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act.5 人魚の瞳にウツリシ幻

 少女は、赤い月が好きだった。力あふれる情熱の赤。

  狂気じみた赤い月は、見上げる少女に静かに光を浴びせていた。

   しかしその少女は、あの神聖な美しい歌声を失ってしまっていた。

    狂気を退ける術をなくした彼女は、残る力を振り絞り砂浜に言葉を残した。

     まだ見ぬ彼への愛の言葉と…短い別れの言葉を…


 出港から15日目の満月の夜、カーリャとフィルの二人は急な選択を迫られていた。

 イセリアか…ザイルブレードか…それは、あまりにも難しい選択だった。

 フィルは責任を感じてか、ザイルブレードを取り返すことだけを考えていたが、カーリャはやはりパーティーのリーダーとして、イセリアのもとに向かわねばならないと感じていた。

 しかし、傷を負ったフィル一人にザイルブレードのことを任せるわけにもいかず、どの選択肢も苦しいものになっていた。

「カーリャ、とにかくおいらだけでも、あいつらを追っかける!」

「…ダメよフィル。今追いかけたらイセリアがどうなるかわからないもの。私はパーティーのリーダーだから…自分の都合でイセリアとの約束を破るなんてできないよ!」

「…カーリャ…おいらこのままじゃリアにいちゃんにあわせる顔がないよ…。絶対に無理はしないから…」

 だけど、とカーリャは否定的な表情を浮かべるが、フィルの決意に満ちた瞳を理解し、やがてあきらめたかのようにため息をついた。

「…………わかった。でも約束よフィル。絶対無理しちゃダメだよ!あんただって私の大切な仲間なんだからね!」

 カーリャはそう言うと首にかけていたペンダントをフィルに渡す。

「……これはね、私の大切なお守りなの…絶対、あとで返してもらうからね…」

 フィルは頷くと、窓に身を乗り出し躊躇無く身を投げる。

 あっと、カーリャが窓際に駆け寄ると、フィルの姿はもうなくなっていた。

「………よし、私も行かなくちゃ!」

 カーリャは『ユング』を鞘に納めると深呼吸をひとつし、ブラン伯の屋敷に向かうべく急ぎ足で化粧室を後にした。


 赤い月の光がサイの体を照らしていた。

 サイは黙々と人気の無くなった道を、布にくるまった槍につかまりながら、痛む足をかばいイセリアのもとに一人向かっていた。

「そうだ。これが現実だ…仲間達との関係に甘え、勘違いしていたんじゃないのか?」

 サイの脳裏にアルフレッドの言葉が反響する。

“お前のような亜人など視界にも入れたくないんだよ”

「……俺は俺。ならば人間も所詮人間か…」

 しかしそれに反するように、先ほどイセリアの所に行くと言ったときの、ユーンの心配そうな表情が浮かび上がる。

 ついでこの数日間、奇妙な運命をともにした仲間達も思い浮かべる。

「…本当に信じるに値するのか? 受け入れてもらう必要があるのか?」

 自問自答しても、いっこうに答えはでなかった。人間に対する不信感を無くすために出た旅…しかし、人間の冷徹さ、残酷さは変わらぬものだった。

「……これ以上、旅を続ける意味は…あるのか…?」

 種族が違うというだけで、どうしてこんな仕打ちに会わなければならないのか、サイにはわからなかった。

 人間という生き物は繁殖力が強く、たまたま数が多いだけなのに、まるで世界は我が物のように思い暮らしている。

 しかしそれに対抗する術がない以上、自分に残された道は和解という名の服従か、それとも孤立という名の自由しか残されていないのだろうか……


「さて、若い魔術師さん。どうするのかしら? 黙ってその娘を渡してくれたら、あなたには危害を加えないつもりだけど…」

 薄暗いテラスで、ザナが怪しく微笑む。その傍らにはすでにセリエが控えていた。

「残念ながら、ハーミアを渡すつもりはありません」

 いまだ虚ろな瞳で見上げるハーミアを胸に、ルーはザナに対し一歩も引く気配を見せなかった。

「そう……私とセリエを相手に勝てるとでも思っているの?」

「…無理でしょうね」

「なら…」

「…ねぇザナ、さっさとこいつ壊しちゃおうよ」

 変わり果てた邪悪さを見せるエヴェラードに、ハーミアは絶望の色を隠せなかった。かろうじて正気でいられるのも、全てを受け止めてくれたルーが傍にいてくれたからに他ならなかった。

