65. その夜(2)
まずい時に行き会ってしまったようで、奴隷の少女と女中は領主の息子にぎろりと睨め付けられた。老齢の使用人に向けられた視線も刺すかのようだ。
女中はハンネスと白髪の男に慌てて一礼すると、お面のように顔から表情を消して、燭台を灯す作業に戻った。
「何も聞こえませんでした」とでも言っているかのような女中の振る舞いを見て、ミルも困惑しながらも一礼すると、女中を真似して淡々と作業に戻った。
ヴァルーダ語が分からない自分が「聞こえなかったふり」をすることに、あまり意味があるとも思えなかったけれど。
ハンネスが少女奴隷のいつもと違う姿に気が付いたのは、一拍置いてからだった。
やや驚いた表情をして、ハンネスはろうそくを灯して回るミルの姿を眺めた。
◇ ◇ ◇
夕食を終え、殺気立つ台所をナギは無言で後にした。
勝手口を出ると、外はまだ仄かに明るかった。
でも今日の館は薄明りの中でも煌々としていて、まるで館じゅうの燭台に火が灯されたかのようだった。
この日の客人に対するブワイエ家の熱意を、教えられるかのようだ。
だが自分がやって来た場所について、あの令嬢は見るからに不満そうだったと思う。
身分のある家の結婚って、本人達の意思はどれくらい聞いて貰えるんだろう。
ブワイエ家の婚姻に意見も感想もなかったし言う立場にもなかったが、ハンネスも令嬢もこの結婚を望んでいそうには見えなかった、とは思う。
もし話が決まったとしても、この館の雰囲気を今より良くしてくれそうな女性ではなさそうだった。
ナギがブワイエ家の縁談について考えていたのは、木戸の手前までだった。
今はそんなことより、もっとずっと気になることがある。
きぃ……
他の誰もいない場所で、木戸が軋む音だけが微かに響いた。
館と自分の間を分けるその戸を通った後は、小さな竜のことしか考えなかった。
気持ちを逸らせながら納屋へと急いだ。
納屋の扉を開ける時、祈るような気持ちだった。
そっと扉を開けた。
そして少年は、静かにそこに足を踏み入れた。
ばさっ――――――――――
呼び掛ける前に、大きくなった竜の翼の音がした。
一瞬、泣きそうになった。
「ただいま。」
目の前で羽ばたく小さな竜にそう言って、少年は両手を差し伸べた。
黒竜がその手の上にふわりと降り立つ。そして甘えるようにナギの腕に自分の頭を擦りつけた。
「消える力」を手に入れたラスタは、今日一日何をしていたんだろう。
「納屋の外に出たの?」
少年がそう尋ねると、珍しく真面目な表情で、竜は小さく頷いた。
闇が落ちるまで、まだ少しだけ時間がある。
――――――――――さあ、今日のことと明日のことを、
色々考えなくちゃ。
少しだけわくわくしながら、ナギは黒竜の青い瞳を見つめた。
済みません、短め滑り込み更新です……!




