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act.4 我、騎士道を語るには未熟なり

 偶然、通りかかった人間に思いを寄せたイセリア。

 彼女は一年以上もの間、ひたむきに待ち続けて、その恋を成就させた。

 偶然、祭りで見かけた騎士に思いを寄せたアニス。

 彼女もまた一年以上もの間、ひたむきに待ち続けていた。

 形は違えど、それは同じ恋の話…

 立場は違えど、それは同じ乙女の想い…

 きっと、この冒険者達もそれがわかっていたのだろう。

 なぜなら彼らは、アニスの想いを叶えようとしているのだから。

 見返りを必要としない、異質な考え方をする冒険者。

 だからこそブラン伯は、彼らのスポンサーになったのかもしれない。

 今宵も月のもとで、彼らは無償の仕事に精を出す。

 迷える羊を助けようと…

 自らの想いとともに、月の光に照らされながら…


 外はすっかり日も暮れてしまい、空には淡く蒼色に光る月が出ていた。しかし満月まではまだ日が足りず、その姿は半分も見えていなかった。

 バッツィオからやってきた、今もっとも人気の高いサーカス団『カリアリ』のメインである大きなテントの中、一行は手早く打ち合わせを行っていた。

 依頼を受けて次の日、事件は早くもその全容を見せ始めていた。

 全ては一年前の祭りの夜に始まった。

 祭りの警護として巡回していた若い騎士に、気晴らしで外に出てきた魔術師が恋をしたのだ。

 しかし少女は告白する勇気がなかった。

 そこで盗賊ギルドに高額の依頼料を払い、遺失魔法『月影』の使い手を捜してもらった。相手が猫の姿をしていたら告白できるかもしれないと思ったのだろう。1年近くかかり、彼女はやっとの思いでその人物を捜し当てる。

 彼女の想いが真剣だからこそ、一行にはその問題がデリケートに思えた。

 依頼は「インザーギを猫に変えた人物を捜し、もとにもどすこと」である。依頼主に騙されるような形になったとはいえ、インザーギには悪いが、ここはアニスに一度あって、できれば力を貸してあげることで話はまとまりそうだった。

「じゃあ、みんなは賛成なのね? 一度アニスと会って事実関係をはっきりさせて、今後について話し合う、と…」

 サーカス会場の舞台の真ん中で、円陣を組むように座る仲間達にカーリャが同意を求める。

「…俺とフィルはインザーギに会いに行く。といっても見張りなわけだが……」

 カーリャが頷く。一応インザーギのほうも押さえておけば、いらぬ心配はなくなる。

「なんで、おいらもなの?」

「どう見ても俺と、フィルは恋愛話に強いとは思えないからな」

「僕も苦手なんですが……」

「……嘘だぁー! おいらが思うにルーは絶対、経験豊富だよ!」

 冷やかし半分のフィルに、ルーが顔を真っ赤にして首を振る。

 ハーミアはその慌てぶりがおかしかったのか、おもわず吹き出してしまう。

「…ハーミアまで…。僕はそんな…経験なんてないですよ」

「わかってるわ、ルー」

 それでもハーミアはくすくすと笑っていた。

「…あの、ハーミア………薬の話…聞かせてもらえますか?」

 ユーンの言葉に反応し、ハーミアの表情が一瞬だけ曇らせた。

 その表情に迷いの色が見えるが、やがて意を決したのかその重い口を開き始める。

 ハーミアが『万病の治癒薬』を探す理由はブラン伯にあった。ブラン伯は一年ほど前から肺を患っており、医者も司祭も直す術がわからないということだった。

 そしてもってあと一年であること。

「……このことは他言無用でお願いします。もちろんブラン伯本人にも、みんなが知っていることは気づかれないようにしてほしいんです。それから、なにか手がかりがあったら…」

