act.3 そのキセキは誰がために
それは例えるなら絶望の淵で見つけた奇跡の欠片。
出港から四日目の夜、マーメイドのイセリアと出会った一行は、イセリアのいる砂浜から少し離れたところで、円陣を組むように座り相談を始めていた。
彼女の話は、にわかに信じ難いものがあったが、他に脱出するための打開策があるわけでもなく一行は急な選択を迫られていた。
…彼女に協力するか、それともこのままこの島で脱出方法を探すか……
「どうしよう、信じていいのかな…?」
カーリャの言葉に一行は沈黙する。簡単には発言できなかった。
なぜならここでの決断は、彼らの今後の命運に大きく関わるほど重要なことだからだ。
長い沈黙が続きやがて、フィルが顔をあげてポツリと言う。
「……やっぱり必要だよ…」
「…なにがですか?」
ハーミアの問いにフィルは何かを決断し立ち上がる。そして、ゆっくりと円陣の中央に歩みよる。
「おいら考えたんだ…みんなの意見を聞きたいんだけど…。おいら、ここにいるみんなと冒険がしたい。せっかく出会えたわけだし、これからも一緒にいたいんだ。みんなもこれからは冒険者としてやっていくなら、いずれはパーティーを組むわけだよね? だったらこのメンバーで組もうよ」
「…たしかに…ここから脱出するには結束することは必要不可欠です…僕は賛成です。とくに反対する理由もないですし…」
「ありがと、ルー。…ハーミアはどう?」
「私は……別にかまいませんが…」
フィルは頷くとユーンに視線をうつす。
「私…わからない……だけど…今から他の人と組むくらいなら…」
「……じゃあOKだな? 俺も別にかまわないぜ」
「私もサイと同じ。どうせ組むならこのメンバーがいい…」
「よかった、みんなOKだね。じゃあ次に必要なのがパーティーのリーダーだと思うんだけど、おいらはカーリャを推薦したいんだ。カーリャはみんながよければって言うんだけど、みんなはどう思う?」
フィルの思った通りに、反論はなかった。
カーリャの強さは皆が認めていた。
リーダーとして必要な心の強さと、決断を任せられる信頼性。カーリャにはその素質があると、素直に感じることができた。
「…みんな……本当に私なんかでいいの?」
「おいおい、リーダーがそんな弱気でどうする。しっかりしてくれよ」
「そうです。カーリャはこのパーティーで一番の年長者なんですから」
「ええ!? そうなの?」
ハーミアの鋭い一撃にカーリャの目の前が一瞬白くなる。
大人の女性だなぁと思っていたハーミアが、実は年下だったなんて。
……私って…この中で一番年上だったのね……
「知らなかったんですか? あっ、でも、年長者っていってもカーリャは全然若いですよ…」
「…アリガト……って一応言っとく…」
悪気はないのだろうが妙に鋭いハーミアのフォローに、カーリャが形容し難い表情で礼を言う。
「…と、とにかく、打開策がない以上イセリアさんに協力してみない? 私たちはコルド石を探しに、ハーミアとサイはイセリアさんと一緒に行く。どう?」
「…俺も賛成だ。……だがその前に………誰かイセリアに服をかしてやってくれないか?」
「…………本当に男って生き物は…どうしてこうなんだろ…」
耳まで赤くなるサイに、カーリャがあきれたように言った。
「サイはきっと紳士として言ってるんでしょう。と、フォローしときます…」
「ルー、あんまりフォローになってないような気がするんですが…」
控えめなユーンのつっこみに、ルーはそうですか? と答える。
「…サイ、私のでよければ……」
「…すまない、ハーミア。…助かる」
「…じゃあイセリアさんと交渉しましょうか。レッジーナにもどるために、ね」
一行はリーダーの言葉に頷きイセリアの待つ砂浜に向かった。
「準備できましたか?」
じれったそうに言うイセリアを制するかのように、ハーミアが上着を差し出す。
「その前に聞きたいことがいくつかあるの。とりあえず、その服を着てもらっていい?」
「……これは?」
「まあ、言うなれば異文化に慣れるための練習みたいなものかしら」
カーリャの言葉にイセリアはしばらく不思議そうに上着を眺めるが、やがて嬉しそうに袖を通し始める。
「ねぇ、イセリア。コルド石なんだけど普通の石と見分けはつくの?」
「…コルド石については、おばさまから伺っています。おばさまが言うには、山頂を目指せばおのずと見つけられるそうです」
「いい加減ですね……」
ルーが呆れたように言う。本当にうさんくさい魔法使いだ。大体種族を変えてしまう薬・魔法なんて聞いたことがなかった。そんなものが存在すればたちまちその噂は広がってしまうだろう。
一応、サイとハーミアには注意を促したものの、不安は拭えぬままだった。
「…でも、その偉大さはお会いすればわかると思います」
「イセリアはそのおばさんに何かしてあげるの? まさか無償で作ってくれるわけじゃあ…」
「…いえ、代償はあります。でも…」
「なに? おいらにも教えてよ」
しかしイセリアはフィルの質問に答えようとしなかった。答えられないのではなく、答えたくないようだ。
