94. 想い
◇ ◇ ◇
光が差すことのないその場所で、鉄の輪が急激に冷えていく。
冷たい重りが着けられた足を引き摺ってベッドに辿り着き、無事にそこに腰掛けることが出来た時、ミルはほっと安堵の息をついた。
ベッドの手前で転んで燭台を落としてしまい、自分の手すら見えない暗闇の中に突然放り込まれて、パニックになったことが二回ある。
片足が不自由なミルが重い鎖を引き摺ると、バランスを崩しやすかった。
一度落ちてしまった灯を再び灯す術は、ここにはない。
与えられるろうそくは毎回燃え尽きる寸前の小ささだったので、ミルはいつも、寝る前に火を吹き消してしまう。それが溶けきった時に、すぐに次のろうそくが与えられる保証がないと思ったからだ。
だが月明かりすら届かない真の闇にようやく耐えられたのは、体勢を整え、覚悟を決めてから火を消すからだった。
鎖を引き摺り、手探りでベッドを探したあの時、あまりの恐怖に、ミルは死にたいとすら思った。
明日も明後日も続くのだろう地下牢の陰惨な暗闇に、もう耐えられないと思った。
心が壊れてしまいそうな気がして日頃は思い出さないようにしている故郷と家族のことを、その闇の中では狂おしい程に思った。
―――――――――いつか帰ろう―――――――――
見知らぬ場所に売られたあの日、ナギがそう言ってくれていなかったら、自分はここまで耐えられなかっただろうと思う。
それが微かで、ぼんやりとしたものであったとしても、ミルの心を支えたのは、ナギが灯してくれたそのささやかな灯だった。
地下牢の闇は、ミルの心と体を少しずつ蝕んでいた。
でもたった一人で、ナギは12歳から耐えてきたのだ。
ナギの姿を見る度に、泣き言を言ってはいけないと少女は自分を叱った。
あと僅かしかもたないだろう、手の中の小さな灯をミルは見つめた。
――――――――人になったよ。小さな女の子だった――――――――
そう言って、ナギは微笑った。
女の子――――――――――――――。
やっぱり、女の子だったんだ、と思う。
小さな竜の赤ちゃんを見た時、なんとなくそんな気がしていた。
今この館の外で、歴史に刻まれる出来事が起きている。
誰にも気付かれることなく、ナギは歴史に名前を残す偉業をやり切った。
ぼんやりとしていただけの希望に竜人の存在は現実味を与えてくれて、より強く、ミルを支えてくれたのは確かだ。
ここから逃げて、家族の許へ帰る。
奇跡のようなことが叶うかもしれないというのに、なのにミルは今、不安で堪らない。
もしそうなる前に、竜人が見つかってしまったら。
ナギの身は、どうなってしまうか分からない。
希望と不安。今両方が胸にある。
胸が苦しいのは、だが不安の方が勝っているからだった。
自分の心を支えているのは、ナギの存在そのものなのだと思う。
帰れなくていい。
異国の暗闇で鎖に繋がれたまま、少女は思った。
ナギが無事でいてくれるのなら。
◇ ◇ ◇
その日の朝、勝手口を入って来たナギの様子がおかしかった。
自由に話すことが叶わない二人は、朝の台所で、いつもただ微笑み合っていた。
でもこの日のナギの表情は苦しそうで、勝手口からミルに向けられた視線が、何か言いたげだった。
何かあったの………?
声にならない声で、ミルは尋ねた。
ミルが毎朝ナギに微笑むのは、少しでもナギを癒したいと思うからだ。
同時にナギの笑顔は、ミルの心の拠り所でもあった。
朝食の盆を手に持ったナギが近付いて来て、ぎこちなくでも微笑んでくれた時、だからミルは、ほっとした。
少年と少女はその日も、ただ無言で微笑みを交わした。
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物語は第3コーナーを回った辺り(の筈)です。
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