26. 翻弄される少年
「おい、そいつ大丈夫なのか?」
「ねえ、打ち所が悪かったんじゃないの?」
ナギの様子は余程おかしかったのだろう。
ナギが怪我をしていたり体調が悪そうだったことは以前にもあったが、ほとんど誰からも気にされたことはない。
なのに今日は次々とそんな声が上がって、ナギを叱責していた監督官も、さすがに動揺して口をつぐんだ。
集中力が保てなくて、ナギは「自分の話」をぼんやりと聞いていたが、何かまずい方向にことが進んでいる気がした。
一人の女性が「休ませてやりなよ。」と言った時、ナギは目を瞠った。
思わぬ事態だった。
「倒れない」だけでは駄目だったのだ。
「あのデブ、力強すぎなんだよ。」
「休ませろよ!」
村人達の声が途切れない。
「館憎し」の連帯感から来る人々の非難の声に、使用人の男は気圧されていた。
「痛みが酷いのか?」
中年の気難しい顔の監督官が遂にそう訊いてきた時、ナギはひやりとした。
「いえ……」
心臓が握り締められたかのように苦しい。
咄嗟に否定したが、否定したところで作業の速さは上がりそうにない。短時間だけ頑張ることは出来るかもしれないが、そんなことをしたら、多分昼までも持たない。
今、どう応えればいいのだろう。
そもそも奴隷が休みたがらずに働きたがるとか、かなり奇妙だ。
少年の頭の中は俄かに大混乱に陥ったが、ほとんど反射的に出た言葉が、
「食事がっ…」
だった。
畑の縁に立つ男に届くように大きな声を出そうとしたのだが、上手く行かなかった。
自分が思っている以上に体は限界にあるらしく、その時のナギの声は喘ぐようだった。
一度口をつぐんで息を整えてから、ナギはその先を続けた。
大きな声を出すのは、諦めた。
「…貰えれば、動けると思います。」
「ねえちょっと、食べさせてないの⁈」
「飯ぐらい食わせろよ!」
ナギの言葉で領主の麦畑は、おそらく私怨がまぶされた、非難の声に満ち満ちた。
土壇場で会心の一手だったかもしれない。
ナギが食事を抜かれたことはこれまでにも何度もあるのだが、今日来ている村人達はそれを知らないようだ。
全員から責められて、監督役の男は弱気を見せた。
「朝食を食べてないのか?」
たじろいだ様子で、男はナギにそう尋ねてきた。
もしかしてこの使用人はヘルネスに、ナギに食事をさせるように進言してくれるかもしれない。
希望のひとかけらを掴み取ろうとするかのように、息を詰めて、ナギは麦畑の中でぐっと頷いた。
「どうせそろそろ昼でしょ?もう休憩にしたら?」
幾つもの声で騒めく畑の中で、誰かが言った。
いつも通りなら昼食の時はナギだけ館に一端戻り、領民達は持参して来た弁当を食べる。
「――――――――――――昼も、貰えないことになっています。」
ナギが申告するとその話にどよめきが起こり、使用人の男は再び激しい批判の声に晒された。
何か食べさせないとまずそうだ―――――――――――――
迷うように、監督役の男は館の方を見やった。
と、館からの道を、畑に向かって歩いて来る人の姿があった。
男と一緒に館の方を見やったナギも、その姿に気が付いた。
期待を抱いたのに、この話は一度中断してしまいそうだ。
ナギは微かに失望した。
歩いて来るのは、白髪頭の高齢の使用人だった。
ナギの見る限り、館の使用人の序列はほぼ年齢の順と一致しているようだった。
だからあの高齢の使用人は、かなり立場が上だ。
麦畑の監督を任されている男も若くはなかったが、あの使用人は更に十は年上だろう。
館の人間については、村人達の方がナギより詳しい。
近付いて来る高齢の男の姿に気付いた者から声が小さくなり、その男が畑の前に立った時には、全員黙ってしまっていた。
監督の男も戸惑い顔で、相手の言葉を待っている。
白髪の男の目的は、ナギだった。
高齢の男は、赤黒いナギの両頬を見て少し眉をしかめたがそれだけで、後はただ冷たい視線を真っ直ぐにナギに注いだ。
「ナギ。」
しわがれた声に名を呼ばれ、ナギは身を強張らせた。
「ハンネス様がお呼びだ。」
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