62. 領地の事情
二台の調理台の片方に、磁器や銀の食器が山程載せられていた。
ジェイコブといつもの女中が、見るからにせかせかしている。この時間帯の台所ではあまり見たことがない女中も二人いて、ナギが勝手口を開けた時、台所に入って来る女中と廊下に出て行く女中が、ちょうど入り口で慌ただしく擦れ違う所だった。ミルの前に積まれている野菜も、普段よりかなり多い。
戸惑いながらミルと視線を見交わすと、少女も困惑顔をしていた。
太った料理人が苛立たしげに奴隷の少年を振り返り、野太い声で喚いた。
「おい!ミルに今日は来客があるって言え!皮剥きが終わったら大掃除と会場の準備だって言っとけ!!」
来客。
一瞬、ナギの表情は強張った。心臓に刃物を当てられたように感じる。
ホールを使うということは、それなりに大きな宴の席が設けられるのだろう。
こういう時は、大抵鶏や牛がしめられて晩餐に供される。使用人達が家畜小屋に出入りすることになるのだ。何かの必要が生じて、彼らは納屋にも入るかもしれない。
三カ月の間ラスタが見つからずにいてくれたのは、ただただ幸運だっただけだ。
間一髪だった。
今日ラスタが姿を消せるようになっていなかったら。
改めて、自分がどれだけ危ない橋を渡っているのか思い知らされる。
でもこれでミルにラスタのことを話せる。
思わぬ機会が得られた。気持ちが逸ったが、少年は平静を装った。
ナギが通訳を命じられたと分かっていたのだろう。ミルの方へと歩み寄ると、少女もほっとした表情を見せていた。
二人が話せるのは久しぶりだった。
まずジェイコブの言葉を伝える。そして声の調子を変えずに、少年は大切な話を付け加えた。
「ラスタが今日、少しだけ大きくなった。それから自由に姿を消せるようになった。」
ミルが目を瞠る。
その時ナギは、焦燥感に駆られた。ミルの顔色が前より悪くなっている気がしたのだ。
せめて畑に出られれば。
ずっと悪意に囲まれていたら、誰だっておかしくなる。
ミルに希望を持ってほしかった。
ぬか喜びになったら余計に残酷だという躊躇がずっとあった。だがそれも今、ラスタの不思議な力のお蔭で小さくなった。
と、ミルの視線がナギの左手の上で止まった。
少年の手に、小さな赤い三角形があった。
物問いたげな表情でナギを見上げると、少女は自分の左手の同じ場所を、右手でそっと示してみせた。
苦笑して、ナギは小声で応えた。
「噛まれた。――――――――――――ちょっと怒らせちゃって。」
その言葉に、ミルはなんとも言えないような微妙な表情をした。
また何か、竜の赤ちゃんに焼きもちを焼かせるようなことをしたんじゃ。
何か色々と複雑な気持ちになって、ミルは無言でナギを見つめた。
ナギは小首を傾げて少女を見つめ返したが、言葉は発さなかった。代わりに竈の方をちらりと窺う。これ以上の会話はジェイコブ達に見咎められそうだと思った。
ジェイコブと高齢の女中は、忙しく手を動かしながら何か話していた。
「今度こそ決まるかしら。」
「こんな貧乏領地に嫁ぎたいご令嬢はなかなかいないだろ。村の奴らですら王都に行きたがるってのに。いつになったら跡継ぎが出来るんだか。」
「―――――――――――――――――」
会話の全部は、ナギは理解出来なかった。
だが、ブワイエ家の二人の息子がいつまでも独身でいるのは、「貧乏領地」のせいらしいことは分かった。
その日の夕暮れ、麦畑の横の道を三台の馬車が連なってやって来て、村人達を騒めかせた。
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