「もちろん、真っ先に教えます」

「それに、手伝わせてもらうわ」

 ハーミアの言葉を遮るようにユーンとカーリャが言う。

「みんなも異存はないよね?」

 黙って頷く仲間達を見て、ハーミアはうち明けてよかったと心から思っていた。

 みんなで探した方が早いだろうし、みんなもきっと協力してくれるだろうから…だからハーミアは打ち明けた。

 …一人で抱えているのは、たぶんいけないことだと思って。

 以前の…冒険者になり立ての頃のハーミアならこんな考え方は持てなかっただろう。

 信頼できる仲間達と、ブラン伯と、そしてずっと私を見守ってくれていたリードのおかげなのかもしれない。

 ふとリードの、今となっては幼くなつかしい表情が思い浮かぶ。

 ……ただ単純に、リードに会いたい…それは恋愛感情とは別なのか、わからないけど…それを確認するためにも会いたかった。

「……? どうしたの? ハーミア」

 カーリャの呼びかけに対し、顔を向けるがすぐに視線をそらしてしまう。

 自分の望みに忠実に生きよ……それがプラティーン様の教え…私の信じる道、私の選んだ道…プラティーン様が道に明かりを灯してくれたなら、私はその道を歩まねばならない…だけど……

 ハーミアは自分を気遣う優しい仲間達に、目を合わせることができなかった。


 それからおよそ40分後、ルー、カーリャ、ハーミア、ユーンの4人は学院の10階に位置する、アニスの自室に来ていた。

 夕食時の突然の来訪に、アニスも戸惑いを隠しきれずにいるようだった。

 それでもインザーギが眠りについている今がチャンスであるため、一行はアニスに対し事の真相と今後を話すことになった。

「……どう? アニス、私たちがあなたの依頼通り調べていったら、こういう答えが出たのよ」

 カーリャが調査の結果を報告ふまえて説明する。

「……教えて下さい。どうして、こんなことをしたんですか?」

 ユーンは表情にこそ出していないが、アニスが勝手にインザーギを猫に変えてしまったことに対し、少なからず怒っているようだった。

 アニスの気持ちの大きさは分かったし、彼女の想いをどうにかインザーギに伝えてあげたいけど、その手段には同意できない。インザーギの生活や気持ちを考えると、彼が不憫でならなかった。もし今は亡きロイにそんなことをしたら、彼はきっと本気で怒るだろう。

「……やっぱり…冒険者さんですね……こんなに早く明かされるなんて……」

 アニスが諦めたような絶望的な表情をする。

「…お話しします」

 うつむいたまま、今にも泣き出しそうな声でアニスが話し始めた。

 行為はともかく、やはり一途ないい娘には間違いないようだった。

「……ちょうど一年くらい前です……塔にこもりがちな私は、気分転換にお祭りを見に行ったんです。いろんな出店を見てまわっていたら、祭りの警護をしていたインザーギさんを見かけて…私…一目で……………そのあとはみなさんの言うとおりです。変化系の術の使い手を探すように盗賊ギルドに依頼して、エムボマさんにお願いして……ペットショップに売ってもらって………」

「…どうして……」

 ハーミアが呟く。

 …何てことをするんだろう……それとも、他にまだ事情があるのだろうか…一人の人を思い続けるというのは、そんなにも盲目的になるのだろうか。

 リードは…今でも私のことを想っているのだろうか…盲目的なまでに私を想い、守ってくれた。そして私を想うあまり、自らの気持ちを押しとどめていた。

 ……アニスも……リードも…一言伝えるだけで…結果はどうあれ、随分と楽になれただろうに……

「なぜ、冒険者に依頼をしたんですか? 自分の首を絞めるようなものじゃないですか」

 ルーの方に目をやり、やはり重々しく口を開く。

「それは…インザーギさんの手前、解決しようとする行動を見せなくちゃいけなかったから……それでも、わざと依頼料を少なくして断られるようにしてたんですが………」

「……その依頼を僕たちが受けてしまった……」

 アニスが黙ったまま、こくりと頷いた。

「……どうして、猫にしようと考えたんですか?」

 ユーンの言葉に、アニスは一層うつむいてしまう。

「私…口べたで………この想いをどう伝えていいか分からなくて………それで、使い魔の魔法を使って精神がリンクすれば、言葉を使わなくても気持ちを伝えられるから……それで彼に猫になってもらって……偶然の事故に見せかけて……でも、彼…心を閉ざしてしまっているのか彼の気持ちが分からなくて…私も恐くて気持ちを伝えられなくて……気がついたらこんなことに………ごめんなさい……私…なんてことを………」

