44. ヴァルーダの都
「すげぇ…。」「見ろよ。」
工事現場の周囲には、巨大な獣人による作業を一目見ようとする野次馬が絶えなかった。
ヴァルーダ王国は繁栄の極みにある。
王都を囲む郭壁の拡張工事が行われるのは、この五十年で三度目だ。
郭壁内の土地が足りなくなると、壁の外に住む者が増え始め、壁外の街が一定を超える規模になれば、郭壁が広げられる。そのプロセスが、驚異的な早さで繰り返されていた。
その郭壁の建築現場では、巨大なコテを動かして、二体の<岩人形>が黙々と石を積んでいた。
岩人形と呼ばれている獣人は人のような形状をしているが、背丈は人間の三倍に近い。そして岩を寄せ集めて造ったかのような体をしている。
獣人は人の姿でない時は、おしなべて巨大だった。
王都の住人であっても獣人の「人間でない方の姿」を目にすることは、滅多にない。道路や建物を壊しかねないので、王都にいる時の獣人は、原則として人間の姿をとることになっているからだ。
だから岩人形の圧倒的な巨体は珍しく、大勢の者達が見物に群がった。
彼らの体がどうなっているのか人間には理解し難かったが、岩で出来ているかのような岩人形の手指は、音もたてずに滑らかに、器用に動いていた。
岩人形は怪力で知られる獣人でもあり、戦場に出れば何頭もの馬で運ぶような物資を一人で運び、投石機などなくとも、相手の城壁目掛けて巨石を投げ付けることが出来た。
工事の場であれば、人間が滑車や足場を使わなければならない高さに何も使わなくとも手が届いたし、人が数十人がかりで丸一日かけて積むような数の石も、子供が積み木を積むような容易さで、彼らはあっと言う間に積み上げた。
獣人の存在は、国力を左右する。
ヴァルーダは、種族の違う獣人を何人も抱え込んでいた。
とは言え、ヴァルーダの王都にも岩人形は今三体しかおらず、工事現場の主力は奴隷である。
二体の岩人形のすぐ横では、何十人もの奴隷達による人力の作業も行われていた。
巨大な滑車で建材を巻き上げるのも、滑車の下まで資材を運んで来るのも、池のような大きな升でモルタルを混ぜては石を積んでいくのも、様々な国から連れて来られた奴隷である。
郭壁造りの高い足場を重い鉄を着けたまま昇り降りできないので、ここで働く奴隷達の枷は外されている。
だが誰が奴隷であるのかは一目で分かる。
王宮や貴族の館で働く一部の者を除いて、ヴァルーダの王都にいる奴隷は、ほぼ全員同じような生成りの服を与えられているのだ。そしてどの奴隷の服も、既に地の色など分からぬ程に汚れていた。
奴隷は皆、長くは生きない。
多くの場合、奴隷の男は力仕事が出来なくなった時、奴隷の女は容色が衰えた時が「用済み」になる時だった。
奴隷の供給に事欠かない王都では、彼らは使い捨ての存在だ。
岩人形に歓声を上げる人々のほとんどが、奴隷の姿には目も止めなかった。
この日も建築現場は祭の様に華やいでおり、そこに金や浮彫りで飾られた豪奢な馬車がやって来た時も、まるでそれが予定されていたイベントであったかのように違和感がなかった。
だが馬車の後部に立っていた従者が恭しく馬車の扉を開け、そこから二人の人物が降り立つと、人々の間には騒めきが広がった。
馬車を降りたのは、白髪交じりの男と、膝まである長い金髪の女であった。
男の方は、ヴァルーダ王グスタフであった。
だが人々の視線を惹いたのは、国王よりも金髪に光を纏っているかのような、美貌の女の方だった。
陶磁器のような白く滑らかな肌、長い睫毛、潤んでいるかのような青紫の瞳。
その女はなぜか男物の、しかも飾り気のない服を着ていたが、奴隷達も工事の手を止めて魅入ってしまう程、人間離れして美しかった。
