238. 少年と少女の夜
「物を動かす力で書いてみたらどうかな……。」
「むうっ?!」
外を走ってでも来たかのように額に汗を滲ませている竜人少女を見て、そう提案する。樫の葉に懸命に字を書いていた小さな少女は、悔し気な表情で顔を上げた。ちなみに利き腕が定まっていないようで、ペンを持つ手は右になったり左になったりしている。
綱渡りの「手紙計画」は、土壇場に来てまたしても問題に突き当たっていた。
「試してみたが、水中で物を運ぶのはかなり難しい。」
竜人少女に難しい表情でそう告げられたのは、今日の「帰宅」後だ。
計画当初はブワイエ領から手紙を投函しようと考えて、封書の宛先もナギが書くつもりでいた。その後ゴルチエ領の「配達局」までラスタが直接手紙を届ける計画に切り替えたが、問題は、そこまでどう手紙を運ぶかだった。
手紙は、ラスタと一緒に消えることが出来ない。
空の高い位置で運ぶ案は、ほとんど検討されることなく却下となった。「人間にはなんだか分からないかもしれないが、獣人に見付かる恐れがある」とラスタに言われたからだ。風や雨の心配もある。それどころか、今は竜巻の心配すらあった。
ならば封書を革袋に入れて水中を運べないかと考えて、今日革袋代わりに魚を使って実証実験をして貰ったのだが、竜人少女の答えは「難しい」だった。
「水の抵抗が大きくて速度が落ちる。これだと考えていたよりかなり時間が掛かる。ずっと川の中で、革袋が水を防ぎきれるかも不安だ。」
「――――――――――――――――」
と、なると、現地に着いてからラスタが封筒を用意しなければならない―――――――
そんな訳でランタンの灯の中で少女の猛練習が始まったのだが、ラスタの悪筆は、一種芸術的に凄かった。前衛芸術のような字が生み出されて行くのをしばらく見つめた末に、少年が口にしたのが冒頭の言葉だ。
ラスタは以前、「触れずに物を動かす力」は細かい作業や微妙な力加減をするのが難しいと言っていたが、ナギが見る限り、少女は今ではかなり繊細な作業もその力でこなしている。
ペンを持つことにまだ慣れていない手より、「触れずに動かす力」の方が上手くペンを扱えそうな気がした。
「むう―――――――――分かった。」
納得がいかないのか小さく頬を膨らませたが、少女はペンから手を離した。鶏の羽根のペンが少女が持っていた形のまま宙に静止し、それからゆっくりと動き出す。
「―――――――――――――――――――」
「――――――――――ナギ。」
「うん……」
樫の葉に書かれた文字は、人間の子供数年分の進歩を遂げていた。
やっぱりこの「力」で作業する方が慣れているんだ―――――――
光が見えた。二人で安堵と喜びの笑みを交わし合う。
竜人少女はそれから、数枚の葉に次々と字を書いた。明らかに手で書くより上手い。
「凄い!これなら宛先も書けるよ!」
「うむっ、そうか!手を使う必要はなかったなっ!」
「…………うん。」
間を開けたのがよくなかったらしい。ラスタが頬を上気させ、ペンを握った。
「ラスタ?!手書きじゃなくて大丈夫だよ!」
「今手でも書けた方がいいのに、って思ったろうっ!!」
「――――――――――――――――」
―――――――――負けず嫌いな上に、素直に頑張るところが偉いと思う。
床の上の樫の葉にしがみ付くようにして字の練習を始めた小さな少女に、ややたじろぎながらもそう思った。
これであいつらの居場所を突き止められるだろうか―――――――――
ミルが地下牢へ戻される前に片を付けたかった。今、鍵が見付からないことが堪らなく不安だ。
――――――「急ぐべきでしょうね。あの娘を守りたいのなら」――――――
ミルの新しい服を持っていたのだろう、花嫁の女中の言葉が恐ろしかった。
◇ ◇ ◇
ゲートリーデに包帯を巻かれながら、ハンネスがチラチラとこちらを見ている。
どうして急に―――――――――――――――
唐突に与えられた新しい服に、ミルは居心地の悪さを感じていた。