気まずく思ったフィルはすかさず他の疑問を投げかける。
「…んじゃあ質問をかえるよ? ヨグについてなんだけど…ヨグはどうしてここに来たの?」
「…来たのではありません。この地で何らかの儀式によって呼び出されたのです。なぜここなのかはわかりませんが…。私の部族の伝承によると、『封ずる者』が現れて封じたそうです……」
「…『封ずる者』……その名は聞き覚えがあります。魔術師ギルドで読んだ文献によると、なんでもこの地に存在する57の封印を代々まもっている部族があるとか……」
「…便利な世の中ですね…そんな人たちが本当にいるのなら…」
「…ハーミアさんの言うとおりです。僕は素直には信用できる情報とは思えません。そんな魔法はギルドでは、確認されてませんから……」
しかし、もし仮に存在するのであれば会ってみたくもある。なぜなら彼らは、遺失された未知なる月魔法を使用していることになるからだ。
魔術師としての飽くなき探求心がそうさせるのか、ルーも遺失魔法には興味があった。
「…ふーん。じゃあ、あの『ヨグの気配』ってのも封じられなかったのかな?」
「…どうですかね。僕にはわかりかねます。封じた本人に直接聞くしかないでしょうね……」
「ふーん。じゃあじゃあ、『ヨグの気配』は強い人に取り憑くんでしょ? 取り憑いた後はどうなるのかな? それにさ、もし取り憑かれたらだよ…元に戻すことはできるのかな?」
ルーは首をかしげイセリアに答えを促す。
「……『ヨグの気配』は強い人に取り憑いた後、『ヨグ』本体にかけられた封印を解くことと、『封ずる者』を見つけ次第殺すという二つの本能を持つそうです。人格も『ヨグの気配』がつくりだした独自のものになるとか……さらに『ヨグの気配』は自分より強い体を見つけるとその体にのり移り、目的を成就するための成功率をあげていくようです。一度人の体に潜伏すると元にもどす手段は…多分ありません…『ヨグ』自らが出ていかない限りは……」
「…助ける手段は…まったく…ないの?」
カーリャが途切れ途切れに言う。うつむいているせいでその表情まではわからないが、すこしショックを受けているようでもあった。
「…取り憑いた人間が死んだときに、その肉体から離れて他の肉体に取り憑くそうです。ただし、この場所以外では霧のまま行動するのは難しいようで、10秒もすれば霧は四散し消滅してしまいます。たいがいはその間に他の人に取り憑くようですが……瀕死の状態にすればあるいは『ヨグの気配』を抜け出させる可能性はあります。とても難しいでしょうけど……」
カーリャが腰に携える『ザイルブレード』に目をうつす。まだそうとは決まっていないものの覚悟を決める必要はあった。
ただ、もしそうなったとしてもカーリャはリアを救うことをあきらめるつもりはなかった。
もしリアさんが取り憑かれたとしたら……私はなんとしてでも助けなければいけない。あの人は私の命の恩人だから。それがどんなに困難だとしても。
…どのみち、近づかなければいけないのだ…あの人の世界に…
「……随分と…詳しいですね。魔術師ギルドでもそこまではっきりとした情報は握っていないですよ」
「全て部族に伝わる伝承なんです……。おばさまは、なぜ私の部族にこのような伝承があるのか、知っているようなんですが…教えてはくれないんです」
「やはり会いに行くしかないようだな」
サイがハーミアに向かって言う。
「…そう…ですね…その前にイセリアさん。私たちをどうやってレッジーナまで運ぶつもりなんですか?」
「レッジーナには、この日のために私の部族に作らせたイカダを使って行くつもりです。それから私の使役する水の精霊の力を使ってイカダを動かします」
「ふーん……そこまでして会いたいイセリアの恋した人ってどんな人なんだろう? その人のどこに惹かれたの? …聞いておかなくちゃ、向こうで探せないわよね」
「それは……まだ秘密です。レッジーナについたらお話しします」
カーリャの言葉に反応しイセリアの頬がみるみる赤らんでいく。種族こそ違うものの、こうして見るとカーリャ達と同じ恋する乙女に違いはなかった。
「……どうしても会いたい方なのですね」
イセリアはユーンの方に向いて恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに「はい」と返事をした。
それは二人にとって初めての体験だった。
薄い赤色に染まった海中はまさに第二の世界と呼ぶにふさわしい光景だった。
イセリアの使役する水の精霊『オケアニデス』が作り出した『空気の胞』は、サイとハーミアの全身を包むように空気の層をつくり水中での呼吸を可能にするもので、水に濡れることなく快適に海中で活動できた。
ただ、推進力があまり作用しないためイセリアが二人の手を取り『オケアニデス』とともに引っ張るようにして海中を進んでいた。
イセリアの指示で武装を解除した二人は、美しい赤と蒼の光が織りなす神秘的な芸術にただただ見とれていた。
「すごいな……」
