99. 二つの気持ち
◇ ◇ ◇
「地下牢のことだけど。」
あの後ナギは慎重にそう切り出してみたのだが、ナギの遠慮がちな口調はなんの役にも立たず、ラスタはまたたちまち不機嫌になってしまった。
でも地下牢のことを知るには、ラスタに訊くよりナギには他に方法がない。
どうしても訊いておきたい――――――――――――――
宙に座る少女の表情を窺いつつ、躊躇いながら、ナギは言葉を接いだ。
「他に人はいた?」
「……いや、ミル一人だった。だからすぐに見つかった。」
その言葉に、少年は少しだけほっとした。
星明かりも届かない暗闇に一人でいるのは、耐えがたい程に恐ろしいだろう。でも牢に一緒に繋がれているのが強盗とか人殺しとかだったら、もっと恐ろしいのではないかと思う。
田舎領地は犯罪も少ないのかもしれない。
でも一年近くの間、一度も他に囚人がいなかったのかは、分からないことだった。
一体どんな所にミルはいるのか。
地下牢の造りや、気温や、本当は細かく訊きたい。
でも知った所でどうなる。何もしてあげられないのに。
地下牢のことを隠して来たミルの気持ちを無駄にするだけしておいて、何も出来ない。
そう思うとラスタを不機嫌にすると分かっていて、ナギは質問を続けることが出来なかった。
そんな暮らしを、一年もしていたのに。
何も告げずに、ミルはいつも微笑んでくれた。
ミルの微笑みは、ナギがここで生き抜く理由になった。
ミルが月のもので仕事を休んでいる日は地下室で、彼女が一日どう過ごしているのか、いつも心配だった。
―――――――――――――地下室どころか、地下牢だったのに。
何も知らなかった。
その日はミルは、本当にどう過ごしているのだろう。
焦燥感が、ナギの胸を締め上げる。
ずっとミルの顔色は、どんどん悪くなっていると思っていた。
ミルは裏庭で働かされていることもあるけれど、今の生活は、多分陽の下に出る機会が少なすぎるのだと思う。
ミルが「女」として見られるようになることはいつも恐れて来たが、それだけでは済まなくて、このままだとミルは体を壊しかねない。
だけど今はまだ、三人でここから逃げ出して、無事に故郷に辿り着けると思えなかった。今すぐにでもミルを逃がす選択をナギがしないのは、命を最優先に考えているからだ。
その選択が正しいのかどうかは分からない。
未来のことは誰にも分からなくて、後悔するか満足するかはいつも結果論に近い。
でも結果論であったとしても、もしかしたら、死ぬ程後悔するのかもしれないとも思う。
少しでも早く、ミルだけでも逃がしたい……。
空中の少女を、ナギは見上げた。
昨日のラスタの言葉。
『わたしはまだ小さい』――――――――――――――。
その言葉が引っ掛かっていて、確認しておきたかった。
「ラスタ――――――――。ラスタが大きくなったら、ミルをヤナに逃がせる?」
「ミルはついでだって言ったろう!!」
腹立たし気にそう言って、竜人の少女は横を向いてしまう。
少女の青い瞳がちらりと少年に向いたのは、数秒を置いてからだった。
ラスタの厚意に甘え過ぎだとは分かっている。
悲し気な表情で、ナギは牛小屋の中で立ち尽くしていた。
「――――――――――今いる場所は分かるようになるな。」
頬を膨らませたままラスタがそう話し出し、ナギは目を瞠った。不機嫌そうに、だが少女は話を続けてくれた。
「今は近くの壁一枚が透けて見える程度だが、この力も」
「壁が透ける?!」
今度はラスタが驚いた顔をして、それから小さな少女は、ちょっと慌てる様子を見せた。
「昨日話そうとしてたのに、寝る時ナギが、竜の方がいいって言うから。」
そう言えば昨日は獣人の記憶の話や、書庫の地図の話で時間が足りなくなってしまって、ラスタの新しい力のことは、まだ訊けていなかった。
物を透かして見えるようになったのか――――――――――――?!
