234. 獣人達が語った言葉
「は な せ」
しばらくの間叫んで、もがき続けていたと思う。
あの時<蠍蜘蛛>がいなければ、わたしは谷底に落ちていたのかもしれない。
自分がどれだけの時間暴れていたのか分からない。
ふいに、イゼル様も王子も陛下達も、もういないのだと腹に落ちた。
その瞬間、体じゅうの力が抜けて膝から崩れ折れた。
それから長いこと、わたしは呆けたように座り込んでいた。明るくなってきてから自分が谷底にいると気付いたが、どうやってそこまで降りたのかは記憶にない。
夜の間に何度か、わたしの存在に気が付いたヴァルーダ側の獣人がやって来ていた。
何か声を掛けられたのは分かっていたが、わたしが彼らに応えることはなかった。わたしは死んだようにただ座っていて、結局、彼らには<蠍蜘蛛>が応じた。
どの獣人も光る瞳が見えただけだったが、気配を感じ取れる距離なら、獣人同士は互いに種族を見分けられる。
「国王夫妻が亡くなった」
<人狼>にそう告げられた時、<蠍蜘蛛>が微かに息を飲んだのが分かった。
「……そうか」
「今は王子を捜索している。10歳前後の子供だそうだ」
「分かった」
そのやり取りを茫然と聞きながら、多分<蠍蜘蛛>にとっても想定外のことだったのだとぼんやり思った。
陛下と王妃様の最期が見えた直後に、なぜ<蠍蜘蛛>がここにいるのかと思い、怒りを抱いていた。もしかしたら初めから陛下達を脱出させるつもりはなかったのではないかと、その時までわたしは、<蠍蜘蛛>を疑っていたのだ。
だが<蠍蜘蛛>から伝わる空気が急に強張り、おそらくはお二人を救出する筈だった彼の仲間が失敗したのだ、と思った。
<蠍蜘蛛>が予定通りに合流していれば、王妃様と陛下だけでも救い出すことが出来たのだろうか。
あの時、全てのことが悪い方へと進んだ。
今振り返れば、地下広間に落ちた岩が、隠し通路にも影響していたのではないかと思う。<風切鷲>による衝撃だけだったなら、通路は崩落しなかったのかもしれない。
崩落を免れなかったとしても、数分違っていれば。
そして通路が崩落しなければ――――――あるいは崩落したとしてもそれに気付かなければ、きっと<蠍蜘蛛>が戻って来ることもなかったのだ。
<人狼>はやがて去って行った。どの獣人も、<蠍蜘蛛>とそんな短い会話を交わして行っただけだ。
人間は不満に思っていたが、獣人同士は相手が死ぬまで闘ったりしない。どんなに人間が要求しようと、それだけはわたし達は譲らなかった。
こちらが闘う様子を見せない限り、戦の勝敗が決したその段階で、ヴァルーダ側の獣人が攻撃してくることもなかった。
<蠍蜘蛛>は、かなり長い時間わたしの横に立っていたと思う。
竜の卵を諦めきれない主に命じられてのことだったのか、わたしを案じてくれてのことだったのか。
少なくとも彼は、一度も竜のことを口にはしなかった。
立ち去る前に、ふぅーっ、と<蠍蜘蛛>は長い息を吐いた。
そしてただ一言、
「気の毒だった」
と言った。
幾つもの人間の滅びを識る、獣人達が胸に抱く言葉。
憐憫や痛ましさは感じているとしても、まるで季節の移ろいについて語るかのように、その言葉に熱はない。
「姫君達のことだが」
そう言われて、わたしは初めて反応した。顔を上げると、闇の中で光る瑠璃色と目が合った。
「あのままにしておいた方が安らかかもしれぬ……どうする?」
「――――――――――――――――――」
二人が生まれ育った、パレタイル城の土の下――――――――――
潰えていた感情が湧き上がった。
無言で頷くと、瑠璃色の瞳も無言で頷き返した。
その時になって陛下と王妃様のご遺体のことにも思い至り、わたしは慌てて立ち上がった。
「陛下と王妃様はどうなる」
「……すまぬが分からぬ。丁重に扱われるよう、出来るだけ手を廻してはみるが……これから大量の遺体を片付けねばならないからな」
「……!」
「よせ!」
姿を変えて崖を上ろうとして、<蠍蜘蛛>の糸に捕らわれた。引き摺り戻されて、結局いつの間にか人の姿に戻っていた。
「もう戦は終わった!!よせ!!」
行けば獣人同士で、無駄に傷付けあうことになるだけだった。
受け容れ難かった。
だが受け容れられない現実を無理矢理に受け容れて、懸命に自分を抑えた。
するとその代わりのように、ヴァルーダと名前の分からぬ男への激しい憎悪が胸に甦った。
「―――――――出来るだけのことはする。お主はもう、人間の世界から去った方がよい。……達者でな」
そう言い残して、<蠍蜘蛛>は去った。
それから朝までわたしはそこに座っていた。
ずっと血の臭いがしていた。
夜が明けて、世界が黒から濃い灰色に染め変わった。
わたしが最初に視線を向けたのは、隠し通路の出口がある場所だった。
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