64. その夜
青銅色の瞳が、ナギの頭から爪先までをさっと撫でるように一瞥する。
足の鎖で、少年が奴隷であることは理解しただろう。
ハンネスがエスコートしているのは馬車が麦畑の横を通った時に、窓越しに見えた女だった。
美人と言ってよかったが、顔立ちも赤紫のドレスも華やかではあるものの、どちらも少しだけ毒々しい。
かなり若そうに見えて、二十歳そこそこか、もしかしたら十代かもしれない、と思う。
馬車の窓越しに見えた時も今も、露骨にふてくされた表情をしている。
ハンネスの結婚相手候補――――――――――――――――?
少なくとも領民達はそう思ったようで、麦畑はあれからしばらく「仏頂面の令嬢」の話で盛り上がっていた。
令嬢の手を取ったまま、ハンネスがナギを睨みつける。
ハンネスの顔はエスコートしている相手と同じ程不機嫌そうな上に、攻撃的な気配が加わっていた。
普段いない時間と場所に現れているのはそちらなのだから、睨まれても困る。
こっちだって、会いたくはなかった。
無言で小さく一礼すると、ナギは台所に向かって歩き出した。
早々に立ち去るに限ると思った。
少年奴隷が一度ちらりと振り向くと、ハンネスと金髪の令嬢は、正面玄関へと歩いて行くところだった。
身分のある家の、ましてやヴァルーダの慣習などナギには分からないが、結婚を決める前に顔合わせのようなことをするんだろうか。
ジェイコブ達の会話から考えるに、ハンネスの結婚話はまだまとまってはいないのだと思う。
◇
「その皿早く持ってけ!!台が空かないんだよ!!」
勝手口の扉を開けると、ジェイコブが苛々と怒鳴りまくっていた。
普段と違う格好の大勢の使用人で、台所が殺気立っている。
調理の補助にも配膳にも何人もの使用人が駆り出されていて、その全員が右へ左へと動き回っていた。
既に料理が盛りつけられている大皿や、出番待ちで積み上げられている何種類もの皿で、二台の調理台は一杯だった。
ナギの食事が置かれていない。
今声をかければ太った料理人は間違いなくキレるだろうが、かけない訳にはいかない。
食べ盛りの少年は、毎食限界に近い空腹感を抱えてここにやって来ている。
パンのある場所や、どの鍋に煮物が入っているのかは知っていた。
自分で盛り付けていいならそうしている。
げんなりしながら、ナギが自分の夕食について尋ねようとした時、年輩の女中が吐き捨てるように「あんたの食事は物置きよ!」と言って、その場所を指差した。
少年奴隷は黙って頭を下げると、物置きに向かった。
ブワイエ家の使用人は皆シンプルな黒っぽい服を着ているが、それは制服ではなく、服のデザインはばらばらだった。
今日の使用人達の服装も、色味以外はやっぱり統一されていなかったが、どの服もいつもよりちょっと上質に見えた。
館を挙げてもてなすような来客は年に四、五組程度で、ブワイエ家にとっては一大イベントなのである。
だが館の中の仕事をさせられることがほぼないナギにとっては、無関係なことだった。
今日はここで仕事が終わるナギより、使用人達の方が大変だろう。
少年は周囲の癇に障らないように、なるべく静かに物置きの扉を開けた。
「!」
そこでばったりと出くわした相手に、ナギは息を飲んだ。
ミル……?!
少女も驚いた様子でナギを見上げている。ミルは手に、空の皿を載せた盆を持って立っていた。
少女の後ろのひっくり返した鍋の上に、もう一つ手付かずの盆が置かれているのが見える。
ミルが食事をする場所も物置きなのは知っていたが、これまで二人の食事時間が重なったことはなかった。
多分重ならないようにされていたのだと思うが、館の人間達も、今日はそんなことまで気にしていられなかったのかもしれない。
でもナギが驚いたのは、もっと別なことだった。
ミルはいつも売られた時に着ていたヤナの服か、ここで与えられたヴァルーダの古着のどちらかを着ている。
だが今着ている服は、そのどちらでもなかった。
青紫のドレスは普段着っぽい簡素な物であることに変わりはなかったが、いつもよりずっと小綺麗だった。髪型も朝はただ真っ直ぐに降ろしていたのに、少女は今は、顔回りの髪を三つ編みにして後ろで留めていた。
ミルは凄い美人というのではなかったけど、顔立ちは悪くないとナギは思っている。
彼女がヴァルーダ人の服で着飾られるのは正直少し嫌だったけど、それでもミルはちゃんとした格好をするとこんなに綺麗なんだ、と思う。
ちょうど食べ終えて出て行く所だったらしい。
「お帰りなさい。」
ミルに小声で言われて、ナギは微笑んだ。
それから少年は、ちょっと照れくさそうに言った。
「似合ってる。」
少女は目を見開いて、かなり恥ずかしそうにした。
◇ ◇ ◇
それからすぐ、ミルは他の女中に連れられて、あちこちの燭台に火を点けて回る仕事をした。
玄関ホールのシャンデリアが灯されているのを、この夜ミルは初めて目にした。
廊下の燭台も、客人が通りそうな場所はろうそくが全て新品に挿し変えられていて、念の入れようにちょっと驚く。
「ハンネス様、そろそろお召し替えされなければ。」
一階の北端近くまで来た時に、ミルは年老いた使用人の男が、ブワイエ家の長男に何やら声をかけている所に行き会った。
金褐色の髪の男が何か苛々としているのが、言葉が理解出来なくても分かった。
「あの女、馬鹿にしやがって。」
腹立たし気に、ブワイエ家の息子が何ごとかを言っている。
その時ミルの鎖の音に気が付いて、二人の男が振り返った。
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二章に入ってからこんなに長くなるとは自分でも思わず、タイトル詐欺みたいになっていますが(済みません……)、何とか今週中に竜人を誕生させたいと思っています……(切実)。
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