63. その夕
◇ ◇ ◇
「消える力」を手に入れたラスタの居場所を、ナギがコントロールすることは出来ない。
ナギは牛乳を詰めた五本の甕を牛小屋の戸口に並べ終えると、納屋を見つめて佇んだ。
誰も納屋には入らなかったのか。
ラスタが見つけられる心配はかなり減ったが、納屋に隠した木の椀と雑穀が見つけられる可能性は残っていた。そうなれば酷い罰を受けることになるだろうと、ナギはちょっと覚悟していた。
だが牛小屋に戻って来たナギを、館の人間が待ち構えているようなこともなかった。
少しだけほっとしたが、気持ちは全く穏やかではなかった。
ラスタは今、どこにいるんだろう。
納屋の中か。それとも。
ずっと家畜小屋の周りしか知らなくて、ナギとミル以外の人間を見たこともないラスタが、生まれて初めて広い世界に出て行ったのかもしれない。そう思うと、心配で仕方がなかった。
消えられるラスタが危険な目に遭うことはそうないと思うけれど、昨日までの竜は、他の動物に襲われる心配をしなければならないくらいに無力だったのだ。
でももう、なんの心配もないのかもしれない。
そうだとしたらラスタは、もう帰って来ないかもしれない、とも思う。
ラスタと一緒にいたい気持ちも、ラスタに助けてほしい気持ちも、ナギの中に間違いなくある。
黒竜に「夕方には納屋に戻って来るように」、とも言った。
でも、竜人が人に縛られる必要はないのだ。
「もしラスタが帰って来なかったら」と思うと、胸に切られるような痛みを感じはするけれど――――――――――――――。
納屋の扉を開けて、中を確かめたいと思う気持ちを堪え、ナギは踵を返した。
気持ちは物凄く急いていた。
早くここに戻って来て、納屋に行きたい。
願わくば、小さな竜にもう一度会いたい、と思う。
鶏小屋の前を通り過ぎ、ナギは館へと向かう木戸を開けた。
今日の館は、外からでもはっきりと分かる程騒めいている。
客人は多分、何日か滞在するのだろう。
来客がある間は館の人間達の行動も変則的になるのが常で、予測が付かない。
ラスタが今日、姿を消せるようになっていなければ、どの道未来はなかっただろう。
そこでナギは、会いたくもない人物と出くわしてしまった。
ハンネスが若い令嬢の手を引いて、門を入って来るところだった。
ナギの鎖の音に気付いて、女性の視線がこちらを向く。
少し赤っぽい金髪の令嬢は、不機嫌そうな表情で、じろりと少年を見やった。