夜ということもあり魚があまり見れないのが残念だが、水中からでは光の屈折のせいで海上の様子をうかがい知ることはできず、完全に隔離された世界は何もかもが新鮮だった。全てが地上とは違っていた。
その美しさにサイは、負傷した左腕の痛みも忘れてしまうようだった。
「……そうか……お前たちはこんなに綺麗な世界で生きていたのか……釣られたくはないわけだ……」
「……本当に海が好きなんですね…」
「………ああ。…………なぁ、ハーミア。お前………」
サイがハーミアの方に顔を向けた。
しかしハーミアの不思議で、なにか謎めいた感じがする美しい瞳がサイを黙らせてしまう。
「……なにか?」
「…あ、ああ。……お前、なにか悩みでもあるのか?」
サイは沈黙するハーミアに続ける。
「…何を悩んでいるのか知らないが、考えてばかりじゃ潰れちまう。楽にしたほうが発見があるものだ…」
「……私の行動ってそんなに怪しいですか?」
は?といった顔をするサイにハーミアがあわてて首をふる。
「な、なんでもありません。気にしないで……」
「…なんだかよくわからないが…ハーミアがそう言うならそうしとこう」
しばらく沈黙が続き、やがてハーミアがその沈黙を破る。
「…イセリアが人間になれたとして、周囲の人間は受け入れてくれるのでしょうか?」
「……さあな。お前はどうなんだ? 人間であるハーミアが一番知っているんじゃないのか?」
サイの言葉にハーミアの表情は明らかに曇っていた。
…そう、私は確かに知っている。きっと他の誰よりも…
「……人は時として、信じられないくらい冷たくなれるものですから……。イセリア、あなたは人間社会のことをどれだけ知っているのですか?」
急に話をふられたイセリアは少し戸惑う素振りをみせ、やがて思い出すように話し始める。
「…一般的な常識くらいはおばさまから伺ってますが……」
「…人間は他種族に対してはとても冷たいものよ……」
…私はきっと今ひどいことを言っている…なんて嫌な女なんだろう…
少し不安げなイセリアの瞳に、ハーミアは罪悪感を覚えていた。
「………たしかにハーミアの言う通りかもしれない。俺も……人間に対しては迫害みたいなものを受けてきた。だけど、ハーミアたちは違う……言葉で表現しにくいが…違うんだ。人間の全てがそうじゃないと、少しだけだがわかったような気がするんだ。イセリア……結末がどうであれ、イセリアが選んだ道だ。その強い意志を忘れるなよ。いつでも話くらいは聞いてやる……」
サイの不器用な優しさにイセリアは心の底からありがとうと答えた。そう、きっとあなたのような人がいるから大丈夫、とイセリアは自分に言い聞かせていた。
それでもハーミアの表情は曇ったままだった。
…確かに…全ての人間がそうなら……誰も悲しまないですむ……でも、それは有り得ないこと。
ハーミアは知っていた。人の感情がどれほど恐ろしく豹変するものか……
「…人間になって告白して、もし駄目だったらどうするの?」
「…………わかりません。だけど告白しないよりはいいでしょう? …ハーミアさんならどうしますか? 愛しているのなら……結果はどうあれ、その気持ちを伝えたいとは思いませんか?」
ハーミアが悲しげに頷く。
「…そう…言うと思いました。女の子はみんなそう考えるでしょうね、きっと…。私もそうするでしょう……それが初恋なら尚のこと……」
それがどんな結果に終わろうとも、自分の気持ちに勝てる人なんていない。
「……ハーミアさんは今、好きな人とかいるんですか?」
「…………わからない……。昔ね……結婚を約束した人がいたの。今でも……愛してるんだと思う……忘れられないのはきっとその証拠。……でも……私の場合は少し違う……。状況が………違いすぎるから……みんなとは……」
不思議そうに見つめるイセリアと、聞かぬふりをするサイにハーミアは曖昧に笑顔を見せた。
あの人のあの行動……きっとどんな人でもそうする………
イセリアの進む道はとても厳しいもの……できるなら進んで欲しくはない……できるならこのまま美しい海で歌を歌い続けて欲しい………
でも、今自分が進む道もまたイセリアと同じなのかもしれない。私はまた悲しいほどに馬鹿な行動をとっているのかもしれない。
この仲間たちなら……この仲間たちとなら……。でも、やはり望んではいけないことなのかしら……。
プラティーンさま………願わくば彼女だけでも……どうか幸せに…
「夜の森ってなんだか薄気味悪い……」
カーリャが少し嫌そうに言う。
赤い光が射し込む夜の森を、フィルを先頭にカーリャ・ユーン・ルーが続いていた。
結局コルド石の特徴も聞けぬままで、コルド石を見つけ次第海岸に向かう約束をした一行だが、怪しいおばさまの言葉を信じての夜の登山は難航していた。赤い光が木々の隙間から射し込んではいるものの、視界はお世辞にも良好とは言えなかった。
海に潜れなかったことや、もっとイセリアとお話がしたかった等の理由で不機嫌だったフィルだが、気がつけばピクニック気分になっていたらしく、今では口笛すら吹いている。
しかし、ルーとユーンにはすでに疲労の色が見え始めていた。
