60. ラスタの成長(6)
◇
結局ナギは、雑穀を昨日よりだいぶ多目に椀にすくって、一端牛小屋に戻ることにした。
まだ分からないことが多過ぎて、小さな竜に「好きな時にごはんを食べに行っていいよ」と言う気にはなれなかった。
甕の蓋を閉め、宙に手を差し伸ばしかけて、気が付く。
――――――――――――――もう必要ないんだ。
「――――――――――――――ラスタ。行くよ。」
少年がそう声をかけると、ラスタはちょっとだけ考えるような表情をしたが、一拍置いて、空中で、ぽんっと消えた。
気配もない程あまりに完全に消えるので、やっぱりちょっとだけ動揺する。
胸の騒めきを堪えて、ナギは納屋を出た。そして雑穀を入れた椀をもう一度木桶の中に入れると、少年は道を戻った。
◇
牛小屋に戻ると、ラスタはすぐに姿を現して楽しそうに飛び回った。
牛の背中や頭に乗るのは前からラスタのお気に入りの遊びだったが、いきなり大きくなった黒竜を、牛達はどう思っているだろう。
雑穀の椀を「部屋」の奥の方に置くと、ナギは胸許のいつもラスタがいた場所に、一度だけそっと手を当てた。
ラスタはいつまでも小さな竜じゃない。
「人に見られないようにしてほしい」と言えば、ラスタはきっと分かる。
多分ラスタは、ナギの言葉をほとんど理解している。
ラスタが自分の傍を離れたがらないのもあったけれど、考えてみればラスタが自分で危険を避けたり隠れたり出来るのなら、井戸への往復について来る必要はないのだ。
「ラスタ―――――――――――――。」
梯子に手を掛けたまま、少年が相棒を呼ぶと、黒い竜はふわりとナギの「部屋」に降り立った。
ちょうど同じくらいの目の高さで、ナギとラスタは向き合った。
こんなに寂しい気持ちになるなんて。
でも。
僅かに微笑み、少年は竜に尋ねた。
「――――――――――――――ここで待ってる?」
黒竜は、少しの間少年を見つめていた。
そして。
こっくりと、青い瞳の相棒は頷いた。
―――――――――――――――今度こそ本当に、親離れだ。
その後の井戸への往復は孤独だったけれど、ラスタが牛小屋で元気に待っていてくれるのは、そんなに悪くなかった。
それからナギは、必死で遅れを取り戻さなければならなかった。
それでも限られた時間の中で、少年は出来るだけのことを知ろうとした。
「消える力」を使えば、ラスタはどこにでも入れるのか。
ずっと消えていられるのか。
他にも何か、出来るようになったことがあるのか。
気が付いたことを片端からラスタに尋ねる。
喋れないラスタは縦や横に首を振って答えるだけだから、解明出来ることには限度があった。
だから今日の所はやっぱり、干し草の納屋に水と雑穀を隠して行こう。
干し草の山の前で、ナギは手の上のラスタと見つめ合った。
「もしどこかに出掛けても、夕方にはここに戻って来るんだよ。この外に出る時は、姿を消して。」
少しだけ大きくなった竜は、ちょっと考えるようにしてから、少年の言葉に頷いた。
それから数秒、口をつぐんだナギを、ラスタは不思議そうに見つめた。
ややして、ナギは無言で両手に包んだラスタの体を引っ繰り返した。
ばたばたとラスタがもがく。
やっぱり何も見えない―――――――――――――――
「痛っ――――――――――――――――――――!!!」
激痛が走り、ナギはしゃがみ込んだ。
左の掌の、人差し指の下辺りを噛まれた。
あまりの痛さに右手で左の手首を握ったまま、少年はしばらく言葉もなかった。
脱出したラスタが納屋の床の上で少年を睨み付け、両の翼を目一杯に広げる。
………うん、前より迫力がある……。