 震えるように泣き崩れるアニスに、一行はしばらくの間、押し黙っていた。

「……ねぇ、猫に想いを告げたってしかたないじゃない? アニスが好きになったのは、人間のインザーギなんでしょ? だったら、人間の彼に想いを告げなきゃ…」

「……問題はインザーギさんをいつ人に戻すかですね…」

 ユーンの言葉に、カーリャが考え込む。

「私は何よりインザーギさんに元に戻れる、ということを教えてあげたいです。やっぱり猫にされて困っているのはインザーギさんなんですし…」

「待って、ユーン。私はアニスができる償いは、自分の口から真実を告げて自分の手で解呪してそして気持ちを伝えることだと思うんですが……」

「………あのぅ………」

「……ハーミアの言うことも一理あるわね。かといってユーンの言うように、一刻も早くインザーギを元に戻さなくちゃいけないし…」

「…あのぅ…………みなさんどうして私を責めないんですか?」

「………どうしてって…………わからないの?」

 こくりと頷くアニスに、カーリャが溜息を一つする。やがて腰に手を当て、しかたなさげに答えはじめた。

「…私は乗りかかった舟を降りる気はないし、アニスの気持ちもわからなくはないからね。依頼外だけど協力してあげるわ」

「…他のみなさんは?」

「……同情はしません。アニスの行った行為は決して正しくはないから……。でも…その気持ちもわからなくはないから…協力はします」

「…僕も、ハーミアの言うことも分からなくはないです。魔法を誤った使い方をしてますからね…でも、その気持ちは大切にしたいですね」

 いつもと変わらぬ調子で冷淡に話すハーミアに、ルーが付け加える。

 ハーミアもこんな間違いを2度として欲しくないと思っての言葉だった。魔法を間違った方向に使うような魔法使いになって欲しくなかった。ザナのような…

「…それにね……吟遊詩人は恋する乙女の味方なんですよ」

 少し照れながら、でもルーらしく優しくほほえんだ。

「私は…やっぱりインザーギさんを元に戻してあげたいけど…やっぱりアニスさんの恋も成就させて挙げたいです」

「…ここにはいないけど、サイやフィルも同意しているの。…で、どうする? これからインザーギの魔法を解いてあげて、ついでに告白しちゃう?」

「えぇ!? 今からですか?」

「当然でしょ? 早く謝って、んで元に戻してあげるのが大前提じゃない?」

「アニス、あなたの手で元に戻すのよ。あなたができる償いは、自分の口から真実を告げて自分の手で解呪してそして気持ちを伝えること、わかるでしょう?」

 優しいハーミア達の思いに、アニスは感謝の言葉もださず、ただただ何度も頷いていた。


 サイとフィルはブラン伯邸につくと、フィルは部屋の中に忍び込みインザーギに目を光らせて、サイはブラン伯とともにみんなの帰りを待っていた。

 しばらく部屋の前で見張っていたサイもインザーギが寝ていてくれれば特にやることがなく、部屋へは定期的に見回ることにし、あいた時間はブラン伯に誘われてチェスを教わっていた。