「…訳の分からない予言とやらに振り回されて、どんな物かも、どこにあるかもわからない石ころ探しにこんな夜中に山を登るなんて……理不尽すぎる、と僕は思うんですが………」
ルーはどちらかと言えば体力はない方だった。たしかに彼は年相応の体力はあるだろう。しかし日頃から鍛えているカーリャや、活動的なフィルには遠く及ばなかった。
また連日の事件で心身ともに疲れていることも事実だ。それでもその足を止めないのは、ユーンの存在が大きかったからだ。
隣を歩くユーンは一見いつもと変わらないようだったが、おそらくユーン自身も気付いていないであろうその小さな変化にルーは気付いていた。
彼女は文句も言わずに、みんなに迷惑をかけないようがんばって歩き続けていた。歩くだけで精一杯だろうに時折、周囲を軽く調べたりもしていた。
彼女なりにがんばるそのひたむきな姿に、ルーは素直に好感がもてた。
だからだろう、彼は道が険しくなったらさりげなく手を差し伸べ、この恐ろしく陰鬱な夜の森を少しでも楽に歩けるようにと、無理をして歌を歌ってあげたりしていた。
「…随分と…登ったような…気がするんですが……」
「もう、歌いながら歩いたりするからよ…息が上がってるじゃない……まだ中腹の温泉にもついてないわよ…仕方ない……少し休憩しよっか…」
呆れ顔のカーリャに面目ないとルーは答えた。ユーンがそれを見てクスクスと笑う。
ルーが無理して歌った理由は、少し前にユーンが「歌が好き」と答えたがためだと見て取れた。
…そう言えば彼は航海初日の昼と、その夜も歌ってくれた。あの日の夜も恐怖を紛らせるためだった。
「でも…こんなところで双頭蛇に襲われたらひとたまりもないね…」
「…カーリャさん…恐いこと言わないで…」
「あ、ごめんごめん。でも、大丈夫よユーン。こんな夜中に動ける蛇なんていないわ」
「ねぇ、カーリャ。おいらたまには肉が食いたいよ。……双頭蛇って……おいしいのかな?」
首を傾げるカーリャの代わりに、ルーが答える。
「………たしかに蛇料理は聞いたことがありますが……毒蛇となると、捌くのに知識も必要でしょう。高度なレンジャーがいればできなくもないですが……やめておいたほうがいいですね」
もし食べられたとしても、あんな怖い思いをさせられた生き物に、どんな形であれ関わりたくはないなぁとユーンは思った。いや、それ以前に蛇を食べたいとは思わないだろう。
「…ねぇ、ユーン。さっきから何をきょろきょろしていたの?」
「え? あぁそれは、周囲の精霊達に異変がないか調べてたんですよ…。私にできることはそれくらいですから…」
「…そう言えばさ、ユーンも精霊使いなんだよね…じゃあさ、サイにいちゃんやイセリアみたいに、精霊を呼び出せるの?」
こくりと頷くユーンに、フィルは心底嬉しそうに喜んだ。
「おいら、見たいなぁ。呼び出してよ」
「でも意味もなく呼び出しては、精霊がかわいそうですよ…」
「……では、こういった理由はどうですか? 僕たちが休憩している間にこの近辺を捜索してもらうとか」
ユーンは少し考えるような素振りを見せて、やがてルーの方に顔を向けて答えた。
「……命じたことはないけど……やってみます」
ユーンはそう言って、立ち上がると、かるくお尻を払い、革袋から拳大くらいの大きさの白い天然石を大事そうに取り出す。
それがユーンの使役する精霊を呼び出すのに必要な触媒だと、カーリャ達にもすぐに理解できた。
静まる空気の中、ユーンは注目されているのが恥ずかしいのか、少し緊張しているようだった。
深呼吸をひとつし、やがて自分にとって最も信頼できる友に、その名を呼びかける。
『ユルネリア・ライクォーツの名において命じます。盟約に従い、いでよオレアデス』
瞬く間にユーンの両手の平で、大事そうに抱えられていた石が溶けるように形を変え、小さな狼のような姿をとる。
「……すごい…、この子がユーンの?」
「ええ、オレアデスといいます」
「なんだか子犬みたい……」
「見た目はかわいいですけど、私よりもずっと強いんですよ」
ユーンはそう言って、嬉しそうにオレアデスの頭をなでる。
「ねえ、オレオレは水の中で息できるようにするの出来る? おいらも水の中で息してみたい」
ユーンが困った顔で首を振る。
「オレアデスは土の精霊ですから……。とりあえず探索を命じてみます」
オレアデスは主に敬意を払うように頭を下げると、飛ぶように駆けだし森の奥へと消えていった。
「…精霊の制御というものは難しいんですか?」
「…いえ、慣れるとそうでもないです。最初は少しでも気持ちが乱れると、送還してしまって…。サイさんの場合は怪我もしていましたし、ここは火と土の精霊力が強いから、水の精霊を呼び出すこと自体難しいんですよ………それに戦闘となるとどうしても気持ちが高ぶって、制御に専念しづらいですし…」
「なるほど、その場の状況も大きな要因なんですね。勉強になります」
「まあとにかく、オレアデス君を待ちましょうか…なにか見つけてきてくれるかもしれないしね」
「欲を言えばコルド石、ですね」
