38話、二年前の事を思い返す魔女
「描けたっ!」
シチューの味見をしていると、サニーの弾んだ声が耳に飛び込んできた。時間にして、約二十分ぐらいだろうか。いつもより完成するのが早い。ちゃんと描けていればいいのだが。
「どれ、見せてくれ」
味見をする為に持っていた木の小皿を置き、その場にしゃがみ込む私。満足気な表情をしているサニーが画用紙を差し出してきたので、描かれた絵を確認してみた。
「……ほうっ」
今、勝手に漏れ出した私の声が、やや高くなっているのを自分でも気付いた。画用紙に居るのは、太い色棒の時とはまったくもって違う、より鮮明に、よりきめ細かく描かれた私だった。
なんと言えばいいか……。絵の質が格段に上がっているので、まるで鏡に映っている私を見ているような錯覚を起こす程までに上達している。
肩を通り越し、流れる様に伸びている黒い髪。光が照らされている部分に紫も塗られているので、髪だけで二色も使われているじゃないか。
瞳だってそうだ。赤と黒。それに細かな部分に朱色が薄っすらと見える。瞼から伸びている線は、まつ毛だな。ここまで描写しているとは。
キリッとした鼻。やや赤みを帯びている唇。顎はスラッと輪郭が整っている。肌はちゃんと薄橙色を使用しているようだ。ここでも二色。
そして極めつけは、私が着ている黒いローブ。ここでも窓から差し込む光を浴びている描写があり、黒と灰色が重なっているな。服にも二色。
後は、シチューをかき混ぜる為に持っている茶色の木の棒。これも入れていいだろう。だから、合計で七色も使われているじゃないか。
一色から七色まで増えるなんて、まさかの大進歩だ。もしかしたら、目に見えない範囲にも別の色が使われているかもしれない。余すことなく聞いてみなければ。
「サニー、この私は何色使われてるんだ?」
「えっとね、八色使ってるよ」
「八色っ」
二桁台に届かなかったものの、一色から八色にまで増えている。ヴェルインの倍以上になっているじゃないか。ものすごい飛躍だ。
しかし、残りの一色はどこにあるんだ? もう一度全て確認してみたが、どう見ても七色しか分からない。これに関しては聞いてみるしかないようだな。
「どの色を使ったんだ? 教えてくれ」
「いいよ。えっとね~」
質問を聞いてくれたサニーが、辺りに散乱してる色棒を拾い集めていく。黒、紫、灰、赤、朱、薄橙、茶。そして最後に手にしたのは、なんと白色だった。
「この八色だよ」
「白……、なるほど」
これは盲点だった。考えてみれば、確かに白も色だ。絵を見返してみると、ローブの首辺りにある紐に、白を強調させるべく白色が塗られていた。
白を際立たせる為に、真っ白な画用紙の上に白を塗る。これが四歳児の発想か。私が絵を描く場合、まずやらないだろう。白の上に白を塗るだなんて。
とりあえず、これでヴェルインに必ず勝てる。どうせそろそろ来るはずだろうから、額物に入れて見栄えを良くしておこう。
その前に、一色だった私を八色にまでしてくれたサニーを褒めてやらねば。そう考えた私は、寝ぐせがピンと跳ねているサニーの頭をそっと撫でた。
「偉いぞサニー、よくやった」
「わーいっ! ママにほめられちゃった」
窓から差し込む眩い陽の光よりも、明るく微笑むサニー。早速絵を壁に飾るべく、私はそっと立ち上がり、額縁を大量に仕舞ってある棚へ向かう。
棚から一つだけ額縁を取り出し、水で濡らした清潔な布で全て綺麗に拭き取り、乾いている布で空拭きをする。
それから絵を一寸のずれも無く額縁に入れ、サニーが二歳ちょっとの時に描いた私とサニーの絵の隣に、成長を遂げた八色の私の絵を飾った。
壁から少し離れ、二枚の絵を見比べてみる。片や歪んだ笑顔。ボサボサに伸びている髪の毛。サニーと私の区別が付かない棒状の二人。
片や、シチューを作っている私。頭、顔、首、胸、手、腰周りと、上半身全てがしっかりと丁寧に描かれている。
約二年でここまで変わるなんて。著しい進歩だ。暇さえあれば絵を描いていたが……。サニーの本当の家族は、画家だったのだろうか?
「ママ。サニーの絵、どう?」
絵に目を奪われていると、下からサニーの問い掛けが聞こえてきた。顔を足元へ向けると、そこにはいつの間にか居たサニーが、気になっている顔を私に向けている。
確か、こんなやり取りを二年前にもしたな。あの時は、サニーに対して何の感情も抱いていなかったので、酷い返答をしてしまった。
が、今ではサニーは私の愛娘である。ちゃんと褒めて喜ばせてやらねば。
「良い絵だ。細部までよく描かれてる」
「本当っ?」
偽りの無い感想を述べるも、まだ若干の不安があるのか、念入りに聞いてくるサニー。もしかしたら、二年前のやり取りを覚えているのだろうか?