「………むう、そこにポーンがあるとビショップを動かせない……あそこはナイトが効いてるし………」

 言いながらサイが考え込むように頭を抱える。

 ブラン伯は豪商と呼ばれるだけのことはあり頭の回転が速く、サイは完全に遊ばれていた。

「ぬぅぅぅ…これって、チェックメイト……なのか?」

 ブラン伯は楽しそうに頷いた。

「……また負けた」

「気を落とすことはありません。覚えたてでそこまでできる人はいませんよ。むしろ、たいしたものです」

 言葉に嘘はない。魔法戦士としての資質のせいだろうか、事実サイの飲み込みは早くブラン伯もついつい教え込んでしまうほどだった。

「……もう一回…いいか?」

 ブラン伯は笑顔のまま頷き、駒を並べ直す。

「サイ君のご両親は何をしておられるのかな?」

「…ここから少し遠いが俺の母親が住んでいる村がある。母さんは人間だ。父親はどこにいるのか分からない」

「……ふむ、では父親を探しておいでなのですか?」

 言いながらブラン伯は手を進める。サイもまたチェス盤から目を逸らさず、集中を絶やさぬまま話していた。

「…一応、な。実は母さんに家を追い出されたんだ…」

「…家をですか?」

「…あっ、一応断っておくが勘当されたわけじゃない。その…俺があまりに人を信用しないから…世の中を見てこいと言われて…な」

「………で、どうですか? なにか見えてきましたか?」

 サイはそこで初めてチェス盤から目をそらた。しかしすぐに手を進め始める。

「アルフレッドみたいな奴らがいて、やはり信用はできない。しかし、イセリアを受け入れたロードは大きな事実だ。俺の仲間達も、嫌いじゃない。もっとも信頼できる奴らだ。あんたとこうして話すのも嫌いじゃ…ない。正直…わからない。でも今の状況は気に入っている……っと」

 サイが駒を進め終えると、ブラン伯は満足そうに頷き手持ちのクイーンを一気に進めた。

「あっ……!」

「チェックメイト…です。惜しかったですね。あと一手遅ければ、私の負けでした」

「く、くそ…もう一回だ!」

 ブラン伯はサイの申し出を快く受け取り、再び駒を並べ始めた。

 その笑顔は、なにか安心しているようにも見えた。


 一行がブラン伯邸についたのはすでに夜も更け、酒場が活気づく時刻になっていた。こんな時間の、しかも大勢の押し掛けにも関わらずブラン伯は嫌な顔ひとつせずに一行を向かい入れた。

 カーリャは、人と接する事に少し臆病になっているハーミアがこうもブラン伯に心を許す理由が少し分かったような気がした。養女にもなっていないし親子には到底見えないが、何気なく会話を交わす二人はなんだかいい感じだった。

 先に着いていたサイは眠っているインザーギの見張りも兼ねて、ブラン伯にチェスを教わっていたようだ。みんなの到着に気付かないほど、チェス盤にかじりついている。

「…すみません、ブラン伯。では少しの間、上の部屋をお借りします」

 ぺこりとカーリャが頭を下げると、インザーギのいる部屋に向かって歩き始めた。

「なんだか、俺達は蚊帳の外みたいだな」

「…恋の問題を解くのは難しいですからね」

「おいらが思うに、それは吟遊詩人の言う台詞じゃないよ」

 最後尾の男達の言葉も耳に入らないほど、アニスは緊張しているようだった。重々しい足取りが、その不安の大きさを示していた。

 ぽんとカーリャに背中を押され、アニスがゆっくりと振り向く。

「さあ、アニス行きなさい。アニスに必要なのは、思いきりだけなんだから!」

 笑顔を見せるカーリャ。

「がんばってくださいね」

 そう言って心配そうに見つめるユーン。

「ま、終わりが良ければいいんだしな」

 鼻をかきながら、目を合わさずにサイが気遣う。

「大恋愛ですね。結果がどうであれ、アニス導師の得たものは大きいと思いますよ」

 ルーの女性のような端正な顔が優しく微笑みを見せる。

「おいらにも結果を聞かせてね!」

 フィルが明るい笑顔を見せて、元気づける。

「あなたが望むなら同行して弁護してあげてもいいんだけど…」

 同情はしないときっぱり言っていたハーミアも、やはり心配なようだった。

 アニスはみんなの後押しに最後の勇気を振り絞り、ハーミアの申し出を断るように首をふった。

「みんな、ありがとう……。私、行ってきます…」

 彼女はそう言って、部屋の中に入っていった。


 アニスが薄暗い部屋に、明かりを灯す。

 ゆっくりと、自分自身を落ち着かせるように。

 インザーギもアニスのただならぬ雰囲気に気づき、ベッドの上でちょこんと座っていた。

 やがてアニスは黙ってインザーギの正面に立ち、静かに呪文を唱え始めた。月の影響なのか、青白い光がインザーギを包みはじめる。

“……なにをする気だ?”

