82. 竜人の記憶(2)
「母………⁈」
思わずオウム返しにすると、小さな少女がしかつめらしく頷いた。
あまりの驚きで、ナギはしばし絶句した。
ずっと、ラスタはナギのことを親だと思っているのかもしれないと思っていたくらいなのだ。小さな竜が自分の本当の親のことを認識しているなんて、だから少年は考えてもいなかった。
自分を育てることのなかった母を、ラスタがすんなりと「母」と呼んだことにも少し驚いた。僅かにでも愛情がなければ、そんなに素直に「母」と呼べない気がする。
だけどどうして、ラスタは母親のことを知っている……⁈
その答えを知れば、もしかしたらラスタのことをもっとよく理解出来るのかもしれない。
そんな予感がした。
今は九頭の牛達が、やや騒がしく鳴き出している。
もうさすがに彼らの世話をしなければまずい。
せめて今日だけでも、何にも邪魔されずにラスタと話が出来ればいいのに。
だけどそれは出来ない。
ここを出るその日まで、館の人間に怪しまれてはいけなかった。
「ラスタは――――――――――――――卵だった時の記憶があるの?」
何をどう訊けばいいのか少し考えてから、緊張に乾く声で少年は尋ねた。
幼い少女が、またその姿に見合わない難しい表情をする。
「わたしの記憶ではないな―――――――――――――。母の記憶だ。」
「お母さんの……?!」
「わたし達獣人は、記憶の一部を共有しているんだ。―――――――――ずっと昔から、今日まで。」
「記憶を――――?!」
人間の想像が及ばないような話だけれど、腑に落ちた。
少し不思議な言葉遣いのヤナ語を、ラスタがこんなにも完璧に話すのは、そのお蔭なのかもしれない。
小さなラスタが、子供らしかったり大人みたいだったりするのも。
おかしいくらいに大真面目に、少女がこっくりと頷く。
「共有している記憶は、生きていくのに役立つような必要最低限のことだ。でも、親の記憶は他よりちょっと鮮明だ。―――――――――――母はヤマタという国にいたみたいなんだが。」
「ヤマタ……………。」
宝飾品のように輝く卵を拾った日のことを、ナギは思い出した。
古い時代の遺跡のような場所。
神殿か、城のような建物の跡。
すっかり崩落してしまっていたけれど、その建物が巨大であったことが分かる程度には、形が残っていた。
崩れた柱や手摺りに刻まれた浮彫りが砕けてなおはっきりと芸術性を残していて、ここに何があったのだろうと、そう言えばあの時ナギは、少し胸を打たれる気持ちがしたのだ。
タイルで模様が描かれた巨大な床石も幾つにも割れていて、その隙間に、卵だったラスタは落ちていた――――――――――――――――――。
微かに見えた紫紺に気が付いて手を伸ばしていなかったら、自分はラスタに出会えていなかった。
尋ねたいことは沢山あったけれど、ナギはまず、ラスタの質問について考えた。
12歳までしか学校に通えていないナギの知識は乏しい。
十分ではない知識だけれど、ヴァルーダが今ある地にはずっと昔は幾つもの国があって、それぞれが滅んだり興ったりした、と習ったのは覚えている。
その一つ一つの国の名前や、存在していた時代までは分からない。
ヤマタという国の名前も、ナギの記憶にはなかった。
だけど多分、ヤマタはヴァルーダが興る前にあった国の一つではないだろうか。
ナギが自分のささやかな知識を話すと、ラスタは「そうか。」と、呟くように言って頷いた。
「竜人の卵はかえるのに千年かかる」という話が本当だとするのなら、ラスタの母が、ラスタをその国に託したのはどれだけ昔のことなのだろう。
ラスタが母親の記憶を共有出来ているということは、母親が竜人、ということなのだろうか。
なら父親が人間――――――――――――――――――――。
父親はもう、遥か昔に亡くなっているのだろう。
ラスタにとって、両親はどんな存在なんだろう。
小さな少女を、ナギは見つめた。




