78. 竜人少女(3)
竜人の卵をかえして育てる。
人類史上、四度しか例のないこと。
自分とラスタが、五例目。
深い感動の中に、ナギはこの時、苦しさも感じていた。
人の姿になった竜は、掌を上下に返したり腕を伸ばしたりして、自分の体をしげしげと見つめ出した。
「毎回思っていたが、鏡がないからよく分からないな………。わたしはどんなだ?」
毎回そんなことを思っていたのか。
不安そうにそう尋ねられて、初めて知る事実に申し訳なくなった。
お姫様みたいなこの姿を、本人に見せてあげられないなんて。
「すっっごく綺麗だ。」
心底から言うと、小さな少女はぱあっと顔を輝かせ、嬉しそうに笑った。
「そうか!うん、見ていろ!あと二年もすれば、凄い美女になるからな‼」
告げられたことと、ぽんぽんと飛び出てくるヤナ語の両方に驚かされる。
二年―――――――――――――――――――?
数千年、もしかしたら数万年も生きると言われている竜人の、人間の方の姿がどんな風に成長するのか、ナギには見当もつけられない。
でも今のラスタの言いようは、「二年で大人になる」みたいに聞こえた。
「――――――――――――――――二年で?」
思わず尋ね返すと、ラスタは得意げな表情をした。
「うむ!二年もすればおヨメに行けるぞ!!」
少女のその言葉は、なぜかパニックに近い程ナギを動揺させた。
数秒のパニックの後、ナギは自分でもよく分からない動揺を脇に置いた。
それにしてもラスタのヤナ語は流暢過ぎる。
一つ目の謎に蓋をして、別の謎に思考を移す。
育てたのはナギだから、ラスタがヤナ語を話すこと自体はおかしくはないのだろう。でもラスタの語彙力や完璧な発音は、それだけでは説明が付けられなかった。幼い見た目に不釣り合いな言葉遣いも不思議だと思う。
いつものことだが、知りたいことがたくさんあるのに時間が足りない。
質問の優先順位を考え出した。だが最初の質問はすぐに決まった。
考えるまでもなかった――――――――――――ラスタにナギは、ずっと尋ねたいことがあったのだ。
今頃になって寒さを感じて、手に持っていた自分の服を着直した。
頬が強張るのを感じる。
「――――――――――――ラスタ。訊きたいことがあるんだ。」
「――――――――――――今か?」
少女が躊躇いがちに牛の方をちらりと見やった。
ラスタが水を作ってくれるようになってから朝の時間には随分余裕が生まれていたが、確かに、そろそろ仕事に取り掛からなければまずい。
もし人間だったら、こんな日は、みんなでお祝いするんじゃないだろうか。
そんなことが頭に浮かび、切なくなった。
ナギに今、だがその自由はない。
無言で頷くと、その真剣な表情を見て、竜人少女も黙って少年の向かいに座った。
最後に見た時のハナより、小さい。
目の前にぺたんと座った小さな少女の姿は、ナギに故郷の妹を思い出させた。
もう大きくなっているだろう。弟も妹も。
少しだけ横道に逸れた思考を引き摺り戻し、少年は硬い声で尋ねた。
小さな竜が生まれた時から、ナギには疑問だったことがある。
「――――――――――――ラスタはどうして僕といるの?」
静かに尋ねると、少女は小首を傾げた。
「卵をかえした人間に、恩を返すのが獣人の決まりだからな!」
恩を返す、決まり。
胸がずきりと痛んだ。
獣人の恩返しの習性は知っていた。でも。
恩に着て貰えるようなことは、自分は何も出来なかった――――――――。
柵の向こうで牛達が蠢いている。
もう慣れてしまったとはいえ、家畜の臭いはやっぱりきつい。
本当だったら、ラスタはどこかのお城で育っていた筈だ。
それを自分が卵をかえしてしまったがために、こんな所で。
食べ物さえまともに用意出来ず、一緒に過ごしてやることすら出来なかった。
光の中でラスタが生まれたあの日、みんなを救えるかもしれないと思った。
でもそれだけじゃない。
獣人は、卵をかえした人間を親だと思っているのかもしれない。
なんとなくそう考えたから、それがナギがラスタと過ごす大きな理由になっていた。
でもラスタが自分の傍にいる理由は、違っていたのだろう。
「恩に思って貰えるようなことは、僕は何も出来なかった。」
微かに眉を寄せ、ナギは苦しげに告げた。
「――――――――――だからラスタが、何かに縛られる必要はないんだ。」
唇を引き結ぶ少年に向かい合った少女が、やや戸惑う表情をする。
「―――――――――――少し違うな。」
今度は少年の瞳に困惑の色が浮かんだ。
「決まりは絶対じゃないんだ。―――――――――――嫌だったら、わたしはここを出て行ってた。」
「―――――――――――――――――じゃあ。」
どうして。
目を瞠る少年に、竜人の少女は満面の笑みを見せた。
「ナギが好きだからだ!」
突然、世界に光が満ちたように思えて、少年は息を飲んだ。
「だからわたしは恩返しはしない。」
竜人の少女が笑顔でそう続けた時、その言葉をどう解釈するべきなのか迷った。
でもラスタが力を貸さないというのなら、それでいいと素直に思った。
物凄く困難で時間もかかるだろうけど、いつかミルと一緒に、自力でここから出よう。
それでいい。
静かに青い瞳を見つめた少年に、竜人の少女はにっこりと笑った。
「ナギが何かを望むなら、友人として力を貸そう。」
「――――――――――――――――――――――」
小さな手が自分の頬に触れるまで、ナギは自分が泣いていることに気が付かなかった。
泣くつもりではなかった。
泣いている意識もなかった。
少女が微笑みながら、自分を見つめている。
「ラスタ―――――――――――――――――――僕らを、助けくれないか。」
くぐもる声で、少年は願った。
「もちろんだ!ナギのことが大好きだからな!」
もう一度少女が、満面の笑みを浮かべた。
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