51. 少年と少女と竜(4)
女性が奴隷になると、男よりも酷い目に遭うのかもしれない。
奴隷狩りに遭った時、12歳だったナギがそんなことに思い至ったのは、ここに売られてしばらく経ってからだった。
あの時山に、妹を一緒に連れて行ったりしなくて、本当に良かった。
その時にはそう思い、そして少しだけ気持ちが慰められた。
でもミルは。
考えると心臓が掴まれるように胸が苦しくなって、暗闇の中、ナギは抱えた自分の膝を握る手に力を籠めた。
自分やミルは、ここでは人間として扱われない。
ブワイエ一家が自分達に何をしようと、それを咎める存在はいないのだ。
「――――――――――――――――――――――」
まだ子供で、大怪我をしていたミルは、そういう対象に見られていないかもしれない。でも年月が経てば、どうなるか分からなかった。
少年は小さな竜の方を見やった。
そこにいる筈の竜の姿は、もうほとんど見えていない。
「…………ラスタ。」
名前を呼んでみる。
だがラスタは目を開けてくれなかった。
本当にどうしたのだろう。
戸惑いながら、ナギはただ暗闇を見つめた。
ミルに希望を持ってほしかったけれど、彼女にラスタのことを告げたことが正解だったのか、ナギは自信が持てなかった。
今のまま、ラスタを隠し通せるとは思えない。
ようやく見えた小さな希望が失われれば、その時に感じる絶望は、きっとより大きくなってしまう。
ただ今日を逃せば、ミルに秘密を伝える機会は二度と巡ってこないかもしれなかった。
「………ラスタ。」
ラスタが自分の願いを叶える必要など、ない。
そう思っている。
でも春が来て麦畑が忙しくなれば、今のままではラスタを隠し通せない。
結局獣人が持つという超常の力しか、希望を繋ぐ術はないのだろう。
そしてもしラスタがその力で自分達を助けてくれると言うのなら、それは多分、自分や、ミルや、仲間達が見出すことの出来る、ほとんど唯一の光だ。
「痛たっ!」
手を出したらまた突つかれた。
本当にどうしてしまったのだろう。
「ラスタ?もう寝るよ?」
本格的に困惑しながら、ナギは小さな相棒に声をかけた。
だがラスタは反応しなかった。牛小屋の中はもう真っ暗で、目を開けてくれないと、ラスタが本当にそこにいるのかも分からない。
「――――――――――――――――――――」
これはもしかして、何か「親離れ」みたいなことなんだろうか。
思わぬ程にナギは動揺した。
一カ月以上、ずっとくっついて寝ていたのだ。喪失感に近い寂しさを感じた。
いや、だけどこれはいいことの筈だ。
どんなに言い聞かせても聞かなかったラスタが、ようやく離れて寝ようとしているのだから―――――――理由はなんであれ、ラスタの安全のためにはこの方がいい筈だ。
これはいいことだ。
ナギは自分に言い聞かせ――――――――――――
そして暗闇に向かって「おやすみ」と声をかけた。
藁の中に身を沈めると、少年は自分の胸の上に手を当てた。
ラスタが生まれた日から、ずっと夜はここにいたのに。
―――――――――――――――――寒い。
「――――――――――――――――――寒い。」
無意識に、声に出た。
と。
小さな竜が動いたような気配を感じて、ナギはそちらに視線を向けた。
えっ。
ラスタが首を起こしてこちらを見ている。
たっ、たっ。
そして床を蹴る音がした。
青い瞳が近付いて来る。
いや、大丈夫、寒くない――――――――――――――
少年は慌てたが、「親離れ」と決め付けていた訳でもないので、そう言うべきなのか分からなかった。
あれよあれよと言う間に、ラスタは就寝時の定位置に飛び乗った。
「ラスタ⁈」
少年とラスタの瞳が合った。
一瞬だけナギを見つめて、それからラスタはふんっ、とでも言うように左上を振り仰ぎ――――――――――――そしてナギの胸の上で丸くなった。
もしかして親離れの邪魔をした?もしかしてただ機嫌が悪かった?
ナギはちょっとだけパニックになったが、正直なことを言えば、嬉しかった。
「おやすみ。」
そっと声をかける。
やっぱり、温かい。
ナギがミルの行き先を知ることになったのは、この数日後のことだった。




