砂漠の悪魔像
照りつける日差し。生き物の影がろくに見えない砂の世界。ここは大陸の中央にある砂漠地帯だった。
「うわぁ、暑い……」
「我慢してくださいよ、こんなところで野宿するんですから」
「いや、それはわかってるんだけどさあ」
荷物を下ろして一息つくと、早速暑くて仕方がない。
「それにしても、よくこんなところに来ましたね?面白そうなものでもあるんですか?」
「面白いっていうか、ちょっと気になる噂があってな。なんでも、この砂漠の中に古い遺跡があるらしいんだ。もしかしたら、何か手掛かりがあるかもしれないと思ってな」
そう言って、俺は地図を広げる。
「……で、このオアシスが目的地の遺跡だ」
「へぇー。私は興味ありませんけどねえ」
そう相方の猫獣人は言う。名前はエレンという。
「まあまあ、いいじゃないか。どうせ暇なんだろ?付き合ってくれよ」
「……はぁ、わかりましたよ」
渋々といった感じだが、とりあえず了承してくれたようだ。
「よし、じゃあ行くぞ!」「はいはい」
そうして俺達は、砂漠のさらに奥へと入っていった。
◆◆
しばらく歩くと、前方に大きな建物が見えてきた。あれが目的の遺跡だろう。
「ふぅ、ようやく着いたか。……ん?」
入口付近に人がいるのが見える。建物といってももちろん以前まで自分たちが滞在していたような木製の家ではない。乾燥しところどころ風で削れた遺跡である。こんなところで人が普通に歩いているはずがないのだが…。
「あのぉ~すみません、ここで…」
何をしているのか、と尋ねようとするが、その瞬間にその女の姿は消えてしまった。まるでなにもなかったかのように。
「どうしました、リオンさん?」
不思議そうに、疲れた顔のエレンが言う。
「え、どうって。さっきそこに女性が…」
「女性ですか?どこにいるんです?」
……やはり、いない。先程までは確かにいたはずだが。
「おかしいですね。ここに来るまでにそんな人見ませんでしたけどねぇ」
「ああ、いなかった。だけど今そこには誰かがいたんだよ」
「幻覚でも見たんじゃないですかね?」
「そうであればいいんだが。しかしここはただの遺跡じゃないからな…」
少しだけ不安になった。ここ最近、この近くの町では奇妙な出来事が続いているのだ。それも決まって同じ方角―この遺跡の方角で。
「……とにかく、中に入ってみようぜ」
俺たちは遺跡の中へと足を踏み入れた。
……中は薄暗く、ひんやりとしていた。外から見たときはもっと明るく見えた気がするがここは人が住むことのない遺跡だ。当然だろう。だが。
「うっ、何だ……!」
突如、強烈な目眩に襲われ、視界がぼやけだした。
「何ですか、いきなり罠でも発動したんですか!」
慌てるエレンの声を聞きながら、俺は意識が遠のくのを感じた。
◆◆
「おい!大丈夫か!?しっかりしろ!!」
気がつくとそこは真っ暗な空間だった。どうやら意識を失っていたらしい。隣には同じように倒れているエレンもいる。
「いったいなんだったんだ、今のは……」
「……うっ、あれ、リオンさん?無事でしたか?」
「ああ、なんとか。お前も大丈夫そうだな?」
よかった、どうやら二人とも無事のようだ。
「にしても、ここはどこでしょうか?」
「遺跡の中なのは間違いないだろう。床も壁も古い石だ。だが暗い…。…いや、暗くないぞ!明かりがついている!!」
そう、部屋は光に包まれていた。壁の松明があたりを照らしているのだ。別段火が消えかけている様子もない。どういうことだ?
「これは一体……?」
疑問を浮かべつつも、まずは状況を把握しようと部屋の中を見回す。どうやらかなり広い部屋のようで奥は暗闇となっている。
そして部屋の中央には大きな祭壇のようなものが置かれているのが見え、その周りを無数の燭台が囲んでおり、火が灯されているのが分かった。そしてその中央の祭壇の上には……何かが置いてある。
「あれは何でしょうね?確かめましょうか」
エレンはそういうとスタスタとその物体に向かって歩いていく。
「お、おい待てよ!」
慌てて追いかける。すると、そこにあったのは埃を被った5枚のカードだった。裏には模様が描かれているが。表には何も描かれていない。
「何だこりゃ、見たことねえぞ」
手に取ってみる。材質はよくわからない。金属のような紙のような、不思議な手触りだ。大きさはトランプより一回り大きい程度だろうか。
「それは古代の魔法具だ。今は何も封じられてはいないがな」突然背後から声をかけられた。振り返るとそこには……女がいた。背丈は自分と同じくらい。フード付きのローブを着ていて顔はよく見えない。
「誰だあんた!いや、お前は確かさっきの!」
「そうだ。名は別段名乗るほどのものでもない。ただの神官だ」
女はそう言った。しかし、ただの神官にしては随分と雰囲気が違う。
「それで、お前たちは何者なのだ?」
「…私たちは旅の冒険者です」
俺の代わりにエレンが答える。
「ほう、そうか。して、何故ここにいる?」
「俺たちはこの遺跡を調べに来たんです」
「遺跡だと?ここはただの神殿だぞ」
「ただのって……。じゃあ、この灯りは?それにあなたはどうしてこんなところに?」
「私か。私がここにいるのは偶然などではない。私は少し前に冥府より神に呼ばれたのだ」
「…神様に?」
驚いた。すると目の前にいるのは古代の幽霊…英霊と呼ばれる存在なのだろう。しかし英霊自体もだが、神が直接召喚する例となると聞いたことすらない。
「そうだ。私はこの世界を救済するために契約者を待っていた。そしてお前たちが契約者に選ばれたのだ」
何を言っているんだ、こいつは?俺たちは頭がおかしくなったのか?