ルーの意見に一同はもっともだと頷いた。
イセリアに連れられてもう一つの島に着いた二人は、驚きを隠せずにいた。
たしかにイセリアは「もう一つ似た島があってそこにおばさまがいる」と言っていた。その言葉に嘘はない。ただそれは、地上ではなく海中にあるだけの話だった。
そう彼らは海中から島の内部に続く洞窟のようなトンネルをぬけ、空気のある空洞に連れられたのだ。さらに、壁には何らかの魔法がかけられているのか、鈍い光を放っていて洞窟内は明るかった。
「おばさまはこの奥にいます。とにかくお会い下さい。私はここでお待ちしてます」
二人は無言で頷き、洞窟の内部に足を踏み入れる。
ハーミアが何気なくサイの方を見ると、サイの顔色がひどく悪くなっていた。そして、その理由に気づく。
双頭蛇にやられた傷に海水があたり痛みが返ってきているようだった。
あの時サイの言われるままにカーリャとフィル、そして自分の傷を神聖魔法で治療したハーミアは、前日の聖印探しもたたり、精神的な疲労がピークに達していたためサイの傷を治療できなくなってしまったのだ。結果、薬草を使って応急処置をしたのだが、どうやら熱まで出てきているようだった。
「大丈夫…ですか?」
「…なにがだ?」
「怪我……痛むんでしょう?」
「……かといって休んでられる状況じゃないからな…気にするな。今日はよく寝て、明日の朝一に治療してくれればいい…」
「…わかりました………」
それ以外になにもできないと分かっていたため、ハーミアはそれ以上何も言わなかった。
「……ハーミア…」
サイは顔を向けることなく続ける。
「ハーミアの過去になにがあったかなんて聞かない。だけど、忘れるなよ。俺達はもう仲間なんだ。もしハーミアが背負うものが重いようなら俺達が力を貸すことだってできるんだ。だから…あまり自分を追い込むな…」
「…ありがとう……サイ…」
できるなら…その言葉を信じたかった。この仲間たちを信じたかった。それでも…きっと…私を受け入れてくれる人はいないだろう。
ふと婚約者だったエヴェラードの顔が浮かぶ。彼でさえ受け入れられなかったのだ。
ついで幼なじみの…随分と昔から会わなくなった仲のいい男の子の顔がなぜか浮かんだ。その人は私よりも年上でお兄ちゃんのような存在だった。なぜ今になってあの人を思いだしたのだろう。
優しく包み込むような瞳………最近…どこかで見たような気がしていた。あの人なら……どうなんだろう……やはり受け入れてもらえないのだろうか。
しばらく洞窟の奥に進むと小部屋のような空間にたどりつく。そこには家具や書物、なにかの実験器具のようなものもあった。
そしてその部屋の奥では、直径15センチほどの大きさの水晶球を膝に置き、見知らぬ女性が椅子に座っていた。
間違いなく、イセリアの言うおばさまだろう。
年齢は想像していたよりも若く、20代後半から30代前半といったところのようだ。黒い髪を無造作に後ろで束ねて、笑顔のまま二人を迎えていた。特徴的なのはその瞳の色だ。彼女の右目は赤く、左目は蒼かった。
「…あなたは……誰なんですか?」
彼女はなにも答えずに水晶球に視線を落とす。すると水晶球から白くぼやけた文字が浮かび上がった。
“ザナ。やっときたわね。待ちわびたよ。私の名よりももっと知りたいことがあるでしょう? 精霊使いに不幸な少女よ”
「…声が…でないのか?」
“ええ。…あまり時間がないの…私の事を聞くとか、くだらない質問はやめてもらいたいわ…さあ、はじめましょうか”
サイはあまりの展開に一瞬ついていけなくなりそうになる。しかしハーミアは冷静に、用意していた疑問を投げかけていた。
「……ではまず、人間になる薬について教えていただけますか? 副作用とかはないんですか?」
ザナは嬉しそうに笑う。実際には声は出ていないものの表情で読みとれた。
“そうでしょう…そうでしょう。……あれは紛れもなく人間になる薬よ。ただし、イセリア専用のね。副作用…というか代償はもちろんあるわ。彼女は声を失い、私は声を得る…”
「なん…だと? イセリアはそれを知っているのか?」
サイが少し声を荒げる。しかし、ザナは顔色一つ変えることなく答えた。
“もちろんよ。二人の利害が一致したからこそ、その薬に奇跡が舞い降りるの”
「…なんなんですか? その薬は? 魔法の薬なんですか?」
ハーミアにはまるで理解できなかった。どうのうような仕組みでそんな薬が精製できるのか。それはすでに常識の範疇を越えていた。
“いいえ、奇跡の薬よ。強いて言うならプラティーン様の薬かしら”
ハーミアがぴくりと反応をしめす。ついでサイの様子を伺う。
サイはどうやらプラティーンの名を知らないようで、露骨にわからないといった表情を見せていた。
ザナがプラティーンについて簡単な説明をし、続けて事のいきさつを水晶球に映し出しはじめる。