獣人だ。
そこにいた誰もがそう思った。
人間と、人の姿をしている時の獣人を明確に見分ける方法はない。
強いて言うなら、獣人は、人の姿の時は容姿端麗である者が多かった。
そして中にはこの女のように、周囲を圧倒する美貌を持つ者もいたのだ。
「見よ、見事ではないか。さすがは岩人形だ。」
グスタフは誇らしげに、隣に立つ女に語り掛けた。
国王の突然の来訪に、工事現場を取り仕切る役人達は右往左往して慌てふためいていた。だが岩人形達はほんの一瞬作業の手を止めて、微かに会釈しただけだ。国王直々に声を掛けられた女も、無表情に積み上げられた石を見上げていた。
その時、岩人形と女の表情がふと変わり、両者の視線は壁の向こうへ向いた。女の背では建築中の壁の向こう側は見えない筈だが、それでも女の目は岩人形と同じ方向に向いていた。
王都の周辺には大きな街が固まっているが、街と街の間にまで建物がびっしりと詰まっている訳ではない。
建造中の郭壁の反対側には畑や農場が広がっていて、まだまだ人家は疎らだ。
岩人形の視線の先、地平の辺りに、土煙が立っていた。
微かに地響きがしているが、グスタフも人々もまだそれに気が付かない。
だがその地響きは次第に大きくなり、やがて人々も異変に気が付いた。
「なんだ。」
少数の騎馬兵しか伴ってこなかったグスタフが、不安げに周囲に視線を走らせる。
女が初めて口を開いた。
「人狼です。」
その口調には、愛想のかけらもなかった。
それから程なくして、狼をそのまま巨大化したような獣人が、郭壁のすぐ傍にまで辿り着いた。
四つ足で走っていた<人狼>はそこで速度を落とし、後ろ足で立ち上がった。
建築中の壁越しにその姿を見た人々はどよめいた。
巨大な獣人を何体も見られたこの日の見物人は、ついていたに違いない。
四つ足で馬より遥かに速く駆けたかと思えば、後ろ足で直立し、人間と同じ五本指の手を使って、巨大な武器を扱うことも出来る人狼は、戦場では主戦力だ。
半年前にヴァルーダは、西方の国々を相手に開戦している。
その戦には、六体の人狼が駆り出されていた。
西の方からやって来たこの人狼は、その内の一体だった。
半年前にはなかった壁を見廻すと、人狼は壁沿いに歩き出した。壁を廻り込むための場所を探しているらしい。
「陛下、これは。」
「急使のようだ。」
グスタフは、随行して来た騎馬兵と興奮気味に言葉を交わした。
しばらくすると、腰まである長い黒髪の男が一行の許にやって来た。
切れ長の瞳に憂いを湛えた美貌の青年の姿を見て、女達から悲鳴のような騒めき声が上がる。
「よく戻った!!いい知らせだろうな?」
グスタフははしゃぐようにそう言うと、両手を広げて青年を迎えた。
青年は頷いただけに見える程に小さく一礼すると、たった一語だけで応えた。
「我が軍勝利。」
大歓声が巻き起こった。
ヴァルーダ王と人々の熱狂の中、だが獣人達と奴隷達は無表情だった。
今回の戦は、西方のある国が希少な<巨人>の卵を手に入れたと知り、ヴァルーダがそれを寄越せと迫ったことに端を発していた。
今やヴァルーダの意向に逆らえる国などなく、おそらく大人しく言うことをきいておくしかなかった。
だがヴァルーダの度重なる横暴に耐えきれなくなったその国は、周辺諸国と連帯して決起した。
結果を見れば、その選択を多くの人が責めるかもしれない。
原因となったその国の名前は、地図から消えた。
また多くの奴隷がここに供給されるのだろう。
数日振りの投稿です。
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