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act.2 終わりの見えないサバイバル

 ほんの数分前だった。輸送船セルバンティスが悲鳴と共にその姿を海に沈めたのは……

 絶望…恐怖…不安…あらゆる負の感情が一行を襲っていた。

 ただ、彼らにとって地上に足をつけていられることがせめてもの救いだった。

 『ミスト』はこの島に近づけないらしく、赤い月がその赤光を思う存分にふらせていた。

 そのため明かり無しでも、思ったよりも周りの光景を見ることができた。

「……さて、これからどうしましょう…」

 ルーの言葉に全員が沈黙してしまう。考えることなどできなかった。

 船上での出来事はそれほど凄絶で、恐ろしいものだった。

「……私、海岸を見回る…。なにか船から流れ着いているかもしれないし……」

 カーリャが濡れる髪を拭きもせずに両手で刀を抱き、夢遊病者のようにふらふらと海岸沿いを歩き始める。

「ま、待ってよカーリャ。おいらも行くよ」

 落ち込むカーリャが心配なのか、フィルは急いでカーリャを追っていった。

 それに続くように、サイも歩き始める。

「……俺は、釣りでもしてくる。ルーフェス達はキャンプの用意とかしておいてくれ」

 ルーはだまって頷いた。

「ルー、でいいですよ。これから長いつきあいになりそうですし…」

 サイは苦笑して、そのようだと頷き、赤い月の光の中カーリャ達を追った。

「……私たちこれからどうなるの?」

 ユーンが絶望を口にする。

「私……どうしてここにいるの? ……どうして、みんな死んでしまったの? …私…ここにいる……どこにも行かない…」

 膝を抱えふるえるユーンの肩に、ハーミアがやさしく手を置いた。そして、小さくなにかを呟く。

 すると不思議にユーンの恐怖心が和らいだ。驚いて顔を上げるとハーミアが静かに答える。

「…しっかりしてください。これからは、みんなで協力しなければなりません」

 そして、今度はルーの方に近づき片膝をつく。

「あなたも…自分の怪我に気づかないようでは、周りに迷惑をかける一方です」

「あっ……」

 見るとルーの右腕から血が出ていた。脱出の際にどこかで切ってしまったのだろう。無我夢中で気がつかなかったようだ。

 ハーミアの掌から優しい光があふれ、ルーの傷はみるみるふさがっていく。

「ありがとう………やはり、神官だったんですね? どうして薬草師だなんて言ったんですか?」

 しかし、ハーミアはそれに答えず立ち上がる。

「今はどう明日を迎えるか考えなくてはいけません。とにかく、キャンプの準備をしましょう」

「……そう…ですね。こういった事態には不慣れで……僕が手伝えることと言えばそれくらいでしょう…」

「十分です。大きな布とか、何かがあればそれでテントをつくりましょう」

「私は……?」

「とにかく食事と眠る準備を整えましょう。そうすれば必要な物もわかってきます」

 おずおずと声を出すユーンにハーミアはやはり冷静に答える。

 その毅然とした態度にユーンは、彼女には不安や恐怖といった感情はないのだろうか? と考えてしまう。

 とにかくユーンは、今の自分にできることを考えた。

「…じゃあ、葉かなにかでお皿を作ります」

「…ええ、お願いします……」

 ユーンは、頷き辺りにめぼしいモノがないかきょろきょろと見回す。

「……私も少し海岸を見回ります」

 ハーミアはそう言うと海岸に向かい始める。その表情はどこか不安げでもあった。


 赤い月の光が3人を照らしていた。サイが静かに釣りをするなか、少し離れてカーリャが座り、フィルはカーリャの様子をうかがっていた。

「……リアさん……」

 海岸で座り込むカーリャが、ぽつりとつぶやいた。思えば思うほど、その名だけがカーリャの心を塗りつぶしていった。

 出会って三日しか経っていないが、その存在の大きさに気づかされる。そして、なにもできなかった自分をただただ責めていた。どうしてあの時、私は扉を開けなかったんだろう…。

「…………カーリャ………リアにいちゃん、きっと生きてるよ!」

「だけど………」

「誰かリアにいちゃんの死んでるとこ見たの? リアにいちゃんは『リターニングソルジャー』って呼ばれてたんだよ? 絶対生きてるよ! おいらは信じてる!」

「…フィル…」

 必死で慰めようとするフィルの姿に、カーリャの心は震えていた。

 私はなんと情けないのだろう。

 誰もが不安を感じているこんな時に、私だけ私的な感情で落ち込んだりして…。

 こんなことではリアさんに笑われてしまう。もう、十分泣いた。いつまでも落ち込むわけにはいかないんだ。

「…そう…だよね。うん、私も信じる…」

 満足そうに頷くフィルにカーリャが続ける。

「……私、決めた!」

「え?」

 立ち上がるカーリャを不思議そうにフィルが見上げる。

 カーリャは二本の刀をずらりと抜き、赤い月に向けてその刀身を交差させる。

 真紅の月をバックに赤と蒼の光が美しく混ざりあっていく。

「あの人が、この刀でなにを見てきたのか私も見る。そうしたら、あの人にもっと近づけると思うんだ。そして……そしていつの日か…この刀をリアさんに返すんだ。胸をはって返せるようになって……」

 まるで赤い月に誓うかのごとく言う。その言葉は力強く、不安も迷いもないようだった。

 フィルが自分のことのように嬉しそうに手をたたく。カーリャが元気を取り戻したことを心から喜んでいるようだ。

「おいらも、つきあうよ!」

「…フィル。ありがとう、でも危険かもしれなよ?」

「いいの! だってさ、カーリャとリアにいちゃんの感動のラブシーン見たいもん!」

「ば、ばか! そんなんじゃないって!」

 顔を真っ赤にするカーリャを笑い、フィルはさらに楽しそうに笑った。

「それに、冒険に危険は付きものさ! じゃなきゃ、楽しくないじゃん! ね、サイにいちゃん」

「…ああ、そうだな」

 めずらしくサイが笑顔で答える。船の中でのことを気にしているらしく、釣りをすると言いながらもカーリャのことが心配なのだろう、彼なりに気をつかっているようだった。

「それはそうと、何か釣れたの? 私、お腹空いちゃったよ」

 お腹を押さえるような仕草をしてカーリャが言う。

「……食う…つもりだったのか?」

「へ? なに言ってんの? 食糧不足なんだからあたりまえじゃない!」

「あー! サイにいちゃん、まさか全部リリースしちゃったの!」

 サイがこくりと頷く。

「なぁにーしてんのさー!」

「…そういうことは最初に言ってくれないと困る」

「この状況なんだからわかるでしょ?」

「いや、こういう状況だからこそ、釣りをして精神統一をだな…」

 カーリャとフィルが同時にうなだれる。さらに、すでに4匹もリリースしている事実を聞かされて二人は一層、疲労感に襲われてしまう。

「…元気そうだな」

 へ? と間の抜けた顔をするカーリャに、サイが苦笑する。

 先ほどまであんなにも落ち込んでいたのに、全くもって女心はわからない。それとも強がっているだけなのだろうか?

