233. 国の終わり
無事だった。
そう確信したのではなく、そう信じようとしていた。
その時の記憶は本当に曖昧だ。
闇の中で硬い石や滑る土に何度も足を取られた。躓くような石など以前にはなかったのに、土砂が斜面を雪崩れ落ちたのだと思った。
やがて朱い灯の中に、地面と、掘削の痕を残す土の壁が浮かび上がった。
壁画まで繋がっていた筈の通路が、そこで行き止まりになっていた。
瓦礫が行く手を埋めていて、その手前の場所はがらんとしていた。
誰の姿もなかった。
イゼル様の姿も、王子の姿も。ヴァルーダ兵の姿もなかった。
ランタンが横倒しで、取り残されたかのようにぽつんと転がっていた。
だが。
「イゼル!!」
叫んでいた。
ランタンの近く。地面に近い場所。
埋まることを免れていたイゼルの手。
水色の袖口から、そのひとに結んだ髪が覗いていた。
細い指はぴくりとも動いていなかった。
何か叫びながら、わたしは岩と土砂の塊の中に手を突っ込んでいた。
人の手は無力に近かったと思うが、よく思い出せない。
天井が低くて、姿を変えることが出来なかった。
ただひたすらにイゼルとリルを掘り出そうとしていたことを覚えている。
右の中指の爪が剥がれていることに後になって気付いたが、剥がれた時に痛みがあった記憶もない。
どのくらいそうしていたのか分からない。
もしあの時触れていたら、イゼルの手はまだ温かかったのだろうか。
突然グワッという音がして、世界が暗転した。
自分の体が凄い勢いで引き摺られているのを感じたが、その時には何が起きているのか分からなかった。
視界が失われ、激しい音と共に体に石礫が降り注いだ。
数秒の間、轟音と衝撃の中を引き摺られた。
フヮッ……
唐突に全身に風を受けた。
自分の体がどこを向いているのかも分からなかったが、視線の先に満天の星があった。
外
なぜ
心のどこかで分かっていた。
通路が更に崩れた。
生き埋め寸前で、わたしだけ外に引き摺り出されたのだ。
だがその現実を受け入れることが出来なかった。
「は な せ」
そう叫んで、もがいた。
なぜあのまま放っておいてくれなかったのかと、幾度か思ったことがある。
瑠璃色の巨大な瞳が近くに見えた。
体に糸が絡み付いていた。
「離せ……!!」
イゼルとリルが最期を迎える場所は土の中の、こんな場所じゃない。
二人の脱出が条件の筈だろう。
「掘り起こせ!!」
「すまぬ。もう無理だ!」
人の姿に戻った<蠍蜘蛛>と、そんなことを叫び合った覚えがある。
<蠍蜘蛛>には地中を掘り進む能力があるが、長い距離や硬い土を掘ろうとすればそれ相応に時間が掛かる。どう足掻いても救出しようがなかっただろうが、それも受け止められなかった。
陽の下で笑っていた二人。
失うことが耐えられなかった。
どうして二人が、この国がこんな目に遭わなければならない。
自分だけでも戻ろうとしたが、<蠍蜘蛛>の糸と腕を振り解くことが出来なかった。
「離せ……!!」
「間に合わなかった。すまぬ」
上へ登ろうとして抑え込まれて、<蠍蜘蛛>としばらくの間争った。その時にはもう、自分が何をしているのか自分でも混乱し始めていた。
崖の中腹にあった隠し通路の出口からは、谷底に降りるための道が付いていた。自然の地形に紛れ込むように造られており、一見しただけでは道だと分からないように工夫されていた。自分がその細い足場の上にいることだけは分かっていて、わたしは通路へ戻ろうともがき続けた。
真っ暗だった。
星だけが見えた。
その時、何か空気を伝わるものがあったのか、見ようと意識した訳ではないのにふいに陛下と王妃様のお姿が見えた。
ヴァルーダ兵が部屋の入り口を破っていた。
お二人は視線を交わし合った。
陛下は左手を伸ばし、一度だけ王妃様の頬に触れた。
それから王は剣を抜くと、妻の胸を刺し貫いた。
王が腕を引くと、血を流しながら妻は崩れ落ちた。
彼女を貫いた剣と妻の体を床に横たえて、王はその横に膝を付いた。
そしてパレタイル最後の王は、自らは短刀で首を切った。
大切なひと達に手が届かない場所で、わたしは絶叫した。
すみません、一週休んでしまいました……(;;)