“私はかつて月魔法の使い手だった。それも、導師クラスのね。でも、ある魔法実験の時に事故に遭い、その後遺症で二度と声を出せなくなってしまった。それは同時に魔法を唱えられない事を意味し、魔導師としての未来を閉ざされたことを意味していた。失意の底で私は、声を取り戻すためにプラティーン様の信仰を始めたのよ。私はその時からずっと、プラティーン様の示す道に従って動いている。最初のお告げはこの島で、人間になりたいという欲望をもった人魚を待つことだった。そして彼女の欲望をかなえるための、薬の作り方をプラティーン様に授かり、あなた達を待った。彼女はあの薬を飲めば、プラティーンさまの力で人間になれるわ。そして私は声を得られる……。どう? 見事に利害一致してるでしょ? 彼女が人間になることが、私が声を取り戻す唯一の方法…そしてそのためならプラティーン様は私に力を貸してくれるわ…”
ハーミアは高鳴る心臓の音を必死で押さえつけていた。もしかしたらサイに聞こえてしまうのでは、と思えるほどの音だった。幸いサイはザナの話に夢中のようだった。
「なんだか納得いかないな。邪教の力を借りるわけか。…しかし、イセリアが納得しているのなら、俺達にそれを止める権利はない。俺達もまた彼女を助けることによって、ここから脱出しようとしているのだからな…」
“…その通り…あなた達に選択肢はないのよ。だからここからは、私からのせめてもの贈り物よ。あなた達の知りたいことを教えてあげるわ。そのかわりここでの会話は、全て秘密にすること…できるわね?”
「…景気がいいな」
“あなた達には、これからイセリアを助けてもらわなきゃいけないからね…その名目ならプラティーン様も、私に手助けしてくれるわ。それに人間になるだけじゃなく、せっかくなら恋も成就して欲しいものね”
「……まあいい、じゃあ答えてもらおう。まず、リア・ランファーストの生死についてだ…」
“あら、予想と違ったわね……。まあいいいわ、答えましょう。その人間は……ん? あらその人、人間じゃないわね…”
「な、なに言ってんだよ。…じゃあなんなんだ?」
“……因果ね。ライカンスロープ………いやこれは、シェイプチェンジャーね。生きてるわ。どこにとは言えないけど”
ますますカーリャに教える事なんてできないなと、サイは思った。全くやっかいな男に惚れたもんだ。
“………さて、まずはそちらの神官さんに退室願おうかしら…二人ともそれぞれ、聞かれたくないことがあるんでしょう?”
サイとハーミアが顔を見合わせ、やがてゆっくりと頷いた。
二人がもっとも知りたいこと……それはまだ誰にも相談できぬことだった。
オレアデスは捜索に出かけたときと同じように、飛んでいるかのように飛び跳ねながらもどってきた。
静まる森の中、ユーンがオレアデスを送還する。そして触媒である石を大事そうに袋にしまうと、結果報告をするべく興味深そうに見つめる仲間達の方に体を向けた。
「……オレアデスが言うには、私たちが通った道を少し戻ったところで人が倒れてるそうです」
やはり、といった顔をする。
オレアデスの報告を受けた時、ユーンがあまりにも驚いていたため、一行は何かあったんだとすぐに予想できた。
「………生存者かな?」
「…わかりません。しかし我々以外に生存者がいるのでしょうか……用心したほうがいいですね」
「とにかく行ってみようよ! 話はそれから…」
言うよりも早く、フィルは立ち上がり駆けだしてしまう。
オレアデスの情報通り、来た道を少し戻るとすぐに、行くときには見なかった少年がうつ伏せに倒れていた。
「ちょっと! 大丈夫?」
カーリャが慌てて駆け寄り少年を抱き起こす。その時少年の口からわずかな呻き声が洩れた。
年の頃なら10歳にも満たない栗色の髪の少年は、可愛らしい表情を見せていたが、その腹部は血で染まっていた。
「……とりあえず生きているようですが…とにかくここにいては何もしてあげられません。急いでハーミアさんに診てもらいましょう…」
ルーが少年を抱きかかえ立ち上がる。
「あ! ルー、ちょっと待って!」
フィルは叫ぶやいなや、素早い動きで少年が抱えていた物を奪い取った。
しかし、カーリャがすぐにフィルを取り押さえる。
「こら! フィル、なにやってんの! 今盗った物を返しなさい」
「ち、ちがうよー。さっき見つけたんだよ」
「今、目の前で取ってたでしょうが!」
「誰も、これ気にしなかったから…おいらが持っててあげたんだよー」
フィルの弁解もむなしく、カーリャは問答無用にフィルを締め上げた。
「いたたたた、やめてカーリャ! わかったよー」
「全く、何考えてるのよ……」
「カーリャさん……それ……」
「え?」
カーリャが手元に視線を落とすと、青白く鈍い輝きを放つ石を握っていた。
「…まさか……コルド石?……あはは、まさかね…」
しかし、誰も笑えずにいた。これがもしそうだとしたら……いや、間違いなくこれだろう。理由は分からないが、確信があった。
ただ、それを認めるのには勇気が必要だった。全てが不気味に思えた。
「………話が出来過ぎている………………しかし……納得はできませんが、認めざるをえません。とにかく海岸までもどりましょう」
一行は黙って頷き、足早に探索をうち切った。
“さて………水の精霊使い…なにが知りたい?”