「次からは、とっておこう。食べるために釣りたくはないけど仕方ない…」

 サイはそう言って、海と魚に対し礼をするように目を閉じる。

「ねえ、おいらにも釣らせてよ〜」

「だめだ。今は非常時だからな。お遊びじゃないんだから…。また、今度教えてやる」

 絡みつくフィルを無視して、サイは釣りを続けた。

 フィルはつまらなそうに海を眺め始める。

「……なんにも流れてこないね」

「……うん…。ねえ、フィル。明日は山の方に行ってみようよ。何かあるかもしれないよ?」

「えっ、賛成賛成! みんなで行こう!」

「おいおい、みんなで行くわけにはいかないだろう? この調子じゃ俺は明日も釣りをしなきゃいけないし、一人は海岸で船が通らないか見張っておかなきゃいけない。 川があれば、そっちで釣りをしてもいいんだがな…」

 そっか、と納得するフィルとカーリャにサイは一抹の不安を感じていた。

 この二人は事の深刻さを理解しているのだろうか。しかし現状では、無理矢理でもこの空気を明るくしてくれる、前向きな人物は必要だった。

 カーリャは決断力があるし、フィルは行動力がある。ルーは魔導師らしく頭が切れるし、ハーミアは冷静で信頼できる女性だ。ただ、ユーンだけが心配だった。彼女ほど冒険や危険の似合わない人物もいないだろう。

「…カーリャ、明日はユーンも連れて行ってやってくれ。いい気分転換になるかもしれない」

 カーリャが無言で頷く。ユーンを心配しての言葉に、サイの優しさを感じる。

 ついで、舟の中でのやりとりを思い出してしまう。

 この人はリアさん達を助けたくてああ言ったんだろう。それなのに私は、この人に剣を向けてしまった…。

「カーリャ……、しっかりしなよ。おいらが思うにこのパーティーのリーダーはカーリャなんだから!」

 えっ? とカーリャが驚いた表情を見せる。

「だ、だめよ、私なんて」

 戸惑うカーリャにサイは顔も向けずに言う。

「リアに近づきたいんだろう?」

 サイの言葉が心にずしりと響く。

「……他の人は反対するかもしれないし……、すぐには決められないよ。……少し、時間をくれない?」

 長い沈黙のあと、カーリャが答えた。あの人ならこんな時きっとみんなをまとめ、先導してくれるだろう…。

 しかし、今の自分にその資格があるのかどうかカーリャにはわからなかった。


 出港して三日目の夜、サイの釣りあげた魚で食事を終わらせた一行は、明日に備えて眠りにつくことになった。

 ハーミア達が用意したテントは、ユーンが大きめの布を縫い合わせて作った物ですこしは雨風を凌げそうな代物にはなっていた。

 カーリャによる提案で明日の日程は山側の探索と決まり、見張りは次の日海岸で待機することになっているルーが努めることになっていた。

 しかし、今日のような激動の一日に睡魔に勝つことなどできるはずもなく、ルーは数時間としないうちに眠りについてしまう。

 何時くらいだろう…不安からかなかなか眠れずにいたユーンが、眠るのをあきらめたかのように閉じていた目を開いた。

 目の前ではフィルが身を寄せるように眠っていた。かわいらしい寝顔に思わず笑みがこぼれる。

 ユーンは体を起こし、フィルに寄せ集めた布をごそごそとかけ直す。と、ふいにユーンの手が止まった。

 ふと海岸の方を見ると、ハーミアが一人、海岸でうろうろしていた。

「…う、ん、あれ、眠ってしまって…? …どうか…しましたか…?」

 布のこすれる音に気づきルーが目を覚ます。ゆっくりと上半身を起こしユーンの目線をたどる。

「…なにを…しているんでしょうか?」

 ユーンが小声で聞いてきた。

「なんだか様子が変ですね。ちょっと聞いてきます」

 ルーは音をたてないように周りに気遣いながら立ち上がり、海岸に向かった。

 外は月の明かりが強いせいか、歩くのには不自由しない明るさだった。

 思ったよりも波の音が大きく、海岸にいることを今更ながら認識させられる。

「こんな夜中に何をお探しですか?」

 ルーの言葉にハーミアが振り向く。

 いかなる時も冷静で感情をあまり表に出さない彼女が、絶望と焦りとで困惑していることが一目で見てとれた。

 しかし赤い月に照らされるその表情もまた格別に美しく、不謹慎と思いがらもルーは心がえぐられるような気持ちになってしまう。

「…なんでも…ありません…」

「なんでもなくはないでしょう? なにか大事な物でもなくしたんですか? 僕でよければ手伝いますよ?」

 しかし、ハーミアはその言葉にもたいした反応を示さない。心ここにあらずといった感じだ。

「ハーミアさん…」

「……聖印を…なくしてしまったのです。これくらいの大きさの…」

 ハーミアが両手で大きさを示す。そんなに大きなものではないようだった。

「…聖印…………信仰神はなんですか? アールフの聖印ですか?」

 その言葉にハーミアがはっとする。

「す、すみません。やっぱり自分で探します。私の不始末で迷惑をかけることなんてできませんし…」

 しかし、とルーが心配そうに言うがやはりハーミアは首を横に振る。

「お願いです……。後生ですから…どうか…」

 いつもの強い口調はどこにいったのだろうと、ルーは彼女の弱々しい発言に驚いていた。

 彼女が懇願してくるなんてよほどのことに思えた。

 ルーは黙って、自分が羽織っていた毛布をハーミアに優しくかける。

「なにかあったら呼んでください。俺はキャンプにもどります…」

 それ以上なにも言わず去ろうとするルーに、ハーミアは感謝の言葉もかけられない自分をはがゆく思った。

 どうして、もっと素直に……優しく言えないのだろう……と。

 