「幻術に無音の魔法……そこまでしてこの場を隠すということは、どうやらあなたは必要以上に人間を巻き込みたくないようですね」

 顔色ひとつ変えないザナに対し、ルーはゆっくりと呪文を唱え始めた。

 しかし、すぐに自らの異変に気付く。

「…言い忘れてたけど、先ほどあなたの古代語は封じさせてもらったわ。騒ぎを起こして私たちを退散させるつもりのようだったけど……残念ね」

 勝ち誇ったような笑顔を見せるザナに、ハーミアがあることに気付いた。そしてすぐにそれを実行する。

『レン!』

 ハーミアの短い神聖語とともに、突き出した掌から光輝く衝撃波が飛び立つ。

 そして瞬く間に数枚のガラスが、大きな音とともに砕け散った。

「どうせなら私の声も封じておくべきだったわね、ザナ」

 部屋の中からはすでに騒ぎ声が聞こえ始めていた。

「…………まあ、いいわ。今回は挨拶にきただけだから…また近いうちに会いましょう…」

「ザナ、まとめて殺っちまおうよ」

「控えなさい、セリエ。私はスマートに話を進める主義なのよ」

 不満そうなセリエに対し、ザナが呪文を唱え始める。

「…じゃあね、お二人さん。よい夜を…」

 その言葉を最後に、二人は姿を消してしまった。

「……ルー…」

「行きましょう、みんなが待っています…」

 ハーミアは黙って頷くと、ルーの腕に捕まりながら立ち上がる。

 それでもショックを隠しきれないハーミアに、ルーは自分の上着を優しくかけその手を取り、集まる人混みに身を投じた。

「……ごめんなさい、ルー。あなたまで巻き込んでしまって……」

「…彼は…誰ですか?」

 ハーミアが豹変したエヴェラードを思い出す。忘れたつもりでも……自分を斬った男でも……まだ彼への気持ちは断ち切れていないようだった。

 ヨグが支配したということは、彼を救うことはほぼできないことを意味している。私はいったいどうすればいいのだろう…

「………私の…婚約者です。エヴェラード…でも今はもうヨグの支配下にあるみたいでした。……あの人との結婚式の時に、なぜか私、変身してしまって……」

「意識せずに、変身したのですか?」

 ハーミアは頷き、今にも涙を流しそうな瞳を向けて続けた。

「私自身、捨て子だったから…当然のように自分が人間だとばかり思っていて……彼も驚いていたわ。…そして彼は…」

「…わかりました…もう、大丈夫ですよ…」

 ルーは泣き崩れそうなハーミアをしっかりと支え、ふるえる肩に手をまわす。その先は聞かずとも、大体は想像ができていた。

 ハーミアがどうして今まで、他人に対して強い警戒心を持っていたのか、どうして人間は冷たい生き物だと言い続けてきたのか、ルーはその理由が少しわかったような気がした。

「どちらにしても、彼の考え方は間違えていました。あなたを救うために……あなたを愛すが故に殺す……そんな考え方…僕は認めない。…それはハーミアを救うことにならない。僕なら…」

 ルーはそこで言葉を止め、ハーミアの方に顔を向ける。

「…僕が…証明してみます。…それ以外の方法で、あなたを救えることを…」

 ハーミアにはどうしてルーがそこまで優しくしてくれるのか理解できなかったが、ただただこの旅で出会えた仲間達に感謝していた。

 …もし、これがプラティーン様がお導きになった道だというのなら、私は心から感謝します。でも…やはり同じ神を信仰していても、ザナは許せない…ザナのやり方は間違えている…

 普通の宗教なら同派同士で対立することはそうそうある話ではない。しかし、プラティーンは例外のようだった。プラティーンの信仰をあまり表に出さないのは、実はそのためなのだろうか。

