で、一日を通して貿易船の往来も激しいものだった。
バッツィオとの交易も、航路を変えることによって、海難事故もなくなってきているようだった。
その辺のブラン伯の対応の早さはさすがと言うべきだろうか。
サイはそんな賑わう港から少し離れた海岸で、相変わらず釣りをしていた。
ここは2日前までイセリアがいた場所だった。
もちろん目的なくここにいるわけじゃない。サイには少し気にかかることがあったのだ。
「サイ?」
背後から聞き覚えのある声がした。
振り向けば少し体が大きくなったオレアデスを胸に抱えるユーンがいた。
「…そう…………気づいていたんですね?」
「ああ、まぁ…な。……オレアデス…少し立派になったな」
ユーンはオレアデスを地面におろすと、こくりと頷く。
ユーンの精霊を使役するための魔力が上がったのだろう。術者の力が上がりオレアデスも物質界で、より本当の姿に近づいて現れるようになっていた。
「この子、本当はベヒモスなんです。でも私の力が未熟だったから本来の姿をとれなくて……このままでもかわいいから私は好きなんですけどね」
「そうか…」
「……サイ…」
「…………来た…」
サイは釣り竿をしまうと、腰の水袋を空中でこぼしネレイデスを呼び出す。
「俺がやる。俺の不始末だし……なにより、水の精霊使いの俺の方が相性がいいだろうしな」
「……気をつけてください」
サイは振り向かずに頷くと、海岸の方をじっと見据える。
………あの日から48時間以上がすぎていた。物質界でダメージを受けすぎたオケアニデスが精霊界に還り、再び姿を現すのには十分の時間がたつ。ユーンはサイよりも精霊力が強いから、なんとなく現れることに気づいたのだろう。サイはあの日からここで、再びオケアニデスが現れるのを待ち続けていた。
オケアニデスが復活したところで、ここにはもうイセリアはいない。
主を失った精霊はひたすら主の帰りを待つことになる。そのまま放っておいてもいいのだが、送還したのは自分だし、なにより帰らぬ主を待たせ続けるのは忍びなかった。それにオケアニデスに最後に出された指令は攻撃命令だった。その命令が生きている可能性は大きく、いずれ怪我人がでて、さらには討伐されてしまうだろう。
しかし、精霊の説得は骨の折れる作業だった。もともと精霊は契約者の言葉以外には耳を貸さないものだ。
考え得る方法は瀕死にしての説得か、力を示して従えるか………どちらにしても戦闘は避けられない。
その時、突如としてそれまで打ち寄せていた波が全くなくなる。
異様な静けさの中、オケアニデスは現れた。
サイがあの夜の光景を思い出す。
“聞いてくれ! オケアニデス! お前の主はもういない! あの時の命令も、主のものでは……”
オケアニデスは表情を変えることなく、水の槍を一瞬にして生みだし、数本連射した。
サイが舌打ちをしながら後方に飛びかわす。
「くそ、聞こえているはずなのに!」
“去ね……弱き生物よ”
オケアニデスが片手をあげると、海水が大きく持ち上がり、一気にサイに襲いかかった。
サイが大きく目を見開き、ネレイデスの名を叫ぶ。
が、巨大なハンマーに叩きつぶされるような衝撃を受けサイはその場で崩れてしまった。
「サイ!」
悲鳴にも似た声を出し、ユーンが駆け寄る。
そこにオケアニデスが二撃目の波を叩きつける。が、間一髪オレアデスの作り出した壁がそれを防いだ。
オレアデスはそのまま巨大な土のつららのような物を作りだし、オケアニデスに向けてとばす。
“オレアデス、だめっ!”
ユーンの言葉に反応し、土のつららはオケアニデスに当たる寸前に微塵となり消失した。
ざばっと細かい土をかぶりながらもオケアニデスはその瞬間を逃さず、ユーンに対し波を放つ。たまらずユーンがサイをかばうようにし、そのまま意識を失ってしまった。
尚も攻撃をしようとするオケアニデスの間に、今度はネレイデスが立ちはだかる。
“何のつもりだ、ネレイデス。我よりも下位の精霊であるお前が、我に刃向かうだけでも大罪なのがわからぬか?”
“その通りです”
“ならばそこをどけ”
“…できません。私の主を殺させるわけにはいかないのです”
“ぬしの主は弱き者。見よ、あの程度の攻撃で気絶しておるではないか”
ネレイデスが沈黙をする。
“ぬしもだ、偉大なる土の精霊王ベヒモス。何故、かような弱き者を主に選ぶ”
オレアデスが黙ったまま、ユーンを守るようにして立ち上がる。
“愚かなり…オケアニデス。我が主は誰よりも強い”
“なに?”
“私の主も同じです。主は劣等感、憤怒、悲哀、その感情を力にかえることができます。表面的な力では計ることはできません”
“オケアニデス。わからぬなら我がお相手いたそう…”
オレアデスが身構えると、オケアニデスが身を引くように後ろに下がる。
“……よい。ぬしがそう言うなら、我はそれが本当か見届けさせてもらう。もしもぬしらが間違っていたときは、上位精霊として我がぬしらに審判をくだすまで……”
その言葉を最後にオケアニデスはその姿を消してしまった。
それからどれくらいの時間が経過したのだろう。
脳震盪から回復したサイが、頭を振りながら体をおこす。
「……っく、どうなったんだ?」
そこにはオケアニデスの気配はなくなっていた。かわりに、ネレイデスがもどった水袋と、オレアデスの触媒である白い天然石がころがっていた。
「そうだ! ユーン、ユーンは?」
慌てて周りを見回そうとするがすぐにそれをやめる。自分の膝に頭をのせ眠るようにして気を失っているユーンをすぐに発見できたからだ。
どうやら気を失っているだけで、外傷はないようだった。不思議とその表情は穏やかだった。
……しかし…こいつってこんなに…
「……か、かわいい…」
思わず口にしたことを後悔し、誰かに聞かれてないだろうなと辺りを見回す。
そして一人顔を真っ赤にし頭をぶんぶんとふる。
…なにを考えてるんだ。仲間に対し…
「と、とにかくハーミアのとこに行くか…」
サイはそう言って立ち上がり、水袋と白い天然石を拾うとユーンをおぶって、ブラン伯邸に向かって歩き始めた。