92. 竜人少女の報告
見つからなかったのかもしれない。
ラスタの表情が曇ったのを見て、ナギは咄嗟にそう思った。
その本の場所を、ナギはラスタに正確に伝えることが出来なかった。
自分で捜すのなら見つけられる自信があるのだが、他者にその場所を教えるような事態を考えていなかったため、「奥から何番目の棚の何段目」とか言える程厳密には、その位置を覚えていなかったのだ。
見つからなくても無理はない。
オレンジ色のあの本はシリーズ物の中の一冊で、同じ装丁の本は数冊並んでいた。しかも背表紙には、タイトルが書かれていなかった。
技術的な問題だったのか、その不便さになかなか気付けなかったのか。
そう言えばヤナでも、古い時代の本は背表紙に字がないことが多い。
本自体を見てもそれが収められている棚を見ても、あの本は割と古い時代の物だろうと思う。
だが。
「本は見つかった。」
幼い少女はそう告げた。
朗報の筈だが、ナギはその先の話をどんな表情をして聴けばいいのか分からなかった。
ラスタの声と表情は明らかに、いい報せをもたらそうとはしていない。
じゃあ、読めなかった………?
よく考えてみたら小さな字がびっしりと書き込まれていたあの本は、大人の、高い教養を持つ者向けだと思う。
他の獣人と記憶を共有しているというラスタの知能は見た目よりずっと上だと確信出来たけど、それでも生まれてからまだ一年経っていないラスタがあれを読みこなせるだろうと思った自分が、どうかしていたのかもしれない。
期待が膨らんでいた分、それが失望に取って代わると堪えそうだった。
ナギは自分の不手際を数えて、ラスタの話を聴く覚悟を整えた。
しかし問題になったのは、読み手の想定年齢でもなかったのだ。
もし今日、館の書庫に入った人間がいたのなら、現実の存在とは思えぬような美しい少女が胡坐で床に座り込んで、年頃にそぐわない分厚い本を熱心に読み込んでいる姿に出会った筈だ。
「でもこの場所は分からなかった。だいぶ探したが、ブワイエ領の名前は見付けられなかった。あの本には、小さな領地の名前まで載っていなかったんだ。」
少し悔しそうに、幼い声が告げる。
もう少女の表情がようやく分かる程度の明るさしかない。
翳が濃くなっていた。
膝の上で両手をきつく握り、少年は厳しい結果に耐えた。
「それにあの本はだいぶ古い。あの地図に載っている場所でも、今は変わっているかもしれない。」
がっかりし過ぎてはいけない。
少年は自分に言い聞かせた。
今いる場所の特定は、最初の一歩のようなものだ。元々それが分かればたちどころに脱出が叶うというようなものでもなかった。
仲間を見つけ出し、故郷に帰るために必要なのは、本当はこの国の詳細な地図だ。
自分を鼓舞して、暗闇の中で少年はなんとか微笑んだ。
「ごめん、ラスタ。無駄足させて。ありがとう。」
「―――――――――――がっかりするな。明日から地図を探してみよう。」
「―――――――――――ありがとう。」
落ち着いて次の見通しを立ててくれたラスタは大人のようで、ナギを少し驚かせた。
青い瞳が宝石のように光っている。
竜人は、人の姿の時でも瞳が光るらしい。
昨日まで一言も話すことのなかったラスタと、こんなにもたくさんの言葉が交わせるなんて。竜人少女の語彙力も、ナギを心底から驚嘆させていた。
「書庫以外の部屋も探してみよう。まだ入ったことのない部屋が結構ある。」
ラスタはどうやら、館の中に何度も出入りしているようだ。
少女のその言葉で、ナギはふとあることを思い出した。
「ラスタ――――――――――。館の地下に行ったことある?」
「地下?まだないが―――――――――――地下牢か?」
「地下牢?!」
ぎょっとした表情で、ナギは少女を見返した。