 出港から4日がたっていた。

 釣り担当のサイと海岸探索担当のルーを残し、カーリャ達は島の中央にそびえたつ岩山に向かって、森林の中を進んでいた。

 一行はすでに梺を抜け、中腹にさしかかろうとしていた。

「ここの森、綺麗だね」

 フィルの言う通りこの森は綺麗だった。木々の間から差し込まれる光は、空に向かって大きく伸びる大木の葉の影響で、美しい緑の光の階層をつくっていた。

 時折海岸から駆け上がってくる風が、ざざざざと葉を鳴らし、その光をゆらゆらと動かしていた。

「…みなさんは、これからどうするんですか?」

 ユーンがポツリと言う。

 もともとキャンプに残っていたかったが、カーリャの強引な誘いを断りきれずにここまで来てしまったユーンには、疲れと不安から風景を楽しむ余裕はなくなっていた。

「この島からどうやって町に戻るつもりですか?」

 不安に押しつぶされそうな気持ちをそのまま言葉にしたのだろう。それはここにいる誰もが思い、誰もが考え、そして誰もが答えを見つけられずにいることだった。

 それでもカーリャは元気に、希望に満ちた目を見せて歩む足を止めずに言った。

「……そうね、とりあえず船が通るのを待つしかないんじゃないかな。それに、リアさんが言ってた。生存確率が高まるように私たちを護衛士として選出したって…。だから今の私たちがしなければいけないことは、生き残るための術を見つけることと、個々の能力を生かすことだと思うの。自分の役割みたいなものが見えてくれば、リアさんが考えてた通りに生存確率も高まるはずだから……」

「……私になにができるんですか? 闇とあの霧に怯え、来るかどうかもわからない船を待ち続けるなんて、私には耐えられない…。大体、カーリャさんが言うリアさん自体、もう……」

 そこまで言い、ユーンがはっと言葉を止める。

「…大丈夫だよ、ユーン。きっと、みんなで町にもどれるよ」

 カーリャは少し悲しげに、しかしすぐに笑顔を取り戻し答えた。

 そして、前方を歩くフィルを追いかけるように足を早める。

「…ユーン……みんな不安なんです…あなたと同じように。だけど誰も町に帰ることを、あきらめていません。だから、あなたもがんばって……。カーリャのように前進してみなければ何も見えてこないし、何も起こらない。だから……みんなでがんばりましょう」

 ハーミアは自分に言い聞かせるように言った。

 そう、この問題は一人でどうこうできることじゃない。だから、もっと私もみんなの力にならなければいけないのだと。

「……うん……私カーリャさんにひどいことを………」

「彼女なら大丈夫よ、きっと。彼女は強いから。心も、体も…」

 事実、前夜の落ち込み様からは想像できないほど、彼女は明るく振る舞っていた。

 強がっているふうにも見えるが、その気丈さがみんなを勇気づけているのは間違いなかった。

「ねー! みんな! あっちの方向で煙が出てるよー!」

「お、温泉じゃない!? きゃー、お風呂よ! お風呂!」

 前方からフィルとカーリャのはしゃぐ声がする。

 それを聞いて、二人は顔を見合わせくすくすと笑う。

「本当に…たくましいわ…」

 ハーミアがそう言って、ユーンと共にカーリャ達のところに駆け寄ろうとする。

 その時、ハーミアの視界が一瞬暗転した-----


「もう釣りはしないんですか?」

 釣り道具を片づけようとするサイに、ルーが話かけた。

「今日の分はつれたからな。あそこのくぼみに閉じこめてある」

 サイが指を指す方向を見ると、海岸に石を積んでつくられた囲いがつくられていた。中には海水が入っているようだった。

「そっちはどうなんだ?」

「…やはり舟からはなにも流れてきていないようですね」

 ルーが海岸を見渡しながら言った。明るくなればなにか見つかるかもしれないと思っていたが、残念ながらなにも流れ着いていなかった。

 昼間の海岸は平和そのもので、例の霧もでていなかった。

 日差しがきつく、ルーにはいささかきつい探索となっていた。

「そうか……。俺はすこしハーミア達の所に行こうと思う。なにかあったら、大声あげて逃げてくれ」

「なにもないことを願いますよ…」

 ルーが肩をすくめながら言うと、サイは得物のトライデントを持ち、ここは安全さとつけ加え森の中に入っていった。

 しばらくルーは海を眺めていたが、やがて仕方がなさそうに月魔法を唱え始める。舟で使用した魔力感知の月魔法だった。                 

 『力ある言葉』に反応し、わずかに岩陰で魔力を感知される。

 どうせなにもないだろうと半分あきらめていたルーは、その結果に驚きを隠せなかった。

「……うっ、うそでしょう! まさか感知できるものがあるなんて…」

 そして、少し興奮気味に岩陰に駆け寄る。

 砂浜と岩の間にソレはあった。ソレはネックレス状のものだったが、肝心な中央の飾りがなくなっていた。

「ネックレス…? ………いや、この模様はたしか……これは……」

 飾りの部分がなくとも、ルーにはソレがなにかわかっていた。同時に持ち主にも見当がつく。

 そう、難解なリドルが解けたように、バラバラだった情報が雷火の如く脳を駆けめぐり一つになろうとしていた。

「……そうか…そうだったのか。なるほど………」


「きゃぁ!」

 悲鳴とともにハーミアが後ろに転がり落ちた。

 そしてそのまま木にぶつかり、ハーミアはぐったりと横たわってしまう。

「ハーミアさん!」

 ユーンが叫び駆け寄ると、ハーミアは頭をゆっくり振りながら、手をついて弱々しく上半身を起こす。

「…な…なんなの…? つっ!」

 左腕に激痛が走った。折れてはいないが、服に血がにじんでいた。

 腕を押さえるが、ついで呼吸がつまり思わず咳き込む。ハーミアには、なにが起こったのかわからなかった。

「あ、あれ……」

 ユーンが指を指す方向に見たこともない怪物がいた。

 例えるならそれは大蛇。体長は6〜7メートルありそうだ。しかし問題は体長ではなく、その異形さだった。長い体は途中で二つにわかれ、そしてその先に2つの頭を持っていた。双頭蛇(2ヘッドバイパー)が長い舌をちらちらと見せて、それぞれの頭を揺らしながらユーン達のほうに向ける。

