36. 運命の戸
「どこよ?何も見えないけど。」
女中が苛々として振り返った。
ミルはものを尋ねる表情で首だけ巡らせてナギを見上げたが、自分の体は少年の前から動かさなかった。
思いもしなかった事態に、ナギの心臓は激しく打った。
少年は冷や汗が流れるのを感じながら、女中の言葉をミルに仲介した。
―――――――――――――多分、窓の外には何もない。
「動物のようなものが見えたんです。」
「牛じゃないの?」
「牛がいるんですか?」
と、言うような、おそらくは不毛な会話がナギを介して行われ、結局答えが出ないまま、女中はせかせかと不愉快げに窓の傍を離れた。
女中に道を開けるために、少年と少女は二人して一端廊下へ出た。
動揺を押し隠しながら、ナギはそこでミルと視線を交わした。
何を渡されたのだろう。
小さな、平たい包み。やや硬い。
ちゃんと隠せているとは思う。
だが――――――――――――――――
これがばれたら、多分、ミルもただでは済まない………。
見つめると、大きな黒い瞳の少女は、不安そうな顔をしていた。
ただ、それは発覚を恐れていると言うより、ナギの体を案じている表情だった。
部屋を出て来た女中に急かされ、使用人部屋の小さな扉が並ぶ廊下を、やむを得ずナギは歩き出した。
重い足を引き摺るように数歩歩いて、ナギは最後に一度振り返った。
自分は明日にはいないかもしれないのに、ミルを危険な目に遭わせたくない。
ミルは扉の前で、胸の下で両手を握り合わせて自分を見つめていた。
自分と同じ、足に鎖を付けられた少女の姿は、祈っているかのようだった。
◇
女中に連れられ、ナギは館の正面玄関から外に出た。
外はほんの僅かに、茜色に染まり出していた。
ミルは一体、自分に何を渡したのだろう。
ナギはふらつくように歩きながら、そこに隠した物を女中に気付かれないように、肘で左の脇腹の辺りを抑えた。
「ちょっと、ちゃんと牛小屋に戻れるんでしょうね?」
と、疲労困憊して見える少年奴隷の様子がさすがに気になったようで、女中が声をかけて来た。
どきりとする。
今だけは、心配されても困る。
「大丈夫です」と答えて、少年は出来る限りの速やかさでその場を離れた。
女中も、追いかけてまでナギを案じようとはしなかった。
右を見ると、家畜小屋への木戸が見えた。
戻って来た。
ようやく、辿り着いた。
もう少しだ。
重い足でそこまで歩いて行く。
木戸を開ける。
ぎい、と微かに軋んだ扉の音が、全身の神経を打つように感じた。
ゆっくりと、ナギは運命の戸をくぐった。