 アニスはそれに答えずに月魔法の『新月』の呪文を完成させた。それはあまりにもあっさりと『月影』の効果を消してしまう。

 アニスの導師としての魔力をもってすれば、エムボマのかけた魔法を退けることくらいは造作もないことだった。

 ゆっくりと時間を巻き戻すように、インザーギはかつての姿に戻っていった。

 少し長めの黒髪に端正な顔つき、鋭い眼光にがっしりと鍛えられた体、全てが数日前の彼に戻っていた。

 しかし意外にもインザーギは驚いた様子もなく、落ち着いてシーツを纏う。そんなインザーギを見て、逆にアニスの方が驚いているくらいだった。

「何を驚く。何を疑問に感じる」

「………だって…」

「全てはうぬが仕組んだこと。そしてうぬが決心して元に戻したのであろう?」

 動揺を隠しきれないアニスに対し、インザーギが苦笑をする。

「一向に心を開かなかったうぬの考えが、今は手に取るようにわかるぞ」

 アニスがはっとし、みるみると頬を赤らめる。

 そう、全てを打ち明ける決心してこの部屋に入ったとき、アニスは知らず知らずのうちに閉ざしていた心を開いていたのである。

 しかし、なぜ使い魔の魔法の効果が生きているのだろう。『新月』の効果で、『月影』とともに解除されるはずなのに。

 もしかしたら、あの特殊な状態での使い魔の魔法により、『新月』では解けなくなってしまったのだろうか。だとしたら大事だ。

「……大事…か…。全くもって情けない話だ」

「……インザーギさん……私………なんてことを…」

「まったくだ。この場に剣があれば斬りたいよ…」

 その言葉を聞いて、アニスはこらえられずに涙をぼろぼろと流し始めた。

 そう、しょうがないんだ。私が悪いんだものと、言い聞かせながらも最悪の結果になった自分の恋と、悔やみきれぬ思いが頭の中でぐるぐると回っていた。

「すまぬ、そんなつもりで言ったわけではない。私が言いたいのは、自らの未熟さがこの事件を生んだことだ。ぬしを責めたいところだが、何よりも己の未熟さが情けない。街を守るために来たのに、私がこのざまではな………私は騎士に向いてないのかもしれない…」

「そ、そんな……どうかそんなことを言わないでください…私が全て悪いんです」

 しかしインザーギは首を振る。

「私が未熟でなければ、このような事件は未然に………いや、そうではない。私の視野が狭いからか。ぬしがこれほどまで私のことを想い、長きにわたり悩んでいたのに、私は気づきもしなかったのだな。すまぬ、随分と苦しんだのだろう?」

 アニスが力一杯に頭を振る。勢いで涙が飛び散るほどだ。

「私は騎士をやめる。己を鍛え直すために、剣の旅に出る。しかし……今のままでは戦いの際、痛みもぬしに届いてしまう。だから、このリンクを早急に解除せねばならん……できるか?」

「…なら、それなら、なおのこと。あなたさえよろしければ、あなたの痛みを私も受けたい。なんの償いにもならないかもしれないけど…」

「しかしそれでは…私が死ねば、ぬしの命も危険になるのだぞ!」

「かまいません! それを許してくださるのなら、私はあなたとともに生き、あなたとともに死にたい!」

 インザーギは言葉を失った。彼女の言葉に嘘はなかった。リンクされた心がそれを真実だと教えてくれていた。死を覚悟してのその言葉に、インザーギは深い感銘を受けていた。それは自分では到底まねできないことだった。