「カ、カーリャ…」

 ちょうど双頭蛇をハーミアとはさむ位置に、フィル達がいた。傾斜があり見下ろせる状況のため、カーリャ達には事態の把握ができていた。

 どうやらこちらの呼びかけに応じたハーミアが、下から駆け寄ろうとした時に、双頭蛇の木の上からの奇襲にあったようだ。

「た、助けなきゃ……」

 震える手を押さえフィルが背中の筒に入っているショートボウの矢を抜き取る。

 カーリャも静かに後ろ腰に差す『ザイルブレード』に手をかける。

「カーリャさん! 後ろ!」

 ユーンの言葉に反応しカーリャが素早く振り向くが、少し遅かった。

木の上から降りてきたもう一匹の双頭蛇が、頭をつかってカーリャを吹き飛ばす。

「2匹も……」

 絶望するユーンに向かって目前の双頭蛇が鋭い牙をむき襲いかかってきた。

 吹き飛ばされたカーリャが、木にぶつかりせき込む。一瞬呼吸ができなくなり、苦しさのあまり涙がにじんだ。

「……いったぁ…。もう、口ん中切っちゃったじゃない!」

 カーリャはぺっと血を吐き、腕で口を拭う。そして、すぐに立ち上がり刀を引き抜いた。

「…リアさん、行きます!」

 カーリャが刀に念を込め、間合いを一気につめる。

「カーリャ、ユーン達と分断されちゃったよ! はやくこいつを倒さないと!」

 カーリャは頷き双頭蛇に一撃目を放つ! それは、リアに向けた初太刀と同じだった。彼女の得意とする最速の二連撃だ。

 が、双頭蛇は恐るべき反射神経と、意外なほどの動きの早さで一撃目をかわす。

「…っく!」

 つづけざまに渾身の2撃目を繰り出すが、双頭蛇はまたしてもかわし、カーリャはその勢いで思わず体勢を崩してしまう。

「しまった!」

 双頭蛇の右の頭がその機を逃さずにカーリャにむけて、その鋭い牙をむいた。が、一瞬その動きが止まる。

 つんのめるカーリャの頭上で気配がした。気配の主はフィルだ。

 フィルの小さな体がカーリャを身軽に飛び越えて、空中で矢を引き狙いを定めていた。

「くらえーーー!」

 タイミングはばっちりだった。これまで、カーリャの戦いぶりを見てきたフィルだからこそできる芸当だ。

 しかし双頭蛇の左の頭がそれに反応した。左の頭がハンマーのようにふられ、体重の軽いフィルは矢を放てぬまま逆さになって吹き飛んでしまう。

 どん! と、フィルが木にぶつかる大きな音が後ろからする。

「フィ、フィル!」

 カーリャが後方にとび、間合いをあけて後ろを振り向く。そして、フィルの姿を見て驚いた。

 フィルは木の枝に足をかけ痛みをこらえながらも逆さのままの状態で、矢を引いたまま双頭蛇に狙いをつけていたのだ。

「いっけぇ!」

 気合いとともに、フィルの執念の一撃がびゅんっと風を斬り飛び立つ。

 狙いに狙った矢は一筋の光となり、凄まじい早さで獲物の喉深くに食らいついた。

 双頭蛇の右側の頭は痛みをこらえられずに暴れていたが、やがてぷつんと糸が切れたかのように地に伏せてしまう。

「へへへ…おいら、すごい……」

 どさっとフィルが木から落ちる。しかし今度はそのまま動こうとしなかった。

「…あとは、たのんだよカーリャ。おいらちょっと休む……」

「……うん、任せて!」

 カーリャは『ザイルブレード』を握り、再び双頭蛇に向かった。

「…逃げなさい! ユーン」

 涙を浮かべるユーンをハーミアが一括する。

 体が思うように動かず、神聖魔法を使うことに集中できなかった。このままでは、二人とも……

「い、いや、いやー!」

 ユーンが座り込み、ハーミアに抱きつき泣き叫んだ。

 ……何もできない。殺されるんだ、と漠然と理解する。

 いまのユーンには精霊を呼び出すほどの精神的余裕はなかった。

 ハーミアにも打つ手がなかった。ただ一つの切り札を残して。

 ……でも…私にはできない。もう、二度とあんな思いはしたくない。

 …もしかしたら、これでようやく悪夢から解放されるのかもしれない……。プラティーンさま…

 ズザザザザザザ…

 せまりくる双頭蛇の牙とその音に少女達は思わず目を閉じて死を予感する。

 バシュッ!

 牙が肉に食い込む耳障りな音がした。全てが終わったと感じた。

 ユーンとハーミアがゆっくりとその目をあける。鮮血が視界に広がっていた。しかしそれは、自分の血ではなかった。

 目の前で青い髪の男が二人に背をむけて、左腕を犠牲に双頭蛇の牙を受け止めていた。そして男が右手にもつ槍は、双頭蛇の右側の首を貫いていた。

「……いじめっこは嫌われるぜ?」

 男はそう言い放ち、無造作に三つ又の槍を引き抜く。

 二人は双頭蛇を凝視する青い髪の男に見覚えがあった。

「ユーン。怪我はないな?」

「……え? あっ、はい…」

 まだ呆然としているユーンの言葉を聞くと、次にハーミアの方に視線をうつす。

 ハーミアもだまったまま頷いた。

 サイはそれを確認すると、再び双頭蛇を睨みつける。

 その気迫におされた双頭蛇がサイの左腕を解放し、思わず後退してしまう。先ほどまでの強烈な闘争心は、もはやすっかり影をひそめてしまった。

 サイはポタポタと血を流す左手で腰の水袋をはずし、その口を開けると大きく円を描くように袋を動かし水をこぼす。すると不思議なことに水が空中で停滞し、その軌跡が一つの水の輪をつくる。

