表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第一章 少年と竜
35/239

35. 二人だけのやり取り

 苦しさ、悲しさ、安堵。


 いくつもの気持ちがミルの中で同時に頭をもたげた。

 ナギは朝よりはっきりと憔悴していて、立っているのも辛そうに見えた。


 それでも、ミルが一番大きく感じたのは安堵だった。



 無事でいてくれた、と思った。



 ナギが殺されてしまうのでは、とか考えていた訳ではないのだが、心のどこか深いところで自分はそんな不安を感じていたのだ、と気が付く。



 茶髪の女中が、せかせかと部屋に入って来た。

 30代半ばくらいの女性だった。


 息苦しい程に狭い部屋は、入り口からベッドまでほとんど一歩の距離で、ベッドの上で体を起こすと目の前の、真正面がドアだった。

 わざわざ入って来る程のこともないくらいに思えたが、戸口も小さかったので、女中とナギが二人並ぶには狭かった。


 少年奴隷が自分に続くものと思っていたらしい女中は、入り口を振り返り、急かすような表情かおをした。



 ナギは扉の外にとどまったままだった。



「入っていい?」

とナギに尋ねられた時、ミルははっとした。



 「人間らしさ」をナギは守ろうとしてくれている、と思った。

 自分でも、段々感覚が麻痺しかけていたのに――――――――――


  人間らしさを失わない。


 とても大切なことだと、ミルはこの時心に刻んだ。


「はい……どうぞ。」

 込み上げる感情で喉がつかえたが、声を絞り出すようにして、ミルはナギに応えた。




 ナギは小さく息を吐き、ゆっくりと部屋に入った。


 不安にさせたくない。13歳の女の子の前で、絶対に倒れまい、と思いながら。




 奴隷達が自分の知らない言葉で会話するのを見て、女中は動揺した様子を見せた。

 ただナギは入室の許可を求めたのだろうと想像はついたので、この女中は文句までは言わず、すぐに本題に入った。


「針仕事が出来るか訊いてちょうだい。」

女中にそう言われ、しかしナギは困惑した表情かおをした。


 「ハリシゴト」という言葉を、麦畑でも台所でも、少年は聞いたことがなかったのだ。

 館の人間は、ナギの仕事に無関係な言葉を、教えようとしたことがなかった。

 茶髪の女中は苛立つように、自分の胸の前で何かを縫う仕草をして見せた。


  裁縫―――――――――――――――――――――?


 ナギもミルも、そう思った。


「―――――――――――――多分、裁縫が出来るか訊いてる。」


 ナギにそう言われて、今度はミルが戸惑う表情かおをした。

 裁縫も、ただ繕い物をするのと服を一枚縫い上げるのとでは技能にかなりの開きがあるし、どのくらいの水準を求められているのだろう、と思った。


 数秒考えて、結局ミルは曖昧にうなずいた。

 一応ミルは、一通りのことは出来た。


 ミルがうなずくのを見た茶髪の女中はせかせかとうなずき返し、続けて尋ねた。

「籠が編めるか訊いてちょうだい。編み方はなんでもいいわ。このくらいの籠で、目の細かいのが欲しいのよ。」



 治療に専念させる気はないのだろう。



 二つの質問の意図は明らかで、やるせなくなりながら、ナギは女中の言葉をミルに伝えた。今度は全部訳せた。


 ミルは黙ってうなずいた。

 籠も編めるらしい。


 だが今回は、自分の言葉もナギは滑り込ませた。


「あまり仕事が早いと次々させられるから、気をつけて。でも遅過ぎても罰を受けるから、加減して。」


 少女は小さく目をみはった。



 ナギの言葉だ。



 織り交ぜられた秘密の言葉に、少女は小さくうなずいた。


 少年の言葉は続いた。


「何か困っていることはある?」

「―――――――――――――――ナギは?」



 予想外の問いに、ナギは息を飲んだ。



 「困っているか」と問われれば、ナギは今全てに困っていた。

 今ナギは、明日あすを迎えることが出来るか分からない場所に立っていた。

 その答えはもうすぐ出るが、彼自身に出来ることはほとんどない。

 ミルと話せるのもこれが最後かもしれなかったが、それも話すことは出来ない。




「…………ミルに会えて、嬉しかった。」


 そう伝えるのが精一杯だった。


 どきりとして、少女は少年を見上げた。

 何か、遺言のように感じた。



 二人のやり取りを不審そうに見ている女中が騒ぎ出さない内に、ナギは話を切り上げた。


 「籠は編めない」とは言わないでおこうと思う。

 そう言えば、きっと彼らは別の仕事を持ってくる。その仕事が裁縫や籠編みよりきつくない保証はなかった。

 裁縫と籠編みは、少なくとも座って出来る仕事だった。


 ミルが籠を編めることを伝えると、女中は「そう」と言って、「行くわよ」とナギに退室を促した。

 ベッドの脇のスペースもほとんどないから、入り口に近いナギから順番に出るよりないのだ。



 怒られるかもしれなかったが、最後にナギは、ミルに勝手に話しかけた。


「体を最優先にして、なるべく休んで。」


 女中はぴくりと険のある表情はしたが、咎めてはこなかった。



 彼女の未来を祈りながら、ナギは部屋の外に出た。


  今なら牛が戻って来るのに間に合うだろう。



 じゃらりと、鎖が音を立てる。




 だが歩き出してすぐに、「あの」という声が追い掛けて来て、ナギと女中は振り返った。

 今閉めたばかりの扉を開けて、ミルが体を覗かせていた。


  ミル?


 ミルは少し躊躇ためらいを見せてから、奇妙なことを言い出した。


「…………窓の外を見て欲しいんですが。」


 ナギも女中も困惑した。

 ミルはヤナ語で、女中の方を見て語り掛けていた。

「窓?」

 ナギがミルの言葉を伝えると、女中はいぶかしげな表情かおをした。

「―――――――――外に変なものが見えるんです。」

 ミルが言葉を重ねる。



 ナギを連れて廊下を戻って、再び部屋に入ると、女中は扉と向かい合う壁にある小さな窓を覗き込んだ。ナギも気になって、戸口に立つミルの隣から窓の方を見やった。


 その時、ミルが自分の服の合わせの中から白い布の小さな包みを取り出した。



  えっ?



 何かを突然渡されて、ナギは面食らった。


 ミルが女中の視線を遮るようにしてナギの前に立ったので、少年は、慌ててそれを自分の服の中に隠した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