59. ラスタの成長(5)
やっぱりラスタは、伝説の竜なんだ。
湧き上がる高揚の中に、胸の痛みが微かにあった。
本当はラスタは、自分なんかが育てていい存在じゃない―――――――
「伝説の存在」に相応しい暮らしがあった筈なのに。今のナギには、食べる物すら満足に用意出来なかった。
方向も強さも違う色んな感情で頭の中がぐじゃぐじゃになる。
でも今は、そんな葛藤に向き合っている時間さえないのだ。
二人はいつもよりだいぶ遅れていた。
もう館の人間達が起き出してしまう。
少年は高床式の納屋の床に両手を着くと、自分の両膝を順番に引き上げた。
最初の水を汲みに行くのも、今日はもう、後にしよう。
今確認した方がいい、と思った。
納屋に入って立ち上がると、ナギは床一杯に並ぶ甕の一つに歩み寄った。
小さな竜は、入り口の辺りに留まったまま少年の行動を見つめている。
少年が甕の蓋を開けると、穀物の匂いが仄かに立ち昇った。
甕の中の雑穀はもうだいぶ減っている。中が一杯でないことを確認して蓋を閉め直した。
ナギは緊張気味に相棒に尋ねた。
「ラスタ―――――――――――――この中に入れる?」
その甕を、ちょっとだけ見つめて――――――――黒竜は、珍しく神妙に頷いた。
ばさっ。
一度だけ羽ばたいて、ラスタは宙に舞い上がった。
そしてぽんっという小さな音で、跡形もなく姿を消した。
「――――――――――」
ナギは目の前の甕に視線を戻した。
蓋の真ん中の小さな摘まみを持つ。緊張で息が詰まった。
そっと蓋を持ち上げると――――――――――
いない――――――――――――――――――――?
ぽんっ。
「………!」
雑穀の上に立つラスタと目が合った。
時間差がある―――――――――――――――――?!
今ラスタが現れたのは、ナギが蓋を開けてからだったと思う。
忙しく頭を働かせた。
どうやら姿を消した瞬間に、別の場所に現れることが出来るという訳ではないらしい。
どういうルールなんだろう。
ラスタの「消える力」に、距離や場所や、時の制約はあるんだろうか。
知りたいことがたくさんあるのに、時間がない。
だけどもしかしてラスタは、好きな時にいつでも雑穀を食べられるようになったのでは。
「―――――――――――――――――――!」
今目の前にある不安の多くを回避出来るかもしれない。
暗さは問題にならない。甕の中はもちろん、この納屋自体も扉を閉めると真っ暗だったが、ラスタは闇でも見える。
でもまだ解決じゃない。
まだもう一つ、急いで見通しをつけなければならないことがあった。
食べる量や物の問題だ。
これまでと変わるんだろうか。
夕方にラスタを迎えに行ってラスタがごはんを完食していたら翌日には少し増やして、この三カ月、ラスタが食べる量は少しずつ増えていた。
体が全く大きくならないのが、ずっと不思議だった。
ちなみにトイレの跡も未だに見つけられていないが、もしかして物凄く糞が小さいのかも、とか思ったりしている。
ナギが今すぐ結論を出さなければならないのは、ラスタが今日必要とする食事のことだ。
昨日と同じでいいんだろうか?
ラスタ本人に訊いても分からないのかもしれない。ラスタだって体が大きくなった、今日が初めての日なのだ。
少し先の問題だが、この先の食事のことも心配だった。
今日もこれからも、食べる量が増えることがあっても減ることはないだろう。
雑穀の減りがあまりに早くなったらいつか館の人間に気付かれてしまうし、そもそもほぼ雑穀しかあげられていないこともずっと不安に思っていた。
ラスタは本当は色々食べられるようなのに、ナギは雑穀以外の物をあげられたことがほとんどなかった。時々極少量、こっそり持ち帰ったパンや野菜の欠片をあげていただけだ。
心配だったけれど、ラスタは弱ったりせず育ってくれたから、「毎日同じごはん」でここまでやって来た。
でも巨大な大人の竜を想像した時、雑穀だけで生きているとは思えない――――
ブワイエ家の畑を、丸ごと食べさせても足りないんじゃないだろうか。
考え込んでいた時間がちょっとだけ長かったのかもしれない。
じゃく、じゃく、じゃく。
「えっ?」
聞いたことがないような音が下から聞こえて、ナギは甕に視線を落とした。
「ラスタ?」
びっくりした。
甕の中で足を投げ出して座っていたラスタが、雑穀を器用に手で掴んでは口に運んでいたのだ。
「じゃくじゃく」は、ラスタの咀嚼音だった。
そうか、一粒一粒しか食べられなかったのが、
まとめて口に入るようになったんだ!
聞いたことのない音になったのは、そのせいだった。そして少し大きくなった手は、雑穀を掴めるようになったらしい。
「ん?」
ラスタの手が止まった。
小さな竜にじっと見つめられて戸惑う。
すくっ。
「え?」
立ち上がったラスタが、なおもこちらを見つめている。
何か伝えたいんだろうか。
数秒見つめ合う。
と、黒竜は目を逸らし、足許の雑穀をちょっと蹴った。
ちっ、とでも言うように。
ぽんっという音がして、竜は甕の中から姿を消した。そして数拍おいて、羽ばたきながらナギの近くに現れた。
「あ、ごめん。」
ようやく理解した。
今のラスタが羽を広げるには、この甕は少し小さかったのだ。
這い上がるには高さがあるし、要するにラスタは今、囚われていたのだった。
多分ラスタは、ナギがすくい上げてくれるのを待っていたのだろう。
空中で、ラスタが不愉快そうにぷいっと横を向く。
「ごめんって。」
少し慌てながらナギは、あることに気が付いてほっとした。
ラスタの「消える力」は、「侵入」だけじゃなく、「脱出」にも使える。
ラスタはきっと、今までよりずっと安全に生活出来るようになったのだ。
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