「あれは…ゲート?」

 ユーンが言う。それは精霊使いが、契約する精霊を召還する際にその触媒を使ってつくる“門”だった。

『サイフォード=ラルクの名において命ずる。盟約に従い、いでよネレイデス!』

 サイは精霊語特有の雑音のような言葉を使い召還魔法を唱えた。

 ぐわんと、水の輪が大きく揺らぎみるみる形を変え、やがて女性の姿をとる。

「ウンディーネ………精霊魔法も使えたんですか」

 ユーンがあっけにとられて言った。

 サイはそれに答えずに、痛みをこらえながら精霊の制御をする。

 痛みの走る腕が、精霊の制御時間に限界を与えていた。さらに双頭蛇が落ち着きを取り戻しはじめていた。

 瞬殺する以外に勝ち目はない! そして、今がそのチャンスなのだ。

『我、のぞむは水の刃!』

 サイが印を結ぶと、ネレイデスの形がさらに変化し、水の槍となって双頭蛇に向かって凄まじい勢いで突っ込んでいった。

 危険を感じた双頭蛇は、威嚇するように口を開けるが無情にも水の槍がその喉元をどんっと貫く。

 サイはウンディーネを解放すると、そのまま斜面を駆け上がった。

「くっ! どうしてあたらないの!」

 カーリャは苦戦を強いられていた。

 一対一の戦いには自信があったが、それは相手が人間だったからだ。こんな怪物を相手にするのは初めてだった。

「せめて、抜刀術が使えれば…」

「なにをやってるんだ!」

 サイが槍を構えて駆け上がってくる。

「サ、サイ!? どうしてここに!」

「そんなことはいい! 早くそいつを倒せ!」

「そんなこと言ったって、私の攻撃、全部かわされちゃうんだもん!」

 サイは一気にカーリャの隣までやってくると、槍を構え直す。

「考えろ! リアならこんな時どうする!」

 その名にカーリャがはっとし、先日の船上でのリアとの練習を思い出す。

“カーリャ、お前は一対一の抜刀に関してはかなりの技術をもってるが、複数戦や連撃が甘い。俺がお前にした連撃を覚えているか? 連撃は早いだけじゃ駄目だ。緩急をつけたり簡単なフェイントをつけるだけでかなりの武器になる。最速で振るなら、最初か最後にしろ。覚えておけカーリャ…”

「行くぞ! カーリャ!!」

 サイが飛び込み鋭く槍を突きつける。

 双頭蛇がかすりながらもそれをかわすと、今度はカーリャが飛び込んできた。

「いくよ! リアさん直伝! 雲耀撃!」

“打ちこむ太刀の早さの尺度で「雲耀(うんよう)」というものがある。一呼吸の間を「分」、その8分の1が「秒」、その10分の1が「()」、その10分の1が「(こつ)」、その10分の1が「(ごう)」、さらにその10分の1が「雲耀」だ。雲耀は稲妻と同じ早さと言われてる。魔剣でも使わなきゃ出せないだろうな。この組み合わせを自在に扱えれば、最高の連撃ができるはずだ”

 カーリャは練習では「糸」までの早さなら二連撃できていた。しかし、この相手には最低でも三連撃しなければならなかった。

 できるの? 私に。…いや、迷ってる時間はない。やらなきゃ殺られるんだ。

 カーリャは瞬間的に、集中力を極限まで高める。そして、その溢れんばかりの才能を双頭蛇にぶつけた。

「はあぁぁぁ! 秒!」

 やや早いスピードで振られる一撃目を双頭蛇がやはりかわす。しかし、カーリャもそれは読んでいた。

「分!」

 一拍遅れて極端に遅い二撃目が双頭蛇に襲いかかる。

 あまりのスピード差に双頭蛇の反応が遅れるが体勢を崩しながらもこれもなんとかかわす。

「糸!」

 そして、本命でもある最速の三撃目! さすがの双頭蛇もこれはかわしきれず『ザイルブレード』が深々と双頭蛇の体に突き刺さった。

 双頭蛇が痛みに狂い、憎々しい目の前の人間に一矢報いるためにその口を開く。

 あわててカーリャが刀を引き抜こうとするが、深く刺さる『ザイルブレード』は双頭蛇の体から抜ける気配はなかった。

「きゃあ!」

 たまらず悲鳴をあげるカーリャの間にサイがわって入り、双頭蛇の牙をトライデントで受け止める。

 カーリャはその隙に『ザイルブレード』を手放し、腰に差す『ユング』で得意の居合いをした。

 折れた剣先が双頭蛇の首を薙ぐ。

 痛みのあまり頭をあげのけぞる双頭蛇。そして一瞬後、大きな音をたてて地に伏せてしまった。

 ふう、と安堵の息を吐き座り込むカーリャに、サイが笑顔を見せる。

「…なんだ、お前、強いんじゃないか…」

 カーリャは首を横に振り、笑顔のまま「さんきゅー」と言った。


「はぁ〜、生きえるぅ〜」

 カーリャが少し熱い湯につかり、満足そうに足を伸ばす。

 双頭蛇との戦闘に辛くも勝利したカーリャ達は、小高い位置にある温泉まで登り、しばしの休憩をとることになった。

 サイとハーミアは治療をし、いち早く元気になったフィルは、ルーを呼ぶために海岸に向かっていった。           ハーミアは治療を終えた後も、どうしても一人で温泉に入りたいと言うため、まずユーンとカーリャが入ることになっていた。

「海水で体がべたべたしてて気持ち悪かったのよー。本当は服も洗いたいけど、サイ達がいるからそうもいかないね」

 ちゃぽんと音をたてカーリャがお湯をすくって、頭からかぶる。塗れた黒髪が女を感じさせていた。

「私も、まさかこんな島でお風呂に入れるなんて思いませんでした」

 ユーンも嬉しそうに答える。

 体がべとつく不快感から解放され、温泉は気分転換以上の効果を発揮しているようだった。

「ねぇ、ユーン。あれ、食べられるかなあ?」

 カーリャが、向かいの木に成る果物に興味を示す。

「たぶん、大丈夫ですよ。昔、お料理で使ったことがあります」

 ユーンの言葉を聞いたカーリャは嬉しそうに立ちあがり、しなる枝に手をのばした。

「あっ! カーリャさん、あんまり立ち上がらないほうが……その位置からだと…その…上半身が下から見えちゃいますよ…」

 大丈夫と根拠なく答えカーリャは、見事に赤く実る果実を二つ獲得しユーンのもとにもどってくる。

 一つはユーンに渡し、残る一つにおいしそうにかぶりつく。

 ユーンも真似るように、しかし控えめにかじる。

 二人は、口の中に甘い香りが広がりのどが潤う至福の感触を、しばし堪能していた。

「…ねぇ、ユーン。ユーンはどうしてこんな仕事をしているの?」

 ユーンは少し考えるようなそぶりを見せるが、やはり言いたくないと首を振る。

「そっか……」

 しばしの沈黙。やがて…

「カーリャさん。一つだけ…いいですか?」

「ん?」

「…リアさんのこと。好きだったんですか?」

「……う…ん…どうだろう……。一緒にいて楽しかったし、尊敬もしてる。憧れてるのかな。私も、ああいう冒険者になりたいなぁって…」

「……本当に…生きていると?」

 やや間がありカーリャが、うんと頷く。

「…そう簡単に死ぬ人じゃないと思うし。それに、信じるぶんには自分にとってもプラスになるじゃない? ……私は、あの人に近づかなきゃいけないの。あの人が何を見て、何を感じたか知りたい。……あの時、あの人がその気になれば船内に入れたと思うの。でも、入らなかった。その行動の真意を知りたいんだ…。なんのために戦い、どうして私達の前から姿を消したのか……」

