06. 秘密の石
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今朝は寒さと空腹で目が覚めた。
辺りはやっぱりまだ真っ黒で、小屋の中では、牛達の気配が微かにしている。腹立たしい鶏が、やっぱり、もう鳴いていた。
ナギは藁の中で体を丸めた。
ミルは大丈夫だろうか。
あれからへルネスは家族でしばらく揉めていたが、結局「死なれては元も子もない」という話になり、ミルは館の中の使用人部屋で、当面怪我の治療をすることになった。
通訳の必要から、奴隷商人達が去った後少しの間だけ、ナギは仕事を離れてミルに付き添うことが出来た。
ナギの時には身振り手振りでなんとかしたのだが、さすがに館の人間達も、あの面倒をもう一度繰り返す気にはならないようだった。
ここに来てからのほとんどの時間を家畜小屋や畑で過ごして来たナギは、結果として、館の中の使用人部屋を昨日初めて見た。
使用人部屋は、ただの木の台に痩せたマットを乗せただけのようなベッドの他は、粗末な机があるだけの、貧しい空間だった。
二つの家具が入るためのぎりぎりの面積を計算したかのような小さな部屋で、一つだけの窓は、その小ささに見合うより更に小さく、日当たりも悪かった。
大した期待はしていなかったが、弟達と一緒だった故郷のナギの部屋よりみすぼらしいと感じた。それも遥かに。
それでも大怪我をしているミルが、最初の日を家畜小屋で過ごさなくて済んだことには、ほっとした。
でも怪我が治った後は、ミルはどこに移されてしまうのだろう。
まさか牛小屋で自分と一緒にすることはないと思うが、自分達にはあの貧しい部屋さえ与えられないのだと思うと、胸が苦しくなった。
精神の均衡が崩れそうになる。
まだ真っ暗な世界で、ナギは藁の中を這い出した。
闇の中、藁を少しだけどかして、床板の溝を手で辿る。
ほどなくして、ナギは固い小さなものを探り当てた。
うっかり落としてしまわないように、慎重に摘まみ上げる。
それを手で握り締めると藁の位置を直し、彼は素早く体を沈め直した。
暗くて見えないのが残念だが、これはとても綺麗なものだった。
ナギの唯一の、そして秘密の財産だ。
三年の間に体が大きくなって、ここに売られた時に着ていた故郷の服は、ナギは失っていた。両襟に母が刺繍を入れてくれたあの服がどこへ行ったのか、ナギは知らない。
「自分のもの」が何かあるということがこんなにも慰めになるとは、それまでナギは知らなかった。
きっとミルも辛くなる。
彼女にこれをあげようか。
館の人間に見つかって、取り上げられてしまうだろうか。
白地に紫紺の模様が規則正しく描かれた小さな石を、ナギはこの館に売られて来る前に拾った。
食事や手洗いの必要と、おそらくは自分達の足を萎えさせないために、ナギ達は日に数度あの馬車を降ろされ、時には無意味に歩かされることがあったのだ。
古い時代の遺跡のような建物の跡で、崩れた石の床の隙間にちらりと見えた紺色に、あの日ナギは手を伸ばしてみた。
あの時ナギ達は、長時間馬車の外で待たされていた。
車輪に問題が起きたらしく、奴隷狩りの男達の視線は馬車に集まっていて、見張りの男の注意も、珍しくナギ達から逸れていた。
拾い上げた時、小さな不思議な石の美しさに、胸を打たれた。
それからずっと、ナギはこれを隠し持っている。
自分の親指程の大きさもない、これがなんなのかは分からなかった。
こんなに小さなものなのに、細かい模様は下地から微かに浮き上がっていて、それがほぼ全面に施されていたから、信じられない程巧みな細工だと思う。
ちょうど水晶のように、上下に尖った角錐を持つ六角柱の形をしていたが、どの面も、どの角度も、寸分の狂いなく均等に見える。
高貴な人のアクセサリーだったのかもしれない。
白い部分も紫紺の部分も光沢があって、明るい所で見るとキラキラと光る。
綺麗だな。
今は闇の中だが、これを見る度にそう思った。
手にしていると、空腹さえ紛れる気がする。
へルネスの怒りを買ったために、昨日ナギは、朝食と昼食を抜かれている。
食事を抜かれたことは以前にもある。
仕事が減らされることはなかったので、その時は翌日の朝には倒れた。
それ以来三食続けて抜かれることはなくなり、だから夕食にだけはありつけたのだが、腹が満ちる量ではなかった。
無限にこき使うことが出来る労働力を、ブワイエ一家は死なせないように気をつけてはいた。だがここに来てから腹一杯食べたことは、一度もない。
ただ毎日牛の乳を搾るナギは、コップに一、二杯の牛乳を飲むことは許されていて、三年間、ナギはそれで飢えをしのいできた。
牛の乳の量がいつもより少ないとナギが飲み過ぎたのではないかと疑われて殴られたし、加熱していない牛の乳を飲むと腹を下すこともあったので、許されている量以上は、滅多なことでは飲まないが。
もう一度眠ることは出来なかった。
薄っすらと、世界が見えだす。
もう起きなければ。
そう思った時、異変を感じた。
掌が温かい――――――――――――――――――――――――――
温かすぎる。
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