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『満月のハナシ』外伝 【卵サンド】

 やわらかな光が、窓から差し込んできていた。

 ハーミアが小さく呻き、ゆっくりとその瞳を開ける。

 視界には少しだけ見慣れてきた自分の部屋があった。

「……ん」

 ふかふかのベッドの上で軽く体をのばし、やがてゆっくりとその体を起こす。

 リュッテルの屋敷に住むようになって数日が過ぎ、ようやく彼女もこの生活に慣れてきていた。

 ハーミアは7時をまわっていないことを確認すると、いつもどおりに服を着替え始める。そして簡単に髪の毛に櫛を通し、足早に1階の台所に向かう。

 朝が早いためか、使用人の姿はまだなく屋敷の中は静かなものだった。

 ハーミアはそのまま誰もいない調理場に入り、朝食の準備を始める。このところ、リュッテルのために卵サンドを作ることがハーミアの日課になっていた。 

 彼女なりに気を使っているのだろう、ハーミアは毎朝リュッテルのために早起きし朝食を作っていたのだ。

 リュッテルはスポンサーとはいえ全員の宿の面倒をみたり、ハーミアに対しては本当に娘のように気遣いかわいがってくれていた。ハーミアの性格上、その気持ちに少しでも答えなくてはと思うのは至極当然のことだろう。

 もちろん、養女になったわけではない。返事に関しては濁したままである。それにも関わらず優しくしてくれて、なおかつ赤の満月の夜にサイ達を助けてくれたことも仲間達から聞かされ、ハーミアの閉ざされた心の扉も少しだけだが開いてきていた。

 しかしハーミアが、リュッテルの朝食を用意する理由はそれだけではなかった。

 それは昨日のことである。

「おはようございます。今日もお早いですな…お嬢様」

 調理場の入り口から呼びかけられる。声の主は執事のセバスチャンだった。

 年齢的にはブラン伯と同じに見えるくらいで、カールがかかった茶色い髪に整えられた髭が、痩せている彼には、なんとも上品に似合っていた。

「おはようございます、セバスチャンさん。でも、そのお嬢様という呼び方は……」

「あっ、これは失礼しました。旦那様からも言われていたのですが、以後気をつけます」

「そ、そんなにかしこまらないでください」

 深々と頭を下げるセバスチャンに、ハーミアが少し慌てるようにして言う。

「……なにか手伝えることはありますか?」

 セバスチャンの申し出に、ハーミアがとんでもないと首を振る。

「これくらいはしないと……大丈夫です。ありがとう」

 セバスチャンは軽く礼をすると、洗い終わった食器をかたずけ始めた。

 ハーミアも途中だった料理を再開する。

「たまご……たまご、と」

 ハーミアが楽しそうに料理をするのをみて、セバスチャンが嬉しそうに頷く。

「………ハーミア様には感謝しています」

「……朝食のことですか? でもこれは………」

「いえ、それだけでも旦那様にとっては大きな幸せなのです。あなたがここに住んでくれていることだけで、旦那様に笑顔が戻りました。リア様がいらしてくれていたあの日を思い出します」

「………リアさんってどんな人でした?」

「優しいお方でした。あなたのような……。旦那様のご病気を直すんだって申されて、随分と無茶な冒険を繰り返しておいででした……」

「ブラン伯はなにか病気にかかっているのですか?」

 セバスチャンが無言で頷く。その瞳はひどく悲しげだった。

「ちょうど一年前に…肺を悪くされまして……お医者様も司祭様も直す手段がわからないと………」

「……そう…だったんですか…」

「もってあと一年だそうです。…それでも旦那様に惹かれたもの達はこの屋敷を離れませんでした。最後までお仕えすると……もちろん私もです。ですから最近旦那様が楽しく時を過ごされているので、みんなハーミア様には感謝しているのですよ」

「……私にはなにもしてあげられないし……なにも恩を返せないかもしれません………」

「…あなたがこうして自主的に朝食をつくってくれるだけで旦那様は幸せなのです……。あなたはあなたの思っている以上に、ここでは大きな存在なんですよ。あなたの笑顔で、旦那様も幸せそうにお笑いになる。それはここに残った使用人達ではできないことなのです。胸を張ってください」

「………しかし……」

「……きっとあなたのその優しさに旦那様はお惹かれになられたのでしょう…。さあ、私は旦那様を起こしてきます。どうぞ、食事のご用意を……」

 ハーミアはなにも答えられずにいた。

 今の自分にできることは何もないように思えた。

 もしかしたらもう救えないのかもしれないエヴェラード。そして大病を抱えるブラン伯。

 彼らに何がしてあげられるのだろう。私は神官でありながら、力を求められても何もできない非力な女だ。人間になるという自分の欲望だけで、今の自分を支えているのが現状だ。

 しかし、ザナのように割り切ることもできない。欲望に忠実に生きるのはハーミアのような女性にはとても難しく、酷なものだった。

 ただそれでも、この数日間に感じた…幸せそうなイセリアを見送り、ここに住むようになり…なんだかひどく懐かしいこのぬくもりのようなものを、今はまだ手放したくないのも事実だった。

 心から自分の幸せを祈り、優しくしてくれるブラン伯に何かしてあげられるのだろうか。

「………私は……どうすれば………」

 深く悩み続けるハーミアをじっと見ていたセバスチャンが、優しく肩に手をおく。

「なにも考えずに朝食をおつくりされればよいのです。できることから一つずつやればよいのですよ。何ができるのか分からないのであれば…ゆっくり考えて見つけてください。きっと見つかりますよ」

 ハーミアが子供のように、黙って頷く。

 見つけられるのかどうかわからないが、そう言われると不思議に見つかるような気さえしてきていた。

 すくなくとも、今の自分にできること。

 それは、あったかい卵サンドをつくること……

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