「……強いんですね、カーリャさんは…。私なら多分……どんな理由にしろ…好きな人が目の前から消えたりしたら、落ち込むだけだと思う…」

「………私だってさ…悲しいよ。…胸が張り裂けそうなくらい…。でも生きてるかもって考えたら、こんなところで死んでる場合じゃないでしょ? 会いにいかなきゃ、何年かけてでも…」

 ユーンはハーミアの言う通りだと思った。カーリャはとても強かった。

 それはとても羨ましく思え、それはユーンもたどりつかなくてはいけない場所であった。


「…あまり、無茶をしないでください」

 ハーミアがサイの左腕に血止め草をあて、目を合わせずに少し冷たく言う。

 双頭蛇の毒に侵されていたサイに浄化魔法を使い、ほとんどの精神力を使ってしまったハーミアは、薬草を使って応急処置を行っていた。

「死人が二人でるよりはマシだろう?」

 笑って言いのけるサイに、それにしたってとハーミアが反論する。

「……前に舟で俺が言ったことを覚えているか? …俺、ハーフエルフだから…色々いじめられてね…、小さいときよく泣かされたんだ。たしかに俺には、ハーミアやユーンを命をかけてまで守る義理はない…。あの時の二人が……いじめられてた時の俺に重なりさえしなければ、こんな格好の悪い真似はしないんだが……」

「……ごめんなさい。助けてもらったのに……」

 うつむくハーミアに、サイが首を振る。

「…俺が無茶した結果、こうして迷惑をかけてしまった。悪いのは俺さ。…まだ信頼関係なんて望めないが、どうせ脱出するならみんなで脱出したいしな。その後のことはわからないけど、俺は誰も失いたくないんだ…」

 言ってサイが立ち上がる。

 荷物から釣り具を出すところを見ると、どうやら川釣りに行くらしい。まったく、この人は…と、ハーミアが思わず笑う。

「ちょっと釣りに行って…どわぁ!」

 サイがハーミアの方を向くやいなや、大げさにのけぞってしまう。

「サイ? ……なにか?」

「い、いや、なんでもない。なんでもないんだ」

 顔を赤くして妙に慌てるサイをハーミアが不思議そうに見つめる。

 サイはますます顔を赤くし慌ただしく荷物をまとめ、川に向かおうとした。

「あっ、サイ!」

 本当になんでもないんだと、いう表情でサイが振り向く。その顔はまだ赤かった。

「助けてくれて…ありがとう」

「……ん、…あっ、あぁ。気にしないでくれ。…それに」

「それに?」

「いじめっこは嫌いなんだよ…」

 サイは笑顔でハーミアに答えた。

 やがてフィルがルーをつれてもどり、サイとともに温泉に入る。食料になりそうなものは、カーリャが見つけた木の実くらいで他にめぼしい物は見つからなかった。

 そのためハーミアは温泉から出るとすぐに再び海岸の探索をしに、ルーとユーンはキャンプ道具や寝具を充実させるために下山していた。

 少し時間があいたカーリャは剣術の練習をするため、開けた場所を探しに小さな川岸まで足を運んでいた。

「うん、ちょうどいい広さね」

 カーリャは、きょろきょろと辺りを見回すとその場に座り込む。そして布袋から、剣術の書物を取り出す。

 続いて腰に差す二振りの刀をはずし、しばらく眺め、やがてそれをぎゅっと抱きしめた。

 力を込めるほど、留めていた感情が溢れて出る。あの人の言葉、あの人の笑顔、全てが思い出になるにはそれはあまりにも早すぎた。

 冒険者として、剣士として強がってはいても、カーリャは一人の女であることを捨ててはいない。

 さらに、彼への自分の感情にもまだ気づいていなかった。それ故、苦しみも大きなものだった

「カーリャ、どうしたんだろう…」

 偶然川釣りをしにきていたフィルとサイが、草むらに身を隠しカーリャに視線を注いでいた。サイはなぜかカーリャを見つけるやいなや、フィルを抱え草むらに隠れてしまっていた。

 フィルにはぜだかはわからなかったが、サイの顔はとりあえず赤かった。

 カーリャは刀を抱きしめたまま膝を抱えて座っていた。体が小刻みに震え、時折小さな嗚咽が聞こえていた。

「…あれで、リアのことをふっきってるつもりか?」

 サイが小声で言う。

 やがてカーリャはおもむろに立ち上がり川の水で、涙を洗い流す。

「カーリャー! なにやってんのー!」

「わっ! ばかお前!」

 駆け寄るフィルにサイは、ため息をしながら立ち上がる。

「あ、フィル。サイも…。うん、汗かいちゃったから川の水で顔を洗ってたの」

 ふーんとフィルがカーリャの置く荷物の横に座る。サイはやはり離れて座り、釣りを始める。

 カーリャは剣術書を開くと『ザイルブレード』で練習を始めた。

「…ねぇ、カーリャ。どうして冒険者になろうと思ったの?」

「……一緒に暮らしていたおじいさんが、元冒険者だったの。それで、小さい頃よく冒険譚を聞かされてさあ、いつのまにか私の憧れの職業も冒険者になったんだ」

「…へぇ……強かったの?」

「話だけ聞いてると強そうだったけど…」

 ふーんとフィルが言い、続けて『ミスト』のことをもちかける。

「……あれって、結局なんだったんだろう…」

「…私たちは島から遠巻きにしか見てないからね、やっぱり霧にしか見えないけど…」

「何でこの島にはやってこないのかなぁ…」

 カーリャが首をかしげる。

 結局、わからないことだらけだった。ユーンの言うとおり、私たちはこれからどうなるんだろうとカーリャが不安に思う。

 リアさん……私は一体、どうすれば……


 サイの釣った魚とカーリャが見つけた木の実で食事を終わらせ、念願のお風呂に入った一行に無人島での二日目の夜が訪れた。

 海岸では結局なにも流れ着かず船も通らずで、収穫はゼロとなっていた。

 逆に森林探索では、温泉が見つかりルーの説明でこの辺りは火山帯であるとわかった。

 夜も更けみんなが寝静まる頃、やはりハーミアは一人海岸で聖印を探していた。

 見つからない……見つからない……どうしよう………

 気持ちばかりが焦っていた。この時ばかりは冷静にはいられなかった。

「手伝いましょうか?」

 はっとして振り向くと、ルーがハープを片手に立っていた。

「…いえ、大丈夫です……」

「………白金なる月の神プラティーン…たしか教義は“白金の月へ至る道を求め、其を阻む物すべからく闇へ捨てよ”ですよね……」

 ハーミアの顔色が変わった。驚きと困惑が入り交じる。

「これを……今日見つけました。本当は黙って渡すべきなんでしょうが……そうもいかないでしょう…。僕が何を言いたいのか、わかりますよね?」

 ハーミアが目をそらし、小さく頷く。それは、ルーの推測を確定づけさせた。

「…その昔、僕に音楽の素晴らしさを教えてくれたエルフ族の吟遊詩人がいました。その彼から旅の話を色々伺ったんですが…その中であなたの信仰する神、プラティーンのことを聞いたことがあります。その教義は簡単に言うと…自らの目標・望みを成就させるためなら、いかなる手段をもちいてもかまわない、神はそこに通じる道に明かりを照らしてくれる…ですよね。そう、例え人を殺して成就させても、それは教義には反しない……」

