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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第四章 ある獣人とあるひと
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229. 獣人達と血に染まる暗闇

ドサリと重い音を立て体と頭が石の床に落ち、その上に、彼ら自身の血が降り注いだ。血溜まりは見る間に広がって池となり、祈りの間から溢れそうだった。


全身に血を浴びながら、身動きもせず、わたしはその場に留まった。


血に染まる暗闇。


正視に堪えないそのおぞましい光景をお二人に見せたくなかった。



もう何度も「記憶」に刻まれてきたことだ、こんなことは。



イゼル様と王子が叫んだりされることはなかった。声が出なかったのではないかと思う。振り返ってお二人を確認したかったが、目の前の獣人からわたしは目を逸らすことが出来なかった。


乏しいが照らす、黒々とした血溜まりの中に<蠍蜘蛛さそりぐも>がいた。


蜘蛛に近い見た目をしているが、蠍のようなはさみと尾も持っている。

明るい場所であれば光を反射する筈のその瑠璃色の体は、血に覆われていた。


一瞬味方なのかと思い掛けたが、すぐに違うと思った。


殺されたヴァルーダ兵は四人だけだった。

<蠍蜘蛛>の周りには、まだ五人のヴァルーダ兵が残っていた。濃い色の服の上に、兜と鎖帷子。残った五人は、服装が同じだった。仲間がむごい殺され方をしたというのに、騒ぐ者は一人もなかった。


想像もしなかったことが起きていたが、彼らはおそらく味方ではない。何か内紛のような、彼らの側の事情があるのだ。


むせ返るような血の臭いの中で、わたしは意識の半分を背後に向けていた。


イゼル様と王子の息遣いは後ろに聞こえていた。

だがイゼル様がわたしと同じ結論に辿り着いて今にも「決断」してしまうのではないかと、気が気ではなかった。


味方ではないとしても、お二人の命を救う道が与えられる可能性はあった。この異常な事態の理由を知るべきだった。


と。


小さな音と共に<蠍蜘蛛>が消え、その体に乗っていた血がばしゃばしゃとまとめて落ちた。

一拍置いて現れた時には、<蠍蜘蛛>は人の姿だった。<蠍蜘蛛>は膝近くまである暗い色の髪と、瑠璃色の瞳を持つ男だった。


少なくとも、すぐに攻撃して来る気はないのだとそれで分かった。


獣人わたしたちは、人の姿の時には十分に力を発揮出来ない。


特に、巨大なはさみや尾から発する糸を武器としている<蠍蜘蛛>のような獣人は、人の姿では持っている力の大半を使えない。



「我があるじが、お主と話をすることを望んでいる」

「――――――――――――――――――――」



わたしと……?!わたしが彼らの目的なのか……?!


息を呑んだ。



<蠍蜘蛛>の言葉は、ヴァルーダ語でもパレタイル語でもなかった。

既に失われた国の、古い言葉。その場に彼の言葉を理解出来る人間はいなかっただろう。


仲間にすら目的を隠すよう命じられているのだと思った。


「彼のあるじ」は、おそらくヴァルーダ王ではない。


そもそも<蠍蜘蛛>が戦場にいることからして珍しく、不自然だった。

人間の体くらいなら両断出来るはさみを持つ<蠍蜘蛛>だが、獣人同士が争う場では、強いとは言えない。



すぐには攻撃されないと確信したわたしは、彼に応える前に後ろを振り返った。



イゼル様とリル様は抱き合うように体を寄せ合っていた。

リル様をご自分の後ろに下げようとしたのだろう。イゼル様は王子の肩を掴んでいた。王子はだが、左腕で姉が自分の前に出るのを防ぎながら、右手に剣を構えて半身に立っていた。


姉弟はどちらも震えながら、互いを守ろうとしていた。


ただお二人が激しくショックを受けていたのは明らかで、何もして差し上げられないことが、苦しかった。


わずかにほっとしたのは、お二人がほとんど血を浴びずに済んでいたことだ。


だが美しく穏やかだった壁画が汚れていて、それが胸に重しを乗せられたかのようにこたえた。



目の前の光景をこのお二人に見せたくないと、改めて思う。


わたしの白い体に付いた血は目立った。


血まみれの体をお二人に近付けたくなかったが、わたしは後ろ手にした左手で、お二人を押すような仕草をして見せた。気付いたリル様がはっとうなずかれ、背中で姉を押しながら後退してくれた。



巨大な体でも、お二人の視界を完全に覆えていた訳ではないだろう。それでも人の姿よりは防壁として役に立っていた筈だ。


躊躇はあったが、やむを得なかった。


夫婦神の壁画に体が付くまでお二人が下がったのを見届けると、わたしは一度姿を消した。白い体を染めていた血が落ちて階段を濡らす。そしてわたしは人の姿でもう一度現れた。


そうしなければ、獣人わたしたちはこの世界では言葉を交わせなかった。


血の池の上と下で、わたしと<蠍蜘蛛>は向き合った。

彼の周りを囲む五人の兵士は身構えてはいたが、終始無言で立っているだけだった。



「…………通路を塞いだのは、あなたですか?」


彼が使った言葉でわたしは尋ねた。


「………すまぬな」


<蠍蜘蛛>の糸が使われたのだろう。<蠍蜘蛛>の糸は強靭で、大量に張られると<人狼>ですら簡単には切断出来ない。


彼は少しだけ心苦しそうだった。人間の要望に応えているだけで、獣人同士には争う理由などなかった。


「何が望みですか」


知らない言葉で交わされる会話を、イゼル様はどんな気持ちで聴かれていただろう。それがヴァルーダ語でないことぐらいは、イゼル様はお分かりになっただろうと思う。


「パレタイルの王族の命と引き換えに―――――我があるじはお主の力を欲している――――――<唄うたい>」







「――――――――何をお望みですか」



<蠍蜘蛛>と<伝令鳥>を介して、わたしはその男と言葉を交わした。



読んで下さっている方、今日たまたま読んで下さった方、本当にありがとうございます。

ようやく、ようやくここまで辿り着きました…… f^^;)

本話は「134話 迫る時」の終盤部とリンクしています。

時系列がかなり分かりにくくなってしまいましたが、「134話 迫る時」の終盤部は、「44話 ヴァルーダの都」より前の出来事です。

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