 同じ神を信仰しながらも理解しあえない信者、プラティーンの信仰が広がりにくく、ストイックな信仰になりがちな理由はそこにあるようだった。

「行きましょう、イセリアのもとに…。今ならまだ間に合うかもしれない…」

 ハーミアの瞳に再び希望の光が宿り始める。

 ルーはそれに答えるようにゆっくりと頷き、ハーミアを導くようにその手を引っ張りパーティー会場から抜け出していった。


「私、やっぱり行きます。あの怪我じゃ心配だし…」

 ユーンは先にイセリアのもとに向かったサイのことが気になるのか、急いでマントを羽織ろうとする。

 怪我もそうだが、ユーンはなによりもアルフレッドの暴言が気になっていた。あまり顔には出していなかったが、少なからずサイが落ち込んでいるように見えたのだ。

「ごめんなさい、ブラン伯さん。みんなが来たらこの地図を渡しておいて下さい」

「…わかりました。夜道は危険です。気をつけてください」

 ユーンはブラン伯に深々と頭をさげてお礼を言うと、革袋から白い天然石を取り出す。

 そして大きく深呼吸をひとつし、友の名を呼びかける。

『ユルネリア・ライクォーツの名において命じます。盟約に従い、いでよオレアデス』

 ユーンの精霊語に反応し、その石はまるで液体のように形を変え、小さな狼のような姿になる。

「この子がいるから大丈夫です。じゃあ、私も先にイセリアのところに行って来ます」

 ユーンは心配そうに視線を投げかけるブラン伯に感謝し、足早にサイを追っていった。

 怪我をしたサイに追いつくことはそんなに難しいことではなかった。

 数分とせずにオレアデスが、海岸に向かうサイを見つける。

「待って、サイ!」

 聞き覚えのある呼び声にサイが足を止める。

「…どうして来たんだ? 時間までみんなを待っててくれと言ったはずだが…」

「……うん。だけど……」

「…俺を心配して来たというなら、大丈夫だ。屋敷にもどれ」

「サイ…」

 オレアデスを抱きながらうつむくユーンに対し、サイはため息を一つし仕方なさそうに同行を許す。

「あの…サイ。もしアルフレッドに言われたことを気にしているのなら…」

「……気にはしてない。あれが現実なんだからな。今までとなんら変わらない現実だ…。そしてこれからも変わらない現実…」

「だけど、全ての人間がああではないはずです。貴族のような昔からの格式を重んじる人はともかく、少なくとも私たちはそんな風に思っていません……」

 黙して語らぬサイに、ユーンは続ける。

「…それに…私もアルフレッドの言葉には頭にきましたから…」

 その言葉をきっかけに、サイはユーンの思いもよらない行動を思い出した。

 アルフレッドの暴言に対し、ユーンは彼の頬をはたいたのだ。

「………あれは、いい一撃だった…」

「あっ、あれはつい、…あんなことするつもりはなかったんですよ」

 顔を赤くして慌てるユーンに、サイが微笑む。

「…いや、たしかに意外な行動だったが…嬉しかった…」

「そんな、私は何もしてません…。私の方がサイには助けられっぱなしだけど…」

 照れるようにうつむくユーンに、サイはほんの少し救われる思いをした。

 ユーンの言うとおり、アルフレッドの行動は許し難いものがあった。しかし、それで全ての人間を否定するのは間違いかも知れない。

 少なくともサイは、この仲間達は信じていたかった。


 ブラン伯の屋敷に到着したカーリャは、すぐにドレスを脱いで新調した鎧に身を包んだ。

 そして急いで、1階の客間に向かう。

 いち早く到着していたルーとハーミアは、すでに着替え終わっていた。

「おまたせ、あなたがロードさんね?」

 美しい金色の髪をした青年が立ち上がる。パーティーの途中で抜け出したせいだろう、モーニングコートがよく似合っていた。

「初めまして、ロード・マイレスといいます」

 礼儀正しくお辞儀をする青年に、ハーミアは素直に好感が持てた。

「先ほども言いましたが、彼女…イセリアは人間ではありません……今は人間の格好をしているかもしれませんが…もとはマーメイドです。もし彼女を傷つけるような返事をするつもりなら、今ここで返事を聞かせて下さい。私たちが彼女に伝えます」

 しかしロードは、ハーミアの言葉に首を振り答える。

「実際会ってみないとなにも言えないけど、何年も前から僕のことを想ってくれているなんて、言葉では表現できないほど嬉しいんです。ぜひ会わせて下さい。…種族なんて関係ありません」

 決意に満ちたその瞳に、ハーミアが頷く。もしかしたら、なんとかなるかもしれない…そんな思いがハーミアの中に広がっていた。

「ところで、カーリャさん。フィルはどうしたのですか?」

「…その辺の説明は道中でするわ…こっちも気になることがあるしね。…例えば今、イセリアが人間の姿になっているかもしれない…って言ってたよね…」

「そうですね、それも説明しなくてはいけませんね。…では早速、行きましょうか。あんまり遅いと、サイ達が心配しますし」

「あっ、ちょっと待って…」

 慌ててカーリャが立ち上がり、壁に掛けてあったサーベルを手に取る。

「ブラン伯さん、この刀借りてもいいですか?」

「かまいませんよ。…見ればザイルがないようですが…」

「ごめんなさい、それもあとで説明します………。と、一応お聞きしますが、この剣ってもしかして高いんですか?」

「一応アスーソン作のサーベルですが、気になさらずに使ってやってください」

 聞いたことのある名だった。ザイルやユングに比べると遠く及ばないが、それでもなかなかの名匠で値段もそれなりにはるものが多い。

「ああ、それから私のことはリュッテルとお呼び下さい。ブラン伯ではどうにも堅苦しくて、落ち着きません」

 笑顔のリュッテルに、カーリャは感謝の言葉を述べサーベルを腰に差す。

「じゃあ、行きましょう。イセリアのもとへ…」

 ハーミアの言葉に、一行は大きく頷いた。


「剣返せー!」

 フィルが叫ぶ。

 キャットテイル三姉妹、自称義賊の『キャットアイ』の追跡劇は熾烈を極めていた。

 赤月に映えるそのシルエットは屋根から屋根へ身軽に飛び移り、地面に飛び降りては塀を越え、キャットテイル特有のその超人的な身軽さについていけるのはフィルだけのようだった。

