237. 彼らの罪
平安に満ちていた国は、一夜にして姿を変えていた。
故郷はもう知らない場所のようで、わたしは言葉を失った。
だが見たことのある光景だった。獣人達が幾度も経験し、<記憶>に降り積もった光景と、そっくりだった。
王城を頂点として、斜面に築かれたパレタイルの王都。
二重の郭壁越しに、その所々で火の手が上がっているのが見えた。壁のこちら側には夥しい数の人馬の死体が放置されていて、死臭が辺りを覆っていた。動いているのはヴァルーダ兵ばかりだ。
パレタイルは滅んだのだ。
「カーラさん……」
呻くように呟いた。
せめてカーラさん夫妻と、長男のガッシュだけでも生きていてほしかった。生きていれば助け出せる可能性が残る。
郭壁を囲む堀の前まで辿り着いた頃、車列が途切れた。
去って行った馬車の窓は全て開いていたが、乗っていたのは男性だけだった。少なくともわたしに見えた範囲では、カーラさんのご主人とガッシュの姿はそこになかった。ただ、知っている顔は幾つもあった。その時のわたしにはだが、見送ることしか出来なかった。
主門の跳ね橋が降ろされていて、その上を姿を消したまま渡った。
二重の郭壁に挟まれた狭い空間には更に多くの連合軍兵士達の死体が放置されていた。
吐き気を覚える程に濃い、血と、鉄と、死んだ生き物の臭い。肉食の鳥達が、死者を容赦なく啄んでいた。連合軍の兵士に生存者はいない。生き残った者は、パレタイル人でなくともあの馬車に乗せれられて行ったのだろう。
「………」
体が揺らいだ。
姿を消していれば人間には見付からずに済むが、何も掴むことが出来ない。足がよろめいたが、何かで体を支えることが出来なかった。気力で自分を支えて、わたしは二つ目の壁を潜った。
「……!」
二つ目の門を潜った先にあった広場。
そこに大勢の女性達がいた。
パレタイルの王都の門の内側には、三つ目の壁に囲われた広場があった。
そこは本来、出撃する兵達の待機場所であると同時に、侵入して来た敵を迎撃するための場所だった。
その広場の東側の半分に女性達が集められていて、西側の半分に馬車が並べられていた。
直前まで続いていた日常が見えるかのように女性達は普段着のまま、荷物一つ持たされていなかった。
茫然としている女性。泣き叫んでいる女性。
顔見知りの母娘もいて、母親と二人の娘達は、抱き合いながら泣いていた。
だが集められた女性達の中に、幼い子供と年寄りの姿はない。
そこにいたのは限られた年齢の女性だけで、その周囲を囲む壁の上と下に、ヴァルーダの兵士達がいた。人の姿をしていたが、その中には数人、獣人も混ざっていた。
「お主は?」
間の世界に<岩人形>が現れて誰何されたが、「知人を捜している」と答えると、少し考えてから<人狼>と同じように、<岩人形>もわたしを見逃してくれた。
せめてカーラさんだけでも。
そう願っていたが、女性達の数に違和感があった。
これだけ……?
その時広場にいた女性は、おそらく百人くらいだったと思う。
子供と年寄りがいないとしても、王都にいる筈の女性の総数に遠く及ばない。
やはり地下広間に、とも考えたが、それでは男性の馬車にあれだけの人数が乗っていたことの説明が付かない。ほとんどが連合軍の兵士だったのかとも思ったが、それにしては知っている顔が多かったと思う。
胸にざわざわとした不安を覚えながらカーラさんの姿を捜し始めて、気が付いた。
女性達のほとんどが、王城から離れた場所に住んでいた人達だった。カーラさんの家の近所に住んでいた女性も何人もいた。
ならカーラさんもこの中にいる可能性が高い。
そう思ったのに、すらりと背が高く目立つ容姿をしていたカーラさんの姿を、見付けることが出来なかった。
いない……
女性達の中を数回捜して歩いてそう思った。
ここにいない女性達は一体どこに。残りの全員が地下広間にいたとは思えなかった。
他の門……?
パレタイルの王都には、五カ所の出入口があった。
いや、違う。王都の中心部にいた筈の女性達がいない。
城が落ちた時に中心部にいた女性達は、多分まだ、郭壁まで連れて来られていないのだ。
ヴァルーダ軍が郭壁を突破した時、市民の大半は城の地下に向かった筈だった。カーラさんが地下広間でない場所で生きているとするのなら、ここより後方にいる可能性が高い。
せめて――――――――せめて無事を確認したい……!
