悪魔の罠【第二階層:アルラウネ】
翌朝、リオンたちは改めてダンジョンへと足を踏み入れた。朝早いこともあってまだ他の挑戦者の姿はない。そのおかげで階層ボスに再び挑むことなく第二階層へ進むことができた。
「第二階層は確か……」
「ええと、確か洞窟でしたよね。妙な仕掛けはまだ仕掛けられていない…」
「そうだったな」
昨日は容易く第一階層の仕掛けを突破できたことで安心しているのか、エレンがホッとしたように言う。確かにあの仕掛けを突破するのは以前は大変だったから無理もない。
「でも油断しない方がいいぞ。ここだって何があるかわからんからな」
「わかってます!」
第二階層は相変わらず暗い。だがこの暗さにはもう慣れたものだ。明かりを用意して二人は進む。
「……しかしここはいつ来ても変な場所だなぁ……」
「あはは、確かに」
リオンはぽつりと言う。それにエレンが苦笑する。
第二階層は一本道ではないものの、大体同じような風景が続いている。そしてところどころに宝箱や罠などが配置されている。もっとも宝箱は階層の浅さゆえにほとんどが空だが。
一本道を歩いていると急に横道が現れることがあり、そこに入ると落とし穴などのトラップがあるのだ。また通路の途中で行き止まりがあり、そこに宝箱が置かれていることもある。それらは無視して先に進むか開けるかの二択を迫られるわけである。
「まあこの程度なら楽勝ですけどね! あーっはっは!」
「そうだな。これくらいなら問題ないな」
こういう場所だと妙にテンションが高くなるエレンの高笑いを聞いてリオンも同意する。実際この程度のトラップは二人にとっては障害にならない。特にエレンはその身体能力の高さを活かして飛び越えたり壁を蹴ったりしながら突き進んでいくし、逆に罠を見つけるのが得意なリオンはそれらを解除して進むことができる。
「おらぁあああっ!!」
「ぐぎゃあ!?」
突如として現れたゴブリンたちをリオンは素手で殴り飛ばし切り払っていく。
「よし、次行きますよ!」
「おうよ!」
こうして二人はどんどん進んでいった。
◆◆
やがて第二階層の最奥へと到達した二人。そこにはやはりというべきか閉じられた部屋の大扉があった。扉を開く前に一応罠の有無を確認しておく。
「……大丈夫ですね」
「ああ、何もなしだ」
罠がないことを確認すると、二人は気を引き締めて扉を開いた。
ボス部屋の中へ入った瞬間、わずかに空気が変わる。まるで身体中の細胞が警告を発してくるような感覚を覚える。
「…………」
「来ましたね」
「ああ」
目の前に現れた存在を見て、いつもながらリオンは思わず息を飲む。そこにいたのはただのモンスターではないからだ。
それは形だけを見るならばつぼみの閉じた花だった。天井の岩盤から突き出すようにして短い茎が伸び、壁をツタが這っているようだ。だがこの薄暗い洞窟の中でこのような植物が成長できるわけがない。まして―
「前からまたちょっとでかくなったかな?」
ぽつりと呟く。このダンジョンの常連である二人をはじめとした冒険者にとって、この個体は顔なじみとも呼べる敵だった。このダンジョンの第二階層にリオンが冒険者となった少し前にこのフロアに出現したらしい植物型のモンスターだ。
以前の第二階層ではこれ以降の階層同様にダンジョンが生み出す上位モンスターがボスとして君臨していたのだが、この花はダンジョン内にわずかに存在する虫や小動物を捕えてある程度の大きさに成長し、ついにはその場に出現するボスモンスターを次々捕食し始めるようになったらしい。
結果として現在のこのフロアは、常に深層への扉が開きっぱなしになった代わりに第二階層にふさわしくない植物型モンスターが居座っている状態となっていた。
このダンジョンの挑戦者がそろって相手をすることを避ける凶悪な魔物―それがこの『妖樹アルルーナ』だった。
「さて、まずはいつも通り行くぞ!」
「はい!」
二人は武器を構えて戦闘態勢に入る。同時に花のつぼみがわずかに開く。そこからは無数のツルが飛び出してきた。
「うわっと!?」
慌てて避けようとするも回避できずに足や腕に絡みつかれる。
「ぬおおおっ!?」
「ちょっ、リオンさん!?」
そのまま勢いよく引っ張られ壁に叩きつけられる。
「ぐはっ……」
「大丈夫ですか!?」
エレンが駆け寄ってくるのを見ながらリオンは自分の手足を見る。どうやら軽い打撲だけで特に大きな怪我はないようだ。だがこれは不味いと感じる。あのツタには麻痺毒が含まれているようで、徐々に身体の痺れが強くなっていくのを感じるのだ。
「ぐっ……この馬鹿力が…」
なんとかして脱出しようともがくも上手くいかない。それどころかますます強く縛られる。
(鎧は…だめだ。ツタの数を考えれば身動きが取れなくなるだけ…。なら!)