「あの子、がんばるわね…」

「さすがの姉さんも、びっくりって感じ?」

「ここは一番年下の、あたしがいくにゃ!」

 まだ猫語尾が抜けきれない妹の申し出に、二人の姉は不安げに顔を見合わせる。

「…無理しないようにね、いつもの場所で会いましょう」

 妖艶なフェロモンを放つ姉の言葉に、まだ少しあどけなさが残る妹が応えるようにきびすを返す。

「ここは通さないにゃ!」

「どっけぇぇい!」

 勢い任せのフィルの跳び蹴りを屋根の上にもかかわらず、こともなげにひらりと交わす。

「…い、いきなりなにするにゃ!」

「剣返せ!」

「にゃ?」

「にゃじゃない! ザイルブレード返せって言ってんだ、この猫娘!」

「ねねねね、猫娘ぇ!? チビのくせに、失礼にゃ! あたしにはシメオネっていう極上の名前があるにゃ!」

 シメオネは尻尾をたてて、だんっだんっと地団駄を踏んだ。

 しかし、フィルはさらに神経を逆撫でするように水着のような服を眺めながら、ぷぷっとふきだす。

「…子供」

「にゃにゃにゃ、にゃんて極上に失礼な奴にゃ! これでもあたしは16にゃ! たしかに姉さん達に比べれば胸も小さいけど……ってなにを言わせるにゃ!」

「自分で言ってんじゃ世話ないや」

「にゃー! ももも、もう怒髪天を突いたにゃ!」

「にゃあにゃあ言うな、訳分かんないよ! いいから剣かえせ!」

「だいたい、剣、剣ってなんの話にゃ!」

「だぁぁあ、人の話聞けよ! おいらから奪ったザイルブレード返せってんだ!」

 シメオネが、にゃ?っと考える素振りを見せる。

「ああ、あの剣ならもうとっくにクラウディオ姉さん達が持っていったにゃ」

「なんだって!?」

「だいたいにゃぁ、あの剣あんたのじゃないにゃ? あたし達はあの剣の正当な所持者に依頼されて、取り戻したんだにゃ」

「正当な…所持者?」

 フィルが驚いたように言う。あの剣の正当な所持者はリアである。依頼されたということはリアが生存していることになる。

 しかし、そこにはある疑問が生じた。

 もしそうなら堂々と、取りにくればいいのだ。リアだってカーリャに会いたいはずだし、なにも盗賊を雇ってまでして奪う必要はないのだから。

「本当に正当な所持者? 名前は?」

「依頼人の名を簡単に言うわけないにゃ。あたしは極上の義賊にゃ」

 ちっちっちっと指を一本たてて、誇らしげに幼い胸を反らせる。

「…片腕の剣士、リア・ランファースト…」

「にゃ、にゃんでわかったにゃ!? ……………あっ…」

 大げさなポーズで驚くシメオネに、フィルが心底あきれた顔を見せた。

「…あ、あー! なんか感じ悪い顔にゃ! 今、あたしのことを馬鹿な奴と思ったにゃ? なんてやな奴にゃ!」

「とにかく、リアにいちゃんに会わせろー」

「わ、やめるにゃ! どこさわってるにゃ!」

「にゃあにゃあ、うるさいんだよぅ! この未熟猫!」

「も、もう極上にどたまにきたにゃ!」

 どんっとシメオネが、フィルの水月に膝をたたき込む。フィルはあまりの痛みに思わずうずくまった。

「しつこい奴は嫌われるにゃ。あんたみたいなチビに、このあたしが負けるわけないにゃ!」

 シメオネはぱんぱんと手をたたきながらそう言うと、屋根から飛び降りていった。

 フィルはそれを見送ると、お腹を押さえながらごろりと転がり仰向けになる。

「…………へへ、でも盗賊としての腕はおいらの方が上さ…」

 その手にはシメオネから奪った『依頼人の隠れ家』と書かれた地図が、しっかりと握られていた。


「行きなさい、セリエ…」

 ザナが窓から見える景色を眺めながら命じる。

 眼下には雲の隙間から洩れてくる、赤い光にてらされた町並みが広がっていた。

 ここが塔の上層部ということもありレッジーナの町や海岸、さらには地平線に消える街道までも彼女の赤い右目はとらえていた。

「ええ? 本当に行くの? めんどくさいなあ…」

「あそこには、あなたにとって邪魔な者が現れるわ。そして、あなたはそいつを倒せない。私も彼らに倒すヒントを与えたつもりだけど…完全に倒すには、あなたに出てもらうしかないのよ」

 セリエは少し不満げだが、やがてしぶしぶと頷く。

「…あんたの頼みじゃしょうがない、行ってくるよ」

 ザナはそれを聞くと、黙って術を行使し始めた。

 瞬間後、セリエの姿がなくなってしまう。

 ザナはしばらくセリエのいた場所を眺めていたが、やがて使いなじんだ水晶球に目をおとし、プラティーンに小さく祈りを捧げた。


 サイとユーンが約束の海岸について数十分後、ロードを連れたカーリャ達も到着した。

 しかし、とうのイセリアの姿はなく一行は少し焦りつつあった。

 とりあえずサイの傷をハーミアが治し、これまでのいきさつをお互い簡潔に説明する。

 その中で重要な点はひとつ、イセリアはすでに人間の姿をとっていること。この際ザナは後回しである。ザナの方からやってこない限り、手を出せないのも理由のひとつであった。