「ハーミアの過去……なんてのは駄目だろうな」
“……それがお望みなら教えるけど?”
サイは笑顔のまま首をふる。
「…こんな方法で知るのは間違ってるからな。……じゃあ、聞かせてもらおうか」
“……父親のことね?”
「………な、なんで」
“わかるんだ? ……とあなたは言う。……精霊使い、私を信じてとは言わないわ。だからこれから話すことも、信じる信じないはあなたの自由…”
サイは静かに頷いた。
“結論から先に言うわね。生きてるわ。そして彼は一度ここに来たことがある”
「なんだと?」
“彼は生涯をある任務に捧げてる”
「なんだよ、それ!」
“封ずる者、アルフォード=ラルク”
サイが首を振る。有り得ない、そんなことは。
「なんかの間違いだろ? 親父は精霊使いのはずだぜ?」
“…封印魔法は月魔法とは限らないわよ。それから、何処にいるかは教えられないわ。自分で探しなさい…”
本当なんだろうか……。しかし、もし本当なら俺の体にもその血が受け継がれていることになる。『封ずる者』の血が。
“他になにかある?”
「ん? あ、あぁ……ないな」
“じゃあ彼女を呼んできて”
「あ…いや、あと一ついいか? この世界で一番でかい魚はなんだ?」
“……おもしろい人ね。答は簡単よ。あなたなら出会えるわ。いつの日か、ね”
「……ああ、そうだな。そう信じよう……」
サイは笑顔のまましかし、心中は複雑な気持ちでその場を去った。
“…お待たせ、あなたの番よ。何が知りたいのかしら?”
「わかるんでしょう? 聞かなくも」
ザナが視線を落とし、静かに頷く。
“…プラティーンの神官ハーミア。あなたの求める物はここにはないわ。あの薬は私の望みを叶えるための物であり、その贄としてイセリアが選ばれたのだから……”
「…やはり…そうですか。…では聖印は?」
“今はまだあなたの手には戻らないわ…でもいずれは戻ってくる……あれはそういう物だから…”
ハーミアがうつむく。
“ハーミア、あなたが進む道はとてもつらい道よ。ときには大切な仲間を巻き込むこともあるでしょう。……でもそれは、必要なこと。プラティーンさまの教えを守りなさい”
でも、私には……
「私には……できない。彼らを裏切りたくない…」
“………そう。まあ、思うがままに行動なさい。あなたにはそれが許されているんです”
「私たちは……イセリアはどうなるんですか?」
ザナはしばらく何も言わなかったが、しばらくしてその水晶球に映し始める。
“…満月まであと11日…あなた達が海岸に戻ると仲間達が一人の子を連れてくるわ。その子の持つコルド石で薬は完成します。……その子はレッジーナにつくまで目を覚ますことはないでしょう。そしてその子を止めることもできないでしょう…彼もまた因果の一人なのだから…”
「……その子供は何者なんですか?」
“……明日の朝あなた達は出港し、なにも起こらずに8日後の夜にはレッジーナに着きます。…全てはその後に分かるでしょう。………そして満月の夜、イセリアは人間になり、私は声を得る。そしてイセリアの身に何かが起こる…”
「な! それでは約束が!」
“私はプラティーン様に従ったまでよ。わかるでしょ? ハーミア。あなたも信仰しているのなら…”
「変えられないんですか? 未来は…」
“変えられるわ。リア・ランファーストがしたように…”
「…リアさんが?」
ザナは頷き、ハーミアの瞳を見つめる。
ザナの瞳にのみ込まれそうな感覚を覚えながらハーミアは知ることになる。リア・ランファーストを…
“…シェイプチェンジャーはもともと少ない人種。それ故、種を残すために生まれながらに許嫁が決められる……それはあなたも例外ではなかったの……彼はあなたのパートナーよ…”
ハーミアの体に衝撃が走った。ついで、カーリャの顔が浮かび上がる。
“彼は揺れているわ、種の掟に従うか。自らの気持ちに正直になるか…舟の中で彼はあなたにあまり接触しなかったはずよ…”
「…そうですね…どうしてその時に、話してくれなかったのでしょう…」
“未来を変えたかったのよ…あなたより先に出会った女剣士に好意をもったから………あなたと出会えば必ずあなた達は恋に落ちるから……それが種の宿命。だからあなたとは、話さないようにした。……そしてもう一つ、ヨグに殺される運命にあった、その女剣士を救うために自分が犠牲になった…”