 ルーがネックレスを目線の高さに持ち、のぞき込む。

「この真ん中に月の神の横顔が入っていたんですね? 残念ながらそれは見つかりませんでしたが、それを囲むプラティーンの髪をかたどった部分が残っていたので、すぐにわかりました」

「私は………」

「質問は一つです。あなたがこの神になにを望んでいるのか、です。あなたの信仰する神は、その教義の危険性から一般には邪教とされています。しかし、その目標によっては全く人に危害を及ぼさないものもあるでしょう。…答えて下さい。あなたの目標はなんですか?」

 沈黙するハーミアに、ルーは質問を続ける。

「なにか後ろめたいことでもあるんですか? これまで、できるだけ僕達との接点を無くしていたのも、あなたがプラティーンの信者だからでしょう? その答えによって、我々にも危険が及ぶ可能性はあるんです。あなたには話す義務があるはずです」

「…あなたは………あなたはなぜ冒険者になったのですか?」

「…それは……今は関係ないと思いますが……」

 ハーミアがやや感情的に頭をふった。

「言いたくないのでしょう? それは私も…私も同じです。私だって人に言いたくないことぐらいあります。…あなたのおっしゃることは、もっともです。でも、みなさんには迷惑はかけません。私は人に危害をあたえるような道を選びません。信じて下さい、としか言えませんが……」

 懇願するように言うハーミアの首元にルーが突然すっと手を伸ばす。

 あっと、ハーミアが肩を上げ逃げるように首を曲げると、ルーは両の手を首の後ろに回しネックレスをかけた。

「僕は別に疑うつもりはありません……。それはこれまでの、あなたの行動を見ていればわかることですから……。ただ、確証がなかったから確かめたかったのです。試すような真似をしてすみません……」

 ルーはすっと一歩退き、非礼を詫びる。

「女性には紳士的に接することが、僕の信条なんです。特にあなたのような美しい方には…」

 ハーミアは複雑な表情でそれに応え、聖印を見つめ直す。

「このことは、秘密にしておきましょう。今みなさんに話しても、否定的にとらえられるだけでしょうし。もし聖印の片割れが見つかったら、今度は黙ってお渡しします。それから、その聖印は私の魔力感知に反応していたので、これからは僕が探しますよ。だから、あなたはもう寝て下さい。こんな暗い中で探すよりも、そのほうが効率もいい」

「いいんですか? ……そう簡単に、私を信じても?」

「……………ええ……信じたいってほうが本音ですが…いつの日か話して下さい。その時は、僕もお話しましょう。それから……これからは、もう少しみなさんと接したほうがいいと思いますよ。今のあなたの行動は怪しくて仕方ないですからね」

 ルーがくすくす笑いながら答えた。それに答えるようにハーミアも笑顔を見せる。

「……ルー……」

 ハーミアは今日二度目の『ありがとう』という言葉を言った。

 その直後だった。彼女の歌声が聞こえたのは……

 それは、あまりにも突然聞こえてきた。美しく気高い女性の歌声。

「な! なんですか? 我々の他に誰がこの島に!」

「ルー、とにかく行きましょう! 向こうの海岸から聞こえます!」

 その歌声はどこか悲しげで…狂おしいほどの切なさが伝わってくる。

 ルー達が走って向かう途中に、カーリャ達も合流する。

「なんなの! この歌は?」

「わかりません。言語もよく聞き取れない」

 カーリャの問いに、ルーが困惑の表情を示す。

「サイさん、これって精霊語では?」

「ああ、確かに入り交じっているが少し違うような……なんだ?」

 サイが怯えるユーンに答える。

 そして、一行はこの旅で最初の神秘に出会うことになった。

 赤月に照らされた、海に浸る岩の上に彼女はいた。

 それは形容しがたい美しさだった。

 腰まであろう薄く透き通るような蒼い髪は水の滴でキラキラと輝き、整った顔立ちとその歌声が一行の心をしばらく奪ってしまう。ボディラインは首筋から美しい線を描き、女性特有のやわらかなラインがとてもなまめかしい。

 そして、その線は腰の辺りから見慣れぬ動きをみせる。

 彼女は人魚だった。

 あまりの美しさと神秘的な光景にユーンが息をのんだ。

 ルーが一歩ふらりと近づき、ハープを鳴らす。まるで、彼女の歌にあわせるように……。

 彼女もこちらの存在に気づき、驚きのあまり歌うことをやめる。それでもルーはその優しい音色を止めなかった。やがて、彼女はその曲に合わせるように歌う。美しい旋律と彼女の歌声が混ざり合い、しばらくその空間は赤い月と音だけが支配した。

 やがて歌が終わり彼女は無邪気に笑い一行の方を見つめる。

「君……だれ? …おいら、フィルってんだ。ここって無人島じゃなかったの?」

 しかし、彼女はなにも答えず黙ってた。

「こんにちは。私はカーリャって言うんだけど…あなた人魚なの? とっても綺麗ね!」

 やはり彼女は反応を示さない。

「言葉が通じないんでしょうか…?」

「ああ、多分ハーミアの言うとおりだ。精霊語なら通じると思う……。ユーン、話しかけてくれないか?」

「わ、わたしですか!?」

 サイがこくりと頷く。

「精霊語はただの言語と違い、感情や心情といったものまで少なからず伝わってしまう。その……わかるだろ? 気にはしないようにしたいんだが、彼女は服を着ていない。文化が違うとはいえ、意識の外に追いやるのは難しいんだ。変な感情が読まれる可能性も…ある。ここは女性のユーンの方がいい」