「こお、れ!」
なんとか声を絞り出すと、周囲に冷気が満ち始めた。
「エレン、離れろ! 巻き添え食らうぞ!」
「え? あっ……」
リオンの言葉を理解すると、エレンは急いでその場から離れた。一瞬の後に、凄まじい爆発音とともにリオンを縛っていた植物のツタが凍り付く。
「ふう、助かったぜ」
凍り付いたツタを振り払って何とか拘束から抜け出すと、改めて氷竜の頭部を構える。だが人狼の時とは違い、植物のアルルーナはひるむ様子を見せなかった。獲物が手元から逃れたとみるや、すぐさま無事なツタを伸ばしてくる。
「ふん、同じ手を食うかよ!」
流石に魔力を込める余裕はなく、速度を重視して迎撃する。氷弾が命中したツタはたちまちのうちに凍り付き砕けていくが、すぐに再生してまた伸びてくる。
「くそ、キリがねえ!」
「私が切り込みます!」
そう言うなりエレンは跳躍し、妖樹アルルーナのツタに飛び乗った。そして次々と生えて襲い来るツタを切り落とし、時には足場にしつつ、中心部へと飛び移っていく。
「これなら!」
エレンのナイフがアルルーナの本体を切り裂いた。すると傷口から大量の花粉が吹き出し、周囲を満たしていく。至近距離にいたエレンはまともにそれを食らった。
「うげぇ!?」
強烈な刺激臭にエレンは顔をしかめる。それだけではなく、切りつけた腕を中心にやけどの跡が広がった。予想外の痛みに顔をゆがめる隙を逃さずツタが一斉にエレンに殺到していった。
「まずい、エレン!」
咄嵯に氷弾を飛ばし数本を砕くも、砕ききれなかったものがあっという間にエレンの全身を包み込む。
「ぐうっ……ああぁぁぁ!!」
「エレンー!!」
悲鳴を上げながら、それでもエレンは必死にもがき続けた。だがやがて彼女の身体から力が消えると、ツタが引き剥がれていき、残った数本がその身体を持ち上げ始める。
「なんだ…何をするつもりだ…?」
思わず手を止めたリオンの前で、植物はまるで花びらが開くかのようにその身体を広げていった。中からは無数の小さなツタが伸びており、そのうちのいくつかは人間大の何かを掴んでいる。いや、それは――実際に既に息絶えた冒険者達だった。
「そんな……」
愕然として呟く。それはこのフロアでこの植物に捕らえられた犠牲者たちの末路だった。この花が養分とするものは生きた生物だ。上手くすり抜けられず命を落とす者たちの存在はもちろん知っていたが、その数はリオンの創造を優に上回っていた。
「アハハハハハ!!!」
その内の一人が嬉しそうに笑い始める。いや、よく見れば一体だけ冒険者らしからぬ格好だったそれは人間でも、動物ですらない。これこそが妖樹アルルーナの本体であり、同時にただの魔物を超えた存在である魔族の幼体といえる状態となっていたのだった。
「…なるほどな。ただのアルラウネがここまでになるなんておかしいと前から思ってたんだ。こんなところで新たな魔族が生まれようとしていたとはな…」
戦意を喪失したかのようなふるまいのリオンに、アルルーナは余裕たっぷりにツタで取り囲み始める。完全な魔族には至っていないためにアルルーナの知能はさほど高いとは言えない。
だがそれでも目の前の獲物には抵抗する方法が残っていないことは既に理解していた。
――文字通りの『切札』が無ければ。
「ずいぶんと成長し続けたようだが、暴食もここまでだ!」
冷気を纏わぬ腕でリオンが懐から取り出したのは三枚目のカードだった。それが放つ魔力に本能的に身を引こうとするアルルーナだったが、身体が固定されたではそれもできない。
「ッ!ダメ!!」
ならばと加減抜きのツタを繰り出すアルルーナ。それに対し、リオンも一歩も引かずカードをかざし続けた。
「うおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
当たれば一撃が命を奪うだろう連撃を、リオンは必死に身体を反らし、凍り付かせる。そして――
『妖樹アルルーナ』
風が吹き抜けるのと同時に、山岳の洞窟にて根を張っていた魔物はついにその姿を消した。
最初から何もなかったかのように妖花は消え去り、——その場所には幾人分もの亡骸と重傷を負った少女だけが残されていたのだった。