「………彼は今何を……」
“戦っているわ…自らの運命と……。ヨグとの戦いで大きな傷を負ったというのに。……ハーミア、あなたは彼に会わなければいけない…種のためではなく、あなた自身のために。彼は、あなたの進むべき道を教えてくれるはずよ……”
「…………わかりました。いろいろありがとうございます」
ハーミアは心から感謝の言葉を述べ、深々と頭を下げる。
そして振り向かないようにしながら、サイの待つ空洞に向かった。
…私も、彼と出会うと種の宿命として、恋をしてしまうのだろうか…でも、彼は未来を変えた…会わなければいけない……彼に……
いつからだろう……赤い月の下で歯車のようなものが回り始めたのは……。
ハーミアは赤い月に照らされて眠る少年に視線を泳がせる。少年の腹部にはハーミアの手により包帯が巻かれていた。
現在イセリアは、この子供が所持していたコルド石を数グラム分削り、ザナのもとに向かって行った。
ザナの言葉が重くのしかかる。逃れられぬ未来、変えられぬ運命………。
「……ザナの言葉を信じれば……この子もきっと歯車の一人……」
だけど…私には止められない…。私もまた、歯車を回すほうかもしれないから……。
「………会わなくちゃいけない……リア・ランファーストに………」
仲間達が寝息をたてるなか、ハーミアはいつものように今日の出来事を整理していた。
結局ザナの島から戻る途中、一言も会話をしなかったハーミア達は気まずい空気の中、一足先に海岸で待つことになった。
数時間後、気を失った子供を抱きかかえたルー達が血相を変えて戻ってきた。
……全てザナの言う通りだった。
レッジーナにつくまで目を覚まさない子供…コルド石…そして明日の朝には、私たちはこの島から出てしまう事実……もう止まらないんだ。止められるとしたら……
「……リア・ランファーストは今でも戦っている……会って…確かめなきゃいけない…」
事の真相を知っているのは、自分だけである。サイがなにを聞いたかは知らないが、二人はみんなに説明できなかった。この子供はどうしてここにいるのか…なぜコルド石を持っていたのか……。そして、ザナはなんと言っていたのか……を。
みんなも納得は出来ないようだったが、それ以上は追求しなかった。
もしかしたら、謎を開かすことを直感的に畏怖していたのかもしれない。それとも、知りたくなくても、じきに知らされると気付いているのかも知れなかった。
…今の私に出来ることは明日に備えて眠ること……ただ、それだけ…
出港から5日目の朝。
増える疑問と、激動の数日を振り払うような快晴に、一行の心も少し晴れてきていた。とは言え、会話はほとんどなく、ザナに対する猜疑心が高まっているのが一目で見て取れていた。
けっきょく子供は朝になっても目を覚まさず、夜の間に薬を作ってもらっていたイセリアにせかされながらの出港となっていた。
イセリアが首にかける人化の薬は、小さなガラス製の入れ物に入る液状のものだった。効果は満月の夜に飲むことによって現れ、おそらくその時ザナは声を得られるのだろう。
声を失うことになんのためらいも持たないイセリアに、一行はその真剣な想いを再認識させられてしまう。
航海は来たとき以上に順調に思えた。イカダはイセリアの精霊に動かしてもらい、イセリア自身は時折イカダに上がって休憩を取りながら精霊の制御を行っていた。
ハーミアの視線に映るものは、ザナに教わるまでもなく予想できていたことだった。
イセリアに気遣い釣りをせずに、昼寝を続けるサイ。
レッジーナについてから、いかにしてイセリアの恋する商人の息子を捜すか考え込むカーリャとフィル。
すこしでもみんなの退屈をしのがせようと美しい曲を奏でるルー。
その曲を聴きながら、気を紛らわすためか裁縫で何かをつくるユーン。
共通していることは…不安を隠しきれずにいることくらいだ。
……そう、私たちはザナの予言の通りに、なにも起こらずに7日後の夜にはレッジーナにつくだろう。それから先は私にも分からない。知っているのは、変えられない結末があるだけ。
運命の満月まであと10日…
でも…もしかしたら変えられるのかも知れない…リア・ランファーストのように……
…それぞれの思いが重なる中
一行はもどってきた…
全てが始まった町…レッジーナに…