ならば、ちゃんと全て振り払ってやらないと。過去の罪悪感も一緒に消し去る為、私はサニーを抱っこし、顔を絵に戻す。
「ああ、ちゃんと特徴を捉えてる。まるで、もう一人の私がここに居るようだ。すごい絵だよ」
「……すごい、絵っ!」
何の恥じらいもなく本音を出し切ると、サニーは顔をギュッとさせ、握った両手をプルプルと震わせる。
そして、そのまま両手を大きくバンザイさせて、「わーいっ!」と歓喜に満ちた声を上げた。
「ママにいっぱいほめられたっ! うれしいっ、すっごくうれしいっ!」
全身で喜びを表しているサニーが、満面の笑みのまま私の胸元に顔を埋め、甘えるように頬ずりをし出す。
「ちょっと、大袈裟じゃないか?」
あまりの喜びように困惑し、言わなくてもいい本音まで漏らすと、サニーは私に顔を合わせてきて、喜びに溢れている笑みを浮かべる。
「そんな事ないもんっ! ママがサニーの絵をいっぱいほめてくれから、今までで一番うれしいよっ!」
「そこまでなのか」
褒めてやれば、本音の感想を述べてやれば、ここまで嬉しがるなんて。そういえば、サニーを育ててから四年が経つまで、ロクに褒めていなかった。
それまでサニーは、寂しい思いをしていたかもしれない。そう考えてしまったせいか、嘘をついていないのに、左胸から締め付けられるような痛みを感じた。
「これで後は、ママが笑ってくれるようになるだけだね!」
「お、覚えて、たのか……」
まさか、これも覚えていただなんて……。あの時のサニーは、まだ二歳ちょっとだったはず。一体いつから物心がついていたんだ?
「当たり前だよ。だけど、これはまだ描けないかもしれない……」
「なんでだ?」
私が質問をしてみると、サニーは視線を下に持っていき、口を尖らせて指をもじもじとし出す。
「だって、ママが笑ってるところを、一回も見たことがないから」
「む……」
サニーのしょげている理由に、私は唇を静かに噤んだ。この四年間、確かに一度もサニーに笑っている所を見せた事が無い。
しかし、笑わないからじゃない。笑えないんだ、笑いたくとも。“哀”以外の感情はまだ戻ってきてないので、笑う事も、怒る事も、楽しむ事も出来ない。
そして私は、とうの昔に笑い方を忘れている。どうすれば笑えるのか。何をすれば、顔全体で感情を表現出来るのか。分からないんだ……。
「……それはサニー、お前の使命だ」
「しめい? しめいって、言われたことをやることだっけ?」
「よく知ってるな。そうだ、お前が私の笑顔を取り戻してくれ。前にも言ったように、私は笑う事が出来ないんだ」
サニーは直接関与していないが、私の大切な決心を思い出させてくれて、“哀”の感情を取り戻す切っ掛けを作ってくれた。
だからこそ、残りの感情を取り戻す切っ掛けも作ってくれるはず。絶対的な確信はないものの、サニーならやってくれるだろう。
私がそうお願いすると、サニーは再び視線を下げる。が、すぐにやる気に満ちた眼差しを、私に戻してきた。
「わかったっ! サニーがぜったいに、ママを笑わせてあげるからね!」
「ああ、期待して待ってるぞ」
「うんっ!」
屈託の無い笑顔を私に見せてくれて、大事な約束を交わしてくれたサニー。そのサニーが壁に飾った絵に顔を向けると、私も後を追って絵に顔をやる。
「この絵、いつまでかざっておくの?」
「もちろん一生飾っておく」
「いっしょう……」
サニーがあまり自信が無い声を発したので、私はサニーに顔を移す。目線の先に居るサニーは、既に私へ顔を合わせていた。
「いっしょうって、ずっとっていう意味だっけ?」
「そうだな、合ってるぞ」
実は、“使命”も“一生”もサニーにはまだ教えていない。またヴェルインかクロフライムの入れ知恵か。
「ずっとかざってるんだね、ちょっとはずかしいかも」
やや恥じらいを見せたサニーが、可愛げに苦笑いをする。
「恥ずかしいものか。この絵達は、私にとってかけがえのない宝物だ。だからこそ、部屋で一番目立つ所に飾ってるんだ」
「たからものっ……! そこまで言ってくれると、すごくうれしいなっ」
本当に喜んでいるのだろう。サニーの苦笑いが、柔らかな微笑みに変わった。しかし、“宝物”も教えていないのだが、これはたぶん、ヴェルインが教えたに違いない。
「じゃあ、ママのたからものをいっぱいふやしてあげられるように、サニーがんばるねっ!」
「ああ、頼んだぞ」
そうなると、サニーはまた沢山私の絵を描いてくれるだろう。なら、明日にでも画用紙を大量に購入しとかねば。
ついでに、サニー用の棚も一緒に買っておこう。物置にしていた木のカゴが、そろそろ物で溢れ返ってきてしまったからな。




