04. 奴隷の少女
少年と少女の動揺は、誰にも顧みられなかった。
急きたてられて、少女は立ち止まることを許されない。
その歩き方がおかしいと、少年は気付いた。
「もう治りかけだが、ご覧の通り怪我をしてましてね。今なら格安でお売りしますよ。」
少女の襟首を頭領が引っ張り、ナギははっとした。
ヤナの服にはボタンというものがなく、上着は左右の身頃を前で深く重ねて、数ヵ所を紐や帯で留めているだけだ。
だから容易くはだけた。
襟が大きく開いて、少女の肩や胸に包帯が巻かれているのが見えた。
夏場以外は男でも下にもう一枚着ているのが普通だったが、その怪我のためなのか、少女の上着の下は素肌だった。
包帯に血が滲んでいる。
へルネスは無言で左手を伸ばすと、少女の上着を完全に押し開いた。
その瞬間、ナギは歯を喰いしばっていた。
同胞の少女は、泣きそうな顔で怯えていた。
薄紫の上着の前は完全に開けられて、腰の薄黄色の帯と両手の枷が、それが地面に落ちるのを防いでいる。
何があったのか、少女は胴体のほとんどに加えて、右肩も包帯で覆われていた。
その包帯のお蔭で肌を晒さずに済んでいたが、それでも人前で服を剝がれるなんて、どれだけ屈辱的だろう。
自分達はここでは人間として扱われない。
女の子としての配慮も、怪我人としての配慮もされない。
叫びたい程の激しい怒りを感じる。
彼女はちゃんとした場所で、ちゃんと扱われるべきだ。
奥歯を噛み、奴隷の少年は睨むようにその光景を見ていた。
だがナギは甘かった。
最悪のまだ先があったのだ。
どんよりとした茶色の瞳で、顔の肉付きの乏しい領主が、なんの躊躇いもなく命じた。
「包帯の下を見せろ。」
頭領の男も躊躇わなかった。
男は腰から短刀を引き抜くと、少女の包帯を切り裂いた。
反射的に、ナギは目を逸らした。
衝撃が心臓を刺した。
子供かもしれない。
でも女の子だぞ。
奴隷商人の男達も領主の息子達もいる前で、なんてことを。
悔しさでどうにかなりそうだ。
「なんだこれは。」
へルネスの少しだけ不快気な声が聞こえる。
「治りかけだと?これのどこがだ。」
「厳しいね。まあだから格安なんだ。怪我が治るまで少し待てばいいだけで、かなりお得だと思いますがね。」
ヴァルーダ語で交わされる会話の全ては分からなかったが、ただそこから値段の交渉が始まり、最後には少女が三十万ガルダで買われようとしているのは、理解出来た。
ここにこの子も買われるのか。
「名前と年齢は?」
最終確認のように、へルネスが尋ねる声が聞こえる。
「名前と年齢を言え。」
頭領の男が少女にそう命じたようだったが、少女の返事はなかった。
ヴァルーダ語が分かる筈がない。
と。
「ナギ。」
ここまで存在していないかのように無視されてきたナギの名前が、いきなり呼ばれた。
強烈な反発を感じたが、ナギは自分を呼んだヘルネスの方を見やった。
薄ら笑いを浮かべて頭領がこちらを見ており、その前で、胸を両手で隠した少女が泣いている。
「来い。」
「――――――――――――――」
込み上げる感情を飲み込むように、ナギは一度息を飲んだ。
奴隷狩りの男達の中には、簡単なヤナ語を喋れる人間が二人いる筈だった。
頭領がすぐにそう告げなかったために、へルネスは自分が知る、ヤナ語を話す身近な者の名を呼んだのだ。
歯を喰いしばり、少女の肩から下がなるべく視界に入らないようにしながら、ナギは主人の前まで歩いた。
足を繋ぐ鎖が、じゃらじゃらと音を立てる。
領主の二人の息子がにやにやとナギを見ていた。
彼らにとっては、面白い見世物なのだ。
「名前と年齢を訊け。」
「――――――――――――」
へルネスにそう命じられ、怒りを堪えながら、ナギは後ろの少女を見やった。
体を見ないように気を付けたが、それでも彼女の右肩から真下に向けて、筆で描いたような、くっきりとした赤く太い線が刻まれているのが見えた。
内出血だと思ったが、皮膚の表面にもところどころ血が滲んでいる。
ひどい怪我だ。
一体何があったのだろう?
「―――――――――――――名前と年齢を訊いてる。」
喉につかえるものを飲み込み、ナギが小声でそう伝えると、少女が顔を上げた。
涙で濡れた大きな黒い瞳に出会う。少女の目からは涙が零れ続けていたが、彼女は、しゃくり上げたりはしていなかった。
「――――――――――ミル――――――――――。13歳―――――――――。」
静かに泣きながら、ミルはそう答えた。
「――――――――――――――――――」
これを訳さなければならないのか。
殺されてもいい。
彼女のために、今ここにいる奴らを殴りたい。
へルネスは顔を歪めた。
主を見上げた少年奴隷の瞳に、敵意が宿っていた。
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