 結局のところ一行は探す手だてもないので、ただひたすらにイセリアを待ち続けるしかなかった。

「屋敷から出た時間から考えて、あれから30分くらいはたつから……あと30分で日付が変わるわ…」

 ため息混じりにカーリャが言う。このまま現れなかったら……と一瞬考え、それを否定するかのように頭をふる。

 そして気を紛らわすためか、海岸を歩き始めた。

「彼女はどこに行ったんですか?」

 ロードの言葉にユーンがわからないと首を振った。

「…ねぇみんな、これって……」

 しばらく歩いたところでカーリャが何かを見つけたのか、地面に指を指していた。

 自然とその先に視線が集まる。

 それは砂浜に記された文字だった。

『愛しの彼へ せめて名前が知りたかった 大好きです。そしてみなさん、ありがとう。それから ごめんなさい』

「これは…?」

 ロードの言葉に誰一人答えられなかった。これが何を意味するのか本当にわからないのだ。

 ただその文字の弱々しさが、ただならぬ状況を想像させていた。

「…ザナは、どうやって薬を飲ませたのでしょう。実際にはセリエが何かしたとは思うんですが…」

 しばらくしてハーミアがずっと抱えていた疑問を口にする。

「…無理矢理とは考えにくいですね…」

 ちょうどそうルーが答えたときだった。何の前触れもなく、じゃりっと砂を踏む音がした。

 一行はイセリアが来たと思い、音がした方に目をやる。

 しかしそこにイセリアの姿はなかった。

 代わりにいたのは美しい金髪に深い緑の目の男、ルーとハーミアには忘れられない顔だ。

「セリエ! なにをしに来たの?」

「こいつがセリエっ!?」

 ハーミアの言葉に反応しカーリャがサーベルに手をかける。

 遅れてサイが槍を構える。

「おっと、今回は戦いに来たわけじゃないから……とりあえず見物にきたんだ」

「エヴェラードを返して!」

「…たしかに、このエヴェラードって人はお姉ちゃんと婚約した仲のようだけど、お姉ちゃんの物じゃないからねぇ……返せと言われて返すわけにはいかないよ」

 ハーミアが否定的に頭を振るが、セリエはますます邪悪な笑顔をみせる。

「それに、僕がこの人を解放するのはまだ先だよ。少なくともこの体よりも強い体を手に入れなくちゃいけないし…例えば、船で見た片腕の剣士とか…それか、そこにいるカーリャって人でもいいなぁ…」

「なっ!? ふざけないで! 誰があんたなんかに!」

「やだなぁ、そんなに怒らないでよ。まだ先の話さ……それにね、その前にこの体で悪いこといっぱいしなきゃいけないしね。この人の意識を起こした状態でぇ、いろんな人殺してぇ、犯してぇ、破壊してぇ……」

 セリエは楽しそうに指折り数えながら、にやにやと笑う。変わり果てたエヴェラードを、ハーミアはとても直視できなかった。

「話の流れがよく飲み込めないけど、そんなことはさせない!」

 ロードが腰の剣をスラリと抜き、セリエに向かって構えた。

「ちょっと待ちなよ、剣を向ける相手を間違えてるよ? 君らの相手はあっちだよ」

 一行がセリエの指さす方向に顔を向ける。

 そこにはうつろな目をしたイセリアが、無気力に立ちつくしていた。その傍らにはイセリアの使役する精霊オケアニデスの姿もある。

「イセリア!?」

「…イセ…リア? …チガウ…オレ……ヨグ…ニ…ジュウズルモノ……ナヲ…アセラ…」

「…ヨグ…だと? イセリアにまで…ヨグを植えたというのか?」

 絶望したかのように言うサイに対しアセラはたどたどしい言葉遣いで、しかし失われたはずの美しい声で続ける。

「コノカラダ…コエガデナイ……オレノチカラヲ…ツカッテモ…コエ…ナオルノニ…アトスコシカカル……ユエニ…オマエタチ…タタカウ…オレト…………オレ…オマエラノカラダ…モラウ」

 アセラは言いながらゆっくりと片手をあげる。

「イセリア! 目を覚まして!」

 ハーミアの叫びもむなしく、振り下ろされたイセリアの腕から強力な魔力の弾丸が数発生まれた。

『オレアデス! 壁を!』

 ユーンの精霊語に反応し、オレアデスが大地の下位精霊に命令する。瞬く間に土が盛り上がり、アセラとの間に壁を作り出す。

 壁は爆音とともに吹き飛んだが、魔力の弾丸も同時に消失していた。

「さ、さんきゅー、ユーン」

 尻餅をついたような状態のままカーリャが言い、すぐさま立ち上がると腰に差すサーベルを抜き放つ。

「さあ、行くわよ! サイはオケアニデスをなんとかして! 私はイセリアをなんとかしてみる! 残ったみんなで、ロードを守って!」

「なんとかするったって、どうするつもりだ!?」

「ブラン伯から借りたこのサーベルで峰打ちをして、なんとか気絶させてみる。とにかく、そこまでやるわよ」

「くそ、あっちはネレイデスよりも格上の精霊だっていうのに…」

 サイがそう言いながら、腰の水袋を取り出しゲートを作りはじめる。

 カーリャはそれを確認すると、再び手を振り上げるアセラに向かって駆けだした。


 フィルが地図に記された家についたのは、シメオネから地図を奪ってから30分後くらいだった。

 なんなく部屋に忍び込んだフィルは、その部屋の生活感のなさに驚いていた。その家は誰がどう見ても、空き家に見えるだろう。

「……あーあ、はずれかなぁ…」

 途方にくれたフィルが、地べたに座り思わずぼやく。

「…カーリャ達、今頃イセリアと会ってる頃かなぁ。…うまくやってるかなぁ」

 その時かすかにフィルの背後で、物音がした。

 ピクリと反応はするが、しかし振り向くことはできなかった。

 背中に当てられた感触……それは鋭い剣に他ならなかった。

「動くなよ、こそ泥くん…動けば斬るぞ…」

 それはフィルにとって少し懐かしい、そして聞き覚えのある声だった。

「…リアにいちゃん…だよね?」

 ぴくっと剣が動き、やがて背中にあてられた剣の感触が無くなる。

「驚いたな、あの時の…たしかフィルだっけな。こんなに早くここを突き止めたのか?」

「や、やっぱりリアにいちゃんだ!」

 フィルは振り向くやいなや、懐かしい片腕の剣士に飛びついた。

「どうしてこんな所にいるのさ! どうしてあんなやりかたで剣を奪ったのさ! カーリャがどんなに心配してたかわかってんの!?」

 リアは胸にうずくまるフィルの頭を優しく撫でると、すまないと謝った。

「…レッジーナには今朝ついたばかりさ。ある魔導師に送ってもらってな。……あれから俺は、なんとか海に身を投げて…気がついたらその魔導師が介抱してくれててな…。まあ、そいつにカーリャからザイルを取り上げろって言われて、訳はわからないが、恩はあるから従ったのさ…」