力を振り絞り、わたしは三つ目の壁を潜った。
「……!」
一瞬、そこで立ち尽くした。
略奪が始まっていた。
生まれ育った故郷が蹂躙されていた。
道に転がる死体を踏み付けながら、大勢のヴァルーダ兵達が家々から荷物を運び出して荷車に積み上げていた。
兵士達の死体からは武器や鎧が剝ぎ取られていて、無残な姿だった。手掛かりが失われてしまい、もうどこの国の兵士なのか判断することも難しいだろう。だがそれ以上に、これまでと決定的に違ったことがある。
兵士の死体の中に、市民の遺体が混在していた。
今手を出せば、ヴァルーダの獣人と争うことになる。
分かっていたが、殺したい程ヴァルーダ兵が憎かった。
わたしの存在のせいなのか――――――――――――――――
多分わたしは、受け止めきれなかったのだと思う。
感じることも、考えることもやめた。
わたしはただふらふらと、王都の中心部へと向かった。
パルタイルの王都は郭壁に近い場所と中心部に建物が偏っていて、その間はほぼ畑や牧草地だった。
人家は疎らだったが、その少ない人家にも荷車を引いたヴァルーダ兵が押し入っていて、死体がやはりあちこちに放置されていた。ヴァルーダ兵の上官らしき身なりの人間はいなかった。
自由行動を許された兵士達がいて、彼らの行為は黙認されていたのだ。
「略奪させるな」と獣人に命じてくれれば、仲間達はきっと手を打っただろうに。
獣人達の手は、奴隷の移送に割かれていた。
あれだけの数の大型馬車を伴って行軍して来たヴァルーダの異常性と強大さは、人間の歴史の中でも際立っている。そしてヴァルーダを突出した国たらしめているのは、突出した獣人の数だった。
その時のわたしは、どこかに集められている筈の残りの女性達を見付けるまで歩くつもりだった。だが王都の中心部のずっと手前で、菓子屋の黄色い屋根に再会した。
間に遮る物が少ないせいで、それは離れた場所からでも見えた。
「クレイ………」
掠れた声が出た。
黄色い屋根の家の前に、小さな体が倒れていた。
よくも……よくもこんな幼い子供に………!
クレイが生きている可能性は低いと最初から分かってはいたが、実際にその光景を目にすると頭に血が上った。
だが少し先に、更に別の遺体を見付けた時、はっとした。
「ガッシュ!!」
ガッシュとステイルが、そこで抱き合うようにしてこと切れていた。
カーラさん夫婦の一番上の息子で王子と同い年だったガッシュは、身分の垣根を越えて王子の親友だったと言っていい。ここに来た時は王子は、ガッシュや他の同じ年頃の少年達といつも転げ回って遊んでいた。
このまま成長すればガッシュは、いつか何らかの形で王子の傍に仕えることになるかもしれないと思っていた。
ガッシュはあの馬車に乗せられていた筈の年齢だったのに……!
カーラさん達は城に辿り着けなかったのか……?!
店の前に荷車が横付けにされているのが見えた時、全身ぞわりと総毛立った。
中から物音と、男達の声が聞こえていた。
動かないクレイの横を通り、ゆっくりと、わたしは店の扉を潜った。
「―――――――――――――――――――――――――」
カーラさんがいた。
カウンターの前の、店の隅に。
生きてはいなかった。
そしてただ殺されただけではないことは、一目で分かった。
厨房から男達の声が聞こえた。
男達は果物の加工品や小麦の袋を運び出そうとしていて、その足元にご主人が転がっていた。
歩くのもやっとだった体がその時には動いた。
家の中で立つことは出来なかったがわたしは厨房に巨大な姿を現すと、壁や床に三人の男達を叩き付けた。即死しなかった男がいたが、頭を掴み床に叩き付けて潰した。
従軍を求められなかったわたしが、人間を手に掛けたのはその時が初めてだった。
それからカーラさんの遺体を覆い、子供達を家に運び入れ、一家の全員を寝室に安置した。
その後は、目に付いたヴァルーダ兵を殺して廻った。
ヴァルーダ側の獣人に見付かって、制止されるまで。
だがその獣人はわたしを見逃した。
「清々した」
そう呟いて。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ヴァルーダの王は理解していないのだろう。
石碑の誓いの破棄が、大陸に及ぼす影響を。
第四章終




