23. 絶対に倒れられない
ジェイコブが突然怒りだした理由を、ナギは話さなかった。
でもナギは、床に落ちてしまった物を拾い集めてでも食べようとしていた。
どんな理由があったとしても、ジェイコブのこの行為は正当化出来ないとミルは思った。
13歳の少女は、震えていた。
竈の前で女中が振り返っていて、彼女が笑っているのを見た時、ぞっとした。
奴隷狩りの男達もこの館の人達も、
同じ人間に、どうしてこんなに残酷になれるのだろう。
世界にこんなに暗い場所があることを、故郷にいた時、ミルは知らなかった。
その時ナギが、勝手口の隣の扉から、縁に雑巾を掛けた木製のバケツと、モップを持って出て来た。
ジェイコブの姿を見て、ナギはそこで立ち止まった。
少年は調理台の上を見やり、それからその下に散らばった食べ物だった物の残骸に気が付いて、凍り付いた。
数秒の間の後、ゆっくりに見えるくらいの動きで、ナギは顔を上げた。
その視線の先で、ジェイコブと女中が笑っていた。
「さっさと片付けろ!朝飯と昼飯はないからな!」
小太りの男はそう怒鳴ったが、その唇の端にはまだ笑みが浮かんでいた。
自分の罪をナギに被せた男が、ナギに嬉しそうに罰を告げる姿は醜悪だった。
ナギは無反応だった。
少年は、体の限界を感じていた。
昨日も一食しか食べられておらず、彼は夜明け前からずっと空腹だった。
今は倒れそうなくらいにお腹が空いている。
表情も体も、もう無駄に動かす余力がなかった。
ジェイコブに軽蔑は感じるが、もはや怒りすら湧かない。
ミルにショックを与えたくないのに、と思う。
ミルが今にも泣き出しそうな顔をしているのが、辛かった。
以前と同じ罰を、ナギは予想していなかった訳ではなかった。
だが少しだけ期待してしまったのだ。
もう食べられない筈の、既に床に落ちてしまった物までは、改めて取り上げられたりしないのではないか。
昨日も朝食と昼食を抜かれているから、今日の昼食まではさすがに取り上げられないのではないか、と。
男子の15歳は、普通は食べても食べても足りないくらいの時期だ。
へルネスは昨日も自分の食事を抜いたことを忘れているのではないか。
それだけ確認しておこうかと、口を開きかけてナギはやめた。
ジェイコブに何かを言って、殴られることはあっても、状況がよくなることは決してない。
なんとかミルを安心させようと、彼女に一度目配せしてから、少年は黙って水場まで歩き、バケツに水を汲んだ。
今度は止められなかったので、ついでに水を溜めた手で自分の両頬をはたいて、彼は患部を冷やした――――――――――多分、そうしないよりはましだろう。
「さっさとしろ!」
ジェイコブがそう吐き捨てる。
ナギが何か一言でも言えば腹を立てるくせに、黙って掃除を始めた少年奴隷の落ち着き払った態度に、太った料理人は理不尽にも苛立った。
「座ってて。」
手伝おうとするミルを、ナギは押し留めた。
床に落ちている物を拾うだけならまだしも、ミルの今の体で拭き掃除はさせるべきではなかった。
ミル自身、その作業が今の自分の体には重すぎるとは分かっていて、泣きそうな表情をしたまま椅子に戻ったが、それからずっと、彼女はナギから目が離せなかった。
モップと雑巾でナギが掃除を始め、ジェイコブが不機嫌そうに料理に戻る。
倒れれば、きっとこの罰は終わる。
眩暈を感じながら、ナギは思った。
まだ匂いだけはいい食べ物の残骸を片付けるのは、きつかった。
だが倒れれば、自分は多分牛小屋に運ばれる。
二年前に倒れた時は、そうだった。
牛小屋で食事などしたくなかったが、その時は食事も牛小屋に運ばれたのだ。
今牛小屋と納屋に近付く人間を増やしてはいけない。
今日、こんなことになろうとは。
―――――――――――――――――絶対に倒れられない。
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今日もぎりぎり更新です………。