「じゃあ、なんでもっと堂々ときてくれないの? 会いに来てくれればカーリャだってきっと喜ぶよ」

 リアはフィルを解放すると心底、困った表情を見せる。

「……まあ、俺にも色々事情があってな…。準備もあるし…」

「準備?」

「ん? ああ、こっちの話だ。まあ、そういう理由で、ザイルは返してもらうぜ。あと、このことはみんなには内緒だぞ」

「…………納得いかない…けど、わかった。でも、ふたつお願いがあるんだ。まず、必ず近いうちにおいら達に会いに来ること…」

 リアがいいぜと頷く。

「もうひとつ、その魔導師って誰? 何者?」

「……多分…ザナって名の魔導師だ。ギルド所属だと思う。とにかく謎が多くてな、一応俺なりに調べているんだけど…」

「なんか変だよ、その人。ザイルを奪えだなんて…。大体なんで知ってるのさ、そんなこと。それに何の意味があるの?」

 事実これ以上にない怪しさだ。ザナの事を聞いていないフィルでも、すぐにわかるくらいだった。

「さあな、あれはプラティーンの神官でもあるようだから…ま、とにかく関わらない方が得策だ」

「………リアにいちゃんはカーリャのことが心配じゃないの?」

「大丈夫だろ、あいつなら。ユングもあることだし…」

「だって、あれ、折れてんだよ?」

「フィル、今日は赤の満月だぜ? ユングの力を発揮するには最高の日さ。それにあいつの実力なら、よほど悪い相手にぶつからない限り大丈夫だ。大体、多少の試練がなきゃ成長できないしな。太刀筋も鈍るばかりさ。…それよりも俺が気がかりなのは…」