「……まぁ、仕方ないですよね。男ですから」

 顔を真っ赤にするサイに、ルーが同意する。

「……なにを聞きましょう…」

「まず、彼女が誰なのかを聞いてくれ…」

 ユーンは大きく深呼吸をして、彼女の方に向く。

『あなたは、誰なんですか? 名前は?』

『………他に……精霊語を話せる方はいますか?』

 カーリャたちには雑音のような声にしか聞こえなかったが、おそらくこれが精霊語で今、会話が成立していることは見て取れた。

 ユーンは困ったようにサイの方を見る。

 サイは仕方なさそうに精霊語で俺だと答えた。

 すると、彼女は嬉しそうに天を仰ぎ海に飛び込む。そして、一行の目の前まで泳ぎその美しい体をおこす。

「やはり、やってきた。待ってたんですよ! あなた方を…」

 突然の共通語に思わず言葉が詰まる。

「ああ…私ったら。ごめんなさい、つい嬉しくって。私はイセリア・セシール、イセリアと呼んで下さい。人魚族の長の娘、つまりお姫様です」

「あの……おいら達が来るのがわかってたの?」

「ええ、月魔法使いのおばさまが教えてくれました。精霊語が話せる者が2人現れるって! そして、その人達が私の願いを手助けしてくれて、次の赤い月が満ちるまでに私の夢はかなうんだって…」

「願いってなに? おいらにも教えてよ」

 フィルが興味津々に訪ねると、イセリアは嬉しそうに説明した。

「私が前にここで見かけた人間がいるんです。彼は舟に乗ってて、私のことに気づきもしなかったでしょうけど…。でも私はあの日以来、彼を忘れたことはありません。おばさまの占いで、彼がレッジーナの商人の息子だってわかりました」

「そのおばさまって? おいら達の知らない人だよね?」

「人間の月魔法使いです。霧で見えませんがこことは反対側の島に、随分と昔から住んでいます。おばさまは私を人間にしてくれる薬をつくってくれる約束をしてくれました。そして、その材料を揃えるためにあなた方が現れ、レッジーナでも手助けしてくれるだろうって……」

「人間になる薬?」

 ハーミアの問いにイセリアがさらに嬉しそうに頷いた。

「おいおい、少し勝手すぎやしないか?」

「もちろん、あなた方にもメリットはあります。私があなた方をレッジーナまでお連れします」

 思わぬ言葉に、一行は驚きを隠しきれない。

 帰れるのだ、という気持ちが感情を一気に支配してしまう。

「できればすぐにでも、おばさまのところに行きたいんですが、何か他に質問でもありますか?」

「質問って言われてもすぐには浮かばないわ。突然すぎるし…」

「あら、あなた…」

 イセリアがカーリャの瞳をのぞき込み嬉しそうに笑う。

「…恋をしていますね?」

「…へ?」

「私と一緒ね! がんばりましょう!」

 イセリアは呆気にとられるカーリャの両手を掴みぶんぶんと縦にふる。

「あの…よろしいですか?」

「…え? あっはい…えっと……」

「ハーミアです。…霧の魔物がこのあたりに出ると思うのですが、あなたは大丈夫なんですか? あの魔物はなんなんですか?」

 イセリアは少し考えるような素振りをみせるが、やがてゆっくりと話し始めた。

「ヨグ…のことですね。あれは、ヨグ・ソートホート。今から約90年位前に、この海域に降臨した邪神です。と言っても今では、どこのどなたかに封印されてしまいましたけどね。あの霧みたいなのは、ヨグが存在してした証拠みたいなもので、90年前からその気配だけが残っているのです」

「け、気配だけで人を殺してしまうのですか! それも90年も前の!」

 ルーは驚きを隠せなかった。

 たしかに、どこかの海域で邪神が降臨された事件を文献で見たことがある。しかしその場所についての情報は完全に隠蔽されていた。それが…ここ…なのだ。

「ええ…それでも随分と弱まってきています。最近では舟の航路と重なってしまって海難事故がたえません。ヨグの気配は強い人間を見つけるとその人間にとりつき、自らの封印を解くために操るといいます。くれぐれも、気をつけて下さいください」

 どくんっと、カーリャの心臓が高鳴る。続いてリアの名が浮かぶ。そんなことはない…リアさんなら大丈夫……と言い聞かせるものの、憶測は悪い方向に流れていく一方だった。

「…それから、私が大丈夫なのは魔よけの呪歌を歌っているからです」

「呪歌? 呪文の一種ですか?」

「いいえ、私の部族に伝わる歌です。魔法にも似てるかもしれませんが、精霊語で歌うからやはり違いますね」

 イセリアはそこまで言うと、本題に入るべく話を変える。

「…とにかく、これから私が月魔法使いのおばさまの所に案内します。おばさまが、面会の希望に名乗り出た人を連れてこいと言っていたので…。おばさまのところには、ヨグを避けるため海中から進むのですが、その際私が水の精霊に呼びかけ呼吸をできるようにします。連れていけるのは2名までです。まず、精霊使いの方を一人…」

「えらく、急ぎだな」

「次の赤い月が満ちるまでに人間になって告白しないと、もうチャンスはないと言われてるんです。さあ、どなたが行かれるのですか?」

 サイがユーンの方をちらりと見る。彼女には少し酷に思い、俺が行こうと答える。

「それから、もう一人お願いします」

「私が行きます」

 意外にもハーミアが名乗りをあげた。しかしそれは当然なのかもしれない。

 ハーミアはイセリアの思いがけない言葉で頭の中がいっぱいになっていた。もしかしたら…と、期待してしまうのは無理もないことだった。

「決まりですね。では他の方は、これからあの山の山頂付近にある『コルド石』を一つ取ってきてもらいます。それだけが材料で足りないのですが、私はこの通り人魚ですからあそこまで行けないのです。急なようですが、お願いします。私はこの日のためにイカダを用意しました。おばさまのところにそれがあります。薬の材料がそろったらお持ちしましょう。それからこの島では、大きな双頭蛇が2匹確認されてます。どうかお気をつけて…」

「それならもう倒したよ?」

 誇らしげに言うフィルに、イセリアはやはり大げさに驚く。

「あぁ、これで私の願いも叶うんですね。もうすぐあの人に…人間になって……」

 イセリアが涙を浮かべ赤い月に祈りを込める。

「さぁ、出発の準備をしてください。なにか他にも質問があれば今のうちですよ」

 はやる気持ちを抑えきれないのか、イセリアはじれったさそうに言った。

   そして、人々は赤い月に踊らされる…

     歯車はもう、回ってしまっているのだから…

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