230. 唄うたいと竜の卵
「『ヴァルーダ国内にある筈の、卵の場所を知りたい』」
返事はヴァルーダ語で、直接頭の中に届いた。
相手のおおよその居場所さえ分かるのなら、別の大陸の獣人とさえ会話が出来る<伝令鳥>だったが、極秘で会話をするのは簡単ではなかった。
<伝令鳥>の力は例えて言うなら、部屋の扉を開けて大声で中に向かって呼び掛けるのと似ている。部屋に目的の相手しかいなかったのならそれで済むが、他にも獣人がいた時は、<伝令鳥>の「声」はその全員に伝わってしまう。
ただ目的の相手が返事さえすれば、その後は<伝令鳥>は、声を伝える相手を絞ることが出来るので、大抵はそれで解決する話だった。
だが時に、やり取りの一切を秘匿したいと求める人間もいる。
その方法がない訳ではなかった。
相手の居場所が正確に掴める時は、<伝令鳥>も最初から「声」を伝える範囲を絞ることが出来るのだ。
正体が分からないままになってしまった男は、<蠍蜘蛛>にわたしの居場所を特定する役目も担わせていた。一度「思念」を繋げておけば、<伝令鳥>は、相手が移動してもその後を追える。
そして<蠍蜘蛛>と繋がっていた伝令鳥の思念は、その場でわたしに受け渡された。
自分の言葉を一切交えず、素性を明かさぬ人間の言葉を、<伝令鳥>はただ淡々とわたしに仲介した。
「『存在に、気付いているのだろう―――――――――竜の卵だ』」
「――――――――――――――――――――――――――――!」
応えることが出来なかった。
思念の世界に、<伝令鳥>とわたしの緊張が満ちた。
顔も名前も分からない人間が接触を求めてきた理由に、全く思い当たらなかった訳ではなかった。
だが、 それは。
血の臭いと色に覆われた闇の中。<蠍蜘蛛>は瑠璃色に光る瞳でわたしを見つめていた。人間の兵は三人が彼を囲むように立っていて、二人は扉の近くで外を警戒していた。思念で交わされる会話は、わたし以外の者には聞こえていなかった。だがその時は、思念の中でも沈黙が続いていた。
「リュート!」
イゼル様の声。
リル様は剣を構えたままだったが、交渉を求められていることはお二人に伝えていた。
イゼル様が早まってしまわれないように、そして惨たらしい光景がお二人の目に入らぬように、わたしは話し合いが始まる前にお二人の傍に移動していて、姫の声はすぐ背後で聞こえた。
「――――――――――――――――」
僅かに震えていた懇願するようなそのひとの声に、わたしは振り返らなかった。
もう「逃げて」という言葉を聞きたくなくて。
なぜわたしがあなたを置いて行くと思うのだろう。
あなたとリルの命より大切なものなど、わたしにはなかったのに。
大陸には多くの国と言葉があったが、なぜか「唄うたい」という言葉の意味は共通していた。
わたしの種族にその名が与えられているのは、わたし達が世界中の獣人の卵の場所を知ることが出来るからだ。
「唄」は「子守唄」を指し、「唄うたい」は「子守り」を意味していた。
この世界では役に立たない力だった。
こちらの世界にあるのは合いの子の卵だけだが、合いの子の卵に所有者がいないことは、ほぼなかった。卵の場所が分かっても、手に入ることはないのだ。
だが例外はある。確かにわたしは、例外に気付いていなかった訳ではなかった…………
「―――――――――――――――――」
<伝令鳥>の向こうにいる人間の姿は見えない。ただ思念越しに、年輩の男であることだけは感じられた。
やはりヴァルーダ王ではなかったのだろう。ヴァルーダ王であるのなら、わたしとの接触を隠蔽する必要はなかった筈だ。
王でないその男に、ご一家を助命する権限や術があるのか、確信は持てなかった。
―――――――――それでも。迷う時間も選択肢も、残されてはいなかった。
地上には既に大勢の獣人の気配があった。直に赤すぐりの宮も落ちるだろう。お二人がヴァルーダ軍に見付かれば、それで終わりだ。
―――――――――――少年の傍にある卵を見つめた。
<唄うたい>は、卵がある場所が分かるだけではない。その周囲の景色も見える。
竜の卵はもう火の民の少年の手に渡っていて、孵る寸前だった。
温もりが竜を包んでいた。
―――――――――――長い沈黙の後、わたしは答えた。
「―――――――――――――――竜の卵は、異国人の子供の手に渡りました」
<伝令鳥>が、微かに息を呑んだ。
◇
ご一家の命を救うことを条件に、正体の分からない男と取引を交わした。
脱出方法を委ねられていたのは、<蠍蜘蛛>だった。
「彼らに付いて行って下さい」
「リュート!!」
「必ず迎えに参ります」
イゼル様と王子にそう約束した。
その後のわたしの記憶は途切れ途切れだ。
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