 リアはそこまで言うと、一度言葉を飲み込む。

「…ハーミアは…元気にしてるか?」

「…うん。…どうして?」

「いや、ならいいんだ…」

 いぶかしげな表情を見せるフィルの頭をぽんぽんと二度たたき、リアは扉に向かう。

「リアにいちゃん! どこいくのさ?」

「…言ったろ? 俺にもやることがあるって…。約束だぞ…このことは誰にも言うな…」

 フィルはなにも言えずに、リアが出ていくのを見つめていた。

 …そんなの、無理だよ。カーリャは今でもリアにいちゃんの心配してるのに…でも、やっぱり言うわけにはいかないのかなぁ……なんか訳ありっぽいし…

 薄暗い部屋の中、フィルは一人で悩み続けていた。


「はぁああ!」

 カーリャが気合いとともに、秒と糸の連撃を放つ。が、アセラがなんなくそれをかわした。

「く……居合いが使えれば……でも居合い抜きをすれば、峰打ちはできなくなるし…」

 一瞬カーリャの動きが止まると、アセラが再び腕を振り落とした。

 ついで現れるエネルギーの光弾を、カーリャが左右に素早いフットワークを使い飛びかわす。が、最後に踏ん張ろうとしたときに、砂浜に足を取られてしまった。

 アセラはその隙を逃さなかった。腕を振り上げ、砂浜に足を取られたカーリャに向けて再び光弾をとばす。

 しかし、またしても光弾を阻むように砂が真上にふき上がった。

 砂の壁に触れた光弾は、見事に炸裂してしまい、あえなく消失してしまう。

 振り向けばロード達を守るようにして、オレアデスがアセラとの間に立っていた。

 召還者のユーンにも疲労の色が見え始めていたが、ハーミアの魔法でなんとか疲労を回復し、オレアデスを使役し続けているようだった。

『狂気の赤よ…月の鼓動よ…今、その力解き放たん』

 ルーの呪文が完成すると、アセラの足下に小さな円形の光の床が取り囲むように無数に現れる。

 しかしアセラは、さして気にした様子もなくカーリャに近づこうとする。が、アセラの足が光の床に触れた途端、それは爆発した。

「グ……ツキマホウ…カ」

 かるい衝撃と、巻きあがる砂にアセラが一瞬ひるむ。

「…月光の応用です。ダメージは抑えてありますが…。カーリャ、なんとか僕がアセラの動きを封じます! あなたは…」

「わかってる!」

 カーリャはアセラに体を向け、サーベルを鞘に納めた。

「次の居合いで決めるわ!」

 それを合図に再びルーが月光を唱え、カーリャが動きの鈍るアセラに向かって駆け出した。


 オケアニデスが作り出す無数の水の槍を、サイがかろうじてかわす。

 水でできた槍はそのままドスドスと砂浜に穴をあけ消えていく。

「くそ、砂浜じゃなければこんな攻撃…」

 とどまらない攻撃のさなか、サイがちらりとカーリャの方を見る。

 カーリャは双頭蛇戦の時よりもさらに早い連撃を繰り出しているにもかかわらず、アセラには当たる気配すらなかった。

「助けようにも、あれが当たらないんじゃ、俺が行ってもどうにもならない…。やはりこいつをどうにかするか…」

 近づけないほどの連射に、サイがたまらず間合いを離す。

 目の前の砂浜はすでに穴だらけで、歩くのもままならないほどになっていた。

 サイは足場の悪さに舌打ちをしながら、さらに大きく後退し印をきる。

『我、のぞむは水の鎧!』

 サイの精霊語に反応しネレイデスがその姿を変える。やがて、サイを包むような水の膜ができあがる。

「いくぞ!」

 サイは槍を一度回転させてオケアニデスに向けると、そのままチャージをかけた。

 幾つかの水の槍がネレイデスの鎧を抜けるが、サイはかまわずに一気に間合いをつめる。

 そしてそのままオケアニデスの体に槍を突き立てた。

 オケアニデスの体が大きくゆらぎ、攻撃がやむ。

「少し痛いだろうが、死ぬわけではない。お前にはしばらく精霊界に帰ってもらう。ゆるせよ…」

 サイは槍を抜くと、気合いとともに突きを乱射する。

「おおおおぉぉぉっ!」

 狙いを定めることもなく、ただひたすらに放たれる嵐のような乱突にオケアニデスの姿が徐々に四散していった。

 しかし数秒とせずに、激しく体力を消耗してしまい槍の動きが止まってしまう。

 その隙を逃さずに、オケアニデスがみるみるとその形態をもとにもどす。

『……我………のぞむは水の刃!!』

 しかし、きれる息を飲み込み精霊語で命じたとき、サイの勝利は確定した。


 リアと互角と言っても過言でないカーリャの間合いの長さは、アセラの予想を遙かに超えたものだった。

 ルーの魔法による動きの束縛、ユーンの守り、ハーミアによるユーンへのバックアップ、どれをとってもまだ組んで半月しかたっていないパーティーとは思えぬチームプレイだった。

 そこにカーリャの剣術が加わった時点で、アセラに勝ち目はなかった。

 一瞬で間合いをつめられたアセラは、次の攻撃を考える時間も与えられることなく、居合い抜きで刀の柄をみぞおちに叩き込まれる。

 いかにアセラがヨグの気配とはいえ、イセリアの体自体にそれに耐える体力はなく、あっけないほどにそのまま倒れてしまった。

「…やったの?」

「いや、まだだよ…」

 いつのまにか背後にやってきたセリエが、カーリャの腰からするりとユングを奪った。

「ちょ、ちょっとなにするのよ!」

「全く甘いなぁ、そんなナマクラ使って『ヨグの気配』を倒せると思ってるの? なんのためにザナが根回ししてザイルを奪わせたのか、これじゃあ意味が無いじゃないか……ザナはね……ユングを使えと言ってるんだよ…」