なんとなく腑に落ちる。「触れずに物を動かす力」でラスタがどうやって足枷の鍵を解いているのか、どこか釈然としない思いがあったのだ。ラスタには、錠の中が見えているのかもしれない。
「――――――――――――――――そのまま忘れてた。」
決まり悪げにそう言って、竜人の少女が目を逸らす。
素直にそんなことまで言わなくて大丈夫なのに。
どう言うべきなのか、変に生真面目なところがあるラスタが興味深くて、ナギはしげしげと少女を見つめてしまった。
少しすると、機嫌はやっぱり悪そうだったが、ラスタはナギに向き直ってくれた。
「近くの壁とか、本棚くらいなら透かして見える。書庫の本と、ミルを見つける時もこの力が役立った。今はその程度だが、大きくなれば透かすというか、ずっと遠くの様子が見えるようになる。ここからヤナのことだって見えるようになるぞ。」
「ヤナが……?!」
「物を動かす力も、今は牛や馬を持ち上げられるくらいだが」
十分凄いと思うけれど。息を詰め、ナギはラスタに聞き入った。
「大きくなれば、山くらい持ち上げられるようになるな。」
「や ま ……?!!」
竜が「伝説級」と言われる訳だと思う。想像以上の凄まじさに、少年は絶句した。
「それに」淡々と続けて、ラスタはそこで一度言葉を区切った。「体が大きくなれば、ナギとミルを乗せて飛べる。」
はっとする。ナギは光を放つかのような金色の髪の少女を見つめた。
これまでに、考えなかった訳ではないのだ。
絵物語や伝承では、よく人が竜の背中に乗っていたから。
でもラスタは一年経ってようやく大人の猫のサイズで、例えそんな日が来るとしても遠い将来のことのような気がして、いつしかナギの未来予想図からは、竜に乗る自分の姿は消えていた。
ラスタが成長した時にどんなことが出来るようになるのか、朧気に分かってくる。
やっぱり竜人は伝説級で、出来ないことなんてないのかもしれないと思う。
問題はそれがどのくらい未来のことなのか――――――――――少年はそう思いかけたが、甘かった。
「ただ。空を飛べばヴァルーダ人や、他の獣人に見つかると思う。」
告げられた言葉に、ナギは冷や水を浴びせられる思いだった。
その瞬間に、ラスタの存在はきっと大陸中に知れ渡ってしまう。
竜人が他国に去ることを、ヴァルーダ王国は指を咥えて見ていたりはしないだろう。
今は、そこまで考えなくていい。
未来の可能性を、少しでも多く教えて貰おう。
「ラスタ。」
「うむ。」
「それはどのくらい先のことなの?分かるなら教えて欲しい。」
「一年以上はかかるな。」
数秒思案して、ラスタはそう答えた。
一年以上――――――――――――――――――――。
ミルのことを考えると、長い気がした。
「教えてくれてありがとう、ラスタ。」
ナギの言葉にラスタはようやく笑顔になって、少年の背中に飛び付いた。
「早くごみを捨てに行こう!牛がご飯を待ってるぞ!」
「うん。」
「伝説」はまだ小さくて、まだ自分の背中の上にいる。
ラスタの成長は自分達の希望かもしれないのに、ラスタが背中にいることに、自分はほっとしている。
自分の中の二つの気持ちに、ナギは気付いていた。
◇ ◇ ◇
勝手口の扉を開けると、ミルと瞳があった。
何もしてやれないのなら、ミルの気持ちを汲み取って、気付かない振りを続けるべきなのか。
分からなくて、苦しかった。
すぐには答えが出せなくて、ミルの近くまで言った時、ナギは結局微笑んだ。
青白い顔で、ミルも微笑み返してくれる。
朝に交わす笑顔は、二人の心の支えだった。
その二日後、黒い服の使用人達は自分達の主人の家に帰って行った。
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