「何を言ってるかわかりませんが、私たちを巻き込まないでください!」
エレンが言う。俺ももちろん同じ意見だ。
「私に巻き込むつもりはないがな。だが、このまま帰ることはできないだろう。なぜなら、お前たちの命は既に私との契約によって縛られているからだ」
「……え?」
「今、私の加護が発動している。それを見ればわかるだろう?」
確かに、彼女の手には黒い紋様が浮かび上がっていた。禍々しい魔力を感じる……。
「これが、あなたの力ですか」
「ああ、その魔力は魔物たちが好むものだ。これからお前たちは世界中の魔物に狙われることになるだろう。そのためにも、そのカードを使うのだ」
「使う?何をするんだ?」
手元のカードに目を落とす。契約とやらの意味はさておき、特に力らしきものは感じられない。
「そのカードは"魔導器"と呼ばれるものの一種だ。その力を開放するには、契約により使用者と相手の魂と共鳴させる必要がある」
「魂と、共鳴?」
「そうだ。そのカードを一枚手に取るがいい。…そら!」
その声に応えるように床が振動し始めた。転倒しないように2人で踏ん張っていると…奥の暗闇から咆哮とともに大きな影が飛び出した。
「な、なんだありゃ!?」
現れたものは巨大な人型の魔物だった。身長は5メートルはあるだろうか。筋骨隆々で全身が赤銅色をしている。頭には角が生えていて、鋭い眼光を放っている。
「ゴーレムか!?」
「いいや、違う。あれはガーゴイルと呼ばれる生きた悪魔像だ」
「悪魔の像だって?そんなものが、何のつもりだ!」
悲鳴交じりの声を上げる。エレンはもう腰を抜かし声も出せていない。当然だ。ガーゴイルとはBランク以上の冒険者が数人で対処するような強力な魔物だ。自分たちCランクが2人で戦えるような相手ではない。
「倒す必要はない。手始めにこいつと契約してみろ」
「契約?一体どうやって……」
「それは簡単だ。お前の血を一滴、あのカードに垂らせばいい。そしてやつの目の前にかざしてやれば自動的に契約は完了する。こいつはあらかじめ契約用の準備をしてあるからな」
「血を?わかったよ……」
震える手でナイフを取り出す。そして指先を軽く切り、その刃をカードに押し当てた。すると、まるで吸い込まれるかのように血がカードの面に沈んでいった。
「なっ、どういうことだ?」
慌てて指を離すが、既にカードは完全に自分の一部のような認識となっていた。5枚あるカードのそれぞれが、まるで新しい指かなにかとなったように。
「さあ、食われる前にやつへかざすのだ!」
言われるままにガーゴイルへとカードを向ける。すると、ガーゴイルはゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。すると―
「うわぁぁぁ!!」
思わず叫んでしまったが、そのままガーゴイルは俺の体を通り抜けていった。だが、振り返っても悪魔の姿はない。まさかと思い手元を見下ろすと、カードの一枚ー自分が先ほどかざしたカードにあの悪魔の恐ろしい姿が描かれ、その下には『エンシェント・ガーゴイル』と古代の言語で記されていた。
「これは…」
〈終わったようだな。これでお前たちは私と契約した。これからは私がお前たちを守ってやろう〉
頭の中に恐ろし気な声が響く。
「おい!今のは何だよ!」
俺は神官に向かって叫んだ。
「さきほど言っただろう。これは古代の魔導器だ。お前たちはこれを通してやつから力を受け取ったり、こうして奴と会話したりできる。再び召喚して戦わせることもな」
「そんなこと、聞いてねえぞ!」
「聞かれなかったから答えなかっただけだ」
「……」
どうやら、そういった点に取りあう気はないらしい。
「それにしても、やはり私が見込んだ通りお前たちは面白い運命を持っているらしい。この世界もお前たちに何かを託したいようだぞ」
「託したい?」
「詳しいことはいずれ分かるだろう。とりあえず、今はここから出ることを考えろ。そしてこのカードは枚数があと4枚だということ、そして繰り返すが、お前たちの魔力は魔物たちにとって極上の餌だということを忘れるな」
言い、暗闇へと歩いていく神官。
「ちょっと待て、この遺跡からはどうやって出るんだ?」
「安心しろ、私が出口まで案内しよう。ついてこい」
そう言って歩き続ける神官を見失わないよう、俺たちは黙ってその後についていった。そしてしばらく進むと、通路の奥に光が見えた。それを見て神官は頷きー足元から光へ変わっていった。俺たちが驚くのも構わず、まったく変わらない調子で神官は話し始めた。
「あそこが出口だ。…そして私も用が済んだようだ。せいぜいそのカードはうまく使うがいい」
そう言いながら彼女は振り向くと、俺の顔をまじまじと見つめてきた。
「なんだ?」
「いや、なんでもない。では、縁があればまた会おう」
「え?おいっ!」
声をかける間もなく女の姿は消えた。……結局、最後まで名前を聞きそびれてしまったな。
それから数日後、リオンとエレンは再びかつて活動していた町へと戻ってきたのだった。