「なんですって?」

「自分の弱点を暴露するみたいでいやだけど…ザナの命令だから仕方ない、教えてあげるよ。ヨグを追い出すには、ユングを使わなきゃいけないのさ…」

 言ってセリエがユングを抜き放ち満月に掲げた。

 すると折れた刀身から先に、赤い光の刀身が生まれる。

 セリエはそのまま『ユング』を振り落とし、光の刀身の部分をつかってイセリアを切り裂いた。

「なにを!」

 ハーミアの悲鳴にも似た言葉よりも早く、瞬く間にイセリアの体から赤い霧が現れる。

 イセリア自身に外傷はないようだった。

「さて…お手伝いはここまでの約束だから、僕はそろそろ退散させてもらうよ。君たちが数十秒ほど逃げ回れば、あの霧は四散して消滅するからね」

『…なぜだ! なぜ邪魔をする! 貴様もヨグ様に従ずる者なら…』

 セリエはユングを無造作に投げ捨てると、やはり冷たく笑う。

「ご冗談。やっとの思いであの忌々しい海域から脱出して自由を得たのに、なんで僕がヨグ復活なんてつまらないことに、つきあわなきゃいけないいんだよ」

『貴様…それでも…』

「ほら、時間がなくなるよ…はやくすればアセラくん」

 セリエがさも愉快だと笑いながら、街道に向かい歩き始める。

「あっ、待って…エヴェラード!」

「駄目です、ハーミア。今の僕らでは彼には敵わない、今はアセラを…」

 それでもハーミアはあきらめきれない表情で、セリエの後ろ姿を見つめていたが、やがて諦めたかのように頷いた。

「……っつ! ここは……?」

 ちょうどその時、イセリアが意識を取り戻し上半身を起こそうとする。

「イ、イセリア! 無事なのね! それに声も!」

『く、こうなったらもう一度………』

 そう言ってアセラと思われる霧は、もう一度イセリアの体にむかった。

 カーリャは急いで剣を構え直すが、もつ剣がユングでないことに気付き、先ほどセリエが投げた方向に目をうつす。

 しかし、ユングはどこにも見あたらなかった。

「みなさん………?」

 現状をいまいち把握できていなそうなイセリアに、カーリャが焦りを感じる。

「だめ! イセリア、逃げて!」

『くくく、こいつの声さえ完全にもどれば強力な魔法が使える! 俺の勝ちだ!』

 しかしアセラの勝利を確信した笑い声も、すぐに悲鳴にかわってしまった。

 イセリアに飛びかかろうとしたアセラに、どこからともなくまぶしく輝く赤い刀が突きつけられていた。

「そんなことはさせない!」

「あなたは……」

 イセリアの言葉と同時にロードの持つユングが勢いよく、霧をまっぷたつに割る。

「随分と待たせてしまったようだね…僕はロード…ロード・マイレス。レッジーナへようこそ、イセリアさん…」

 笑顔のロードにイセリアの瞳がみるみると潤んでゆく。

 それはあまりに感動の対面だった。

 愛する男性に助けられ、そして待ち望んでいた彼の優しい笑顔は、返事を聞かずともイセリアの心に直接届いていた。

『ぐぅ……ぐぉぉぉ、まだだぁ! まだ終わらせん!』

 アセラが再び襲いかかろうとしたその時、美しい歌声が海岸に響いた。

 どこかなつかしい…そして一行にとって忘れることなどできない奇跡の歌声…

 数秒とせず魔よけの歌は、霧を追い払い見事に四散させた。


   今、イセリアは理解していた。

     自分が見ていた最愛の人が幻ではなかったことを…

       ながく募らせた想いが幻でなかったことを…

         そして何よりその瞳に映っていた愛が幻ではなかったことを…





 エピローグ


「本当に行ってしまうの?」

 カーリャの言葉に、イセリアとロードが頷く。

「やっぱり両親は反対していたので……」

「かけおちかぁ……」

 心配そうな、それでいて羨ましそうにカーリャが言う。

「本当にいいのね? 二人とも」

「…ええ、いろいろありがとう、ハーミアさん。それから…みなさんも、ありがとうございます」

 深々と頭を下げるイセリアに首をふる。

「そんな…私たちこそ、あの無人島から助けてもらったんですから……」

「…そ・れ・よ・り・旅立つ二人に贈り物があるんだ!」

 フィルが二人の顔をのぞき込むように言う。

 あの夜無事に、しかし剣を取り戻せずに帰ってきたフィルはカーリャの励ましもあり、なんとか持ち前の明るさを取り戻していた。

 フィル自身、あの夜の出来事の中で、何か踏ん切りがついたのだろう。

「贈り物…ですか?」

 フィルのじゃーんという大きな声と共に、サイが二頭の白馬と荷馬車を連れてくる。

「こ、これ……」

「うん、私たちからのプレゼント! 新婚旅行を兼ねるならやっぱり白馬と荷馬車のセットは必要不可欠でしょ?」

「…と、カーリャは胸をはってるが、実際はブラン伯からのプレゼントだ」

 サイのつっこみにカーリャが余計なことをと、じと目で見る。

 二人は早速馬車に乗り込むと、溢れる感動を笑顔で表現した。

「本当にありがとうございます。なんとお礼を言えば…」

「喜んでくれればいいんです。きっとリュッテルさんも喜んでくれるから…」

 ハーミアも心から祝福の笑顔を見せる。

「お幸せに…」

「レッジーナに帰ってきたら、会いに来て下さいね」

「ユーンさん、ルーさん………みなさん本当にありがとう……」

「いつの日か、必ずこのご恩はお返しします」

「恩返しはいいから、しっかりイセリアを守んだよ? イセリアを泣かしたらおいらが成敗してやる!」

「もちろんです!」

 その言葉を最後に、幸せそうな二人をのせて、馬車は走り出した。

 どこまでも広がる青い空と地平線までのびる街道で、二人は出会いに感謝し、みんなに感謝し、お互いの運命に感謝した。


「行っちゃったね……」

「ねぇ、みんな…これからどうする? おいらは『碧の月亭』に行くけど…」

「あっ、賛成! あたしも行く! たしかリュッテルさんが、あたしとユーン…それからフィルとサイの専用の部屋を2階に用意してくれてるんだよね」

「カーリャは住み込みアルバイトだけどね」

 あんたのせいでしょうがと、ハーミアがフィルのこめかみをグリグリする。

「あの、私も行きます…」

 やはり控えめにユーンがおずおずと手を挙げる。

「…僕は一度ギルドにもどります。夕食までには行きますよ」

「オッケー、ハーミアは?」

「私は…リュッテルさんが私の部屋を用意してくれたみたいなので…一応お礼に…」

「…養子になるのか?」

 サイの言葉にハーミアが首を横にふる。

「即答はやはりできないから……でもここまでしていただいて無視するわけにもいかないし、ここにいる時は顔くらいは見せておこうかと……もちろん、これは私の意志です。そんなに嫌でもないですし…あっ、でも夕食はおともしますよ」

「うん……じゃあサイはどうする?」

「一緒に行ってやってもいい…」

「かわいくないなぁ。じゃ、行きましょう。次の仕事探しと、今回の旅の成功と…」

「おいら達の出会いを乾杯するために…だよね」

 一行が笑顔で頷く。

 今ここに、ひとつのパーティーが誕生した。

  そのパーティーは幾多の運命を乗り越え、大きな結束を持ちつつあった。

   そして、彼らはさらなる冒険の舞台を求め再び歩むのであった。

    全てが始まった場所『碧の月亭』に向かって…

                          …end to redmoon.

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