「…そこまで想ってくれていたのか。……許すも何もない。ぬしの心の痛みは、いま痛いほどに私に伝わってきている。それにな、アニス。私は………」

 無言でインザーギがアニスの目を見つめる。

 言葉では伝えられない想いを、そのままアニスに届ける。

 ……そう、だから…私はこの人が好きなんだ。

 アニスは心からそう思えた。

 そして自分の思いを改めて、はっきりと言葉にして伝えるのであった。



 エピローグ


「ぬしらには迷惑をかけた。私は自分の気持ちを伝えぬよう、怒りと冷血に徹していた。ゆえに、ぬしらには嫌な思いをさせてしまったかもしれない」

 よく晴れた朝に街道の中央に立ち、旅の準備を整え終え今まさに旅立とうとするインザーギの姿があった。

 見送りに姿を見せたのは一行のみで、アニスや騎士仲間の姿はなかった。

 二人の間に何があったのか、また二人が今後どうつきあっていくのかは分からないが、アニスの表情を見た限りではそんなに悪い結果に終わらなかったようだ。

 彼が身につけている鎧や剣に騎士の紋章はなく、市販の鉄鎧と片刃の両手剣を装備していた。

「これからどこに行く気だ?」

「わからぬよ。まずは世を知り、剣の道を鍛え、己が心を鍛えたい」

 サイの質問に、インザーギが腰の大剣をガシャリと鳴らして答える。

「アニスはどうするんですか? 連れていかないのですか?」

「アニスにはアニスのするべきことがある。リンクの解き方も探してもらわねばならない」

「でも、このままじゃアニスの身も危険になるのでは?」

 言葉を詰まらせるが、ハーミアの目を真っ向から受け止める。

「かもしれない。専属で神官につかせているが、正直心配だ。だがそれもアニスが望んだこと。私とともに生きると言った以上、仕方のないことだ」

「でもそれじゃあ、危険すぎます…」

 親身になって心配をするユーンに、インザーギは苦悶の表情を浮かべる。

「私とて……望まぬことだ。一人の女性の命を背負い、守らねばならない。重いよ、とてつもなく重い…がしかし、それも武人として成長するための糧と信じている。私は死ぬわけにはいかない。それは私のためであり、彼女のためでもある」

 不思議なことに、アニスとインザーギの間には、奇妙な信頼関係が芽生え始めているようだった。

「ルー殿、アニスに何かあった時は助けてやってくれないか?」

「もちろんです。ただ、導師を助けられるほど僕は強くはないですが……みんなもいるから、なんとかなるでしょう」

 インザーギは深く頭を下げると、今度はカーリャの方に顔を向ける。

「私のリンクがとければ、一度手合わせをを願いたい。リア・ランファーストと、そしてぬしともな。如何か?」

「……いいよ。それまで腕を磨いておくから、楽しみにしとく」

「もう、カーリャはすぐこれだからなぁ」

 あきれるフィルを後目に、カーリャは少し嬉しそうでもあった。正規の騎士の訓練を受けた元騎士に認められたのである。無意識のうちに笑みがこぼれるのも仕方のないことだった。

「…本当に世話になった。なにか困ったことがあったら、アニスを通して呼んでくれ。私でよければ力になろう」

 インザーギは大剣を片手で持ち、額に柄を軽く押し当て誓う。

「くれぐれも、気をつけてください…」

 アニスとインザーギを気遣う言葉に感謝の言葉を述べると、インザーギは一人旅立っていった。


「本当にアニスはそれでよかったんでしょうか? 一緒に行った方が……」

 小さくなってゆくインザーギを見送りながら、ユーンがぽつりと言えなかった言葉を口にした。

 ユーンにはインザーギの行動が、ロイの行動とだぶって見えていた。だとしたら残されたアニスの気持ちは、自分と同じはずである。

 それは同時に「なぜロイが自分をおいて自ら戦場に赴いたのか」ユーンの知りたいその理由を、インザーギは知っているということでもあった。

「…いいえ、きっとこれでよかったんですよ。アニスの思いは通じたわけですし…」

「なによりあの二人はどんなに遠くにいても、心を通じ合えるんだ。寂しいなんてことはないさ。ルーの言うとおりこれで良かったんじゃないか?」

 サイに同意するようにフィルが頷く。

「いつかさ、インザーギが戻ってきたときには、二人とも笑顔で話し合えるよね!」

 フィルの言葉通りきっとそんな日がやってくるだろう。一行はそんな気がしてならなかった。

 なぜなら、アニスの想いは届いたのだから。

 そして、インザーギはその想いを受け止めたのだから。

 前向きな二人だから、きっとうまくいく。根拠なんてなくても一行は心からそう信じることができた。


                          …end to bluemoon.

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