228. 地下の惨劇
近付いて来る。
わたしに向かって来ている。
だが。
ばんっ!
閉ざされた扉を押すと、扉はほんの僅かに開いただけで、何かに突き当たって大きな音を立てた。一瞬前にはなかった何かが、向こう側を塞いでいた。
おそらく獣人の仕業だった。
隠し通路に気付かれたのだ。―――――――それでも。
「ここしか……!」
イゼル様と王子を逃がせる道は地上にはなかった。
近付いて来る獣人の気配は一つで、対峙することになったとしても一対一だ。
わたしが肩に全体重を預けるようにして扉を押すと、イゼル様がはっと明かりを床に置かれて一緒に木の戸を押された。
右肩に体重を掛けるわたしのすぐ目の前で、イゼル様は左肩で扉を押されていた。
壁画の中で向かい合っていた森の男神と実りの女神の構図と同じだと気が付いた時、何か堪らなく悲しくなった。
「姉様、リュート!」
三人が並べる程の幅が扉になかったため、王子は隙間に手を付かれた。全員で押し始めると木はめりめりと音を立てたが、扉は全く動かなかった。
「――――――――」
やむを得なかった。
姿を変えた。
お二人が脱出出来る道はここしかない。
通路を隠すことが出来なくなるが、扉を壊してでもここを突破しようと思った。
礼拝所の天井は高かったが、巨大な姿のわたしが立てる程ではなく、わたしは膝を折り、腰を曲げて隠し扉に片手を当てた。
手に力を込めると木の板はめきめきと鳴ったが、砕けなかった。
「……!」
おそらく扉とほぼ同じ大きさの物が向こうにあって、扉を全面で支えている。
わたしは手を振り上げて、扉を叩いた。
ばきっという音と共に浮彫りが砕けたが、扉は猶も形を保ったままだった。
「リュート?!背中……!」
王子が驚きの声を上げられた時。
ドオオォォォ………………ン…………!
重い地響きがして床が揺れた。
城壁ではなく城が崩されたのだ。
ヴァルーダ兵にここが見つかるのも時間の問題だろう。
「お願い!リルだけでも」
今にも涙が溢れそうな目で懸命に扉を押すイゼル様を、わたしは切なく見つめた。
獣人が持つ幾つもの滅びの「記憶」に、精神が呑まれそうだった。
来た―――――――――――――――――――――
獣人が来る。
ずっと気配をさせていた獣人は、隠し通路からは現れなかった。
どういう理由であるのかは分からなかったが、相手は地上から来るようだった。
上階から音が聞こえた。
イゼル様と王子の表情がさっと変わった。
イゼル様がもう一度リル様をご自分の胸に庇おうとされた。
だが今度はリル様は剣を抜き、姉を後ろに押しやった。
弟の姿に姉が目を瞠る。
リル様は微かに震えていた。それでも王子の気迫は、イゼル様を前に出させなかった。
王子のその姿を見届けてから、わたしはリル様より更に前に出た。
「リュート!!やめて………!もう………!」
イゼル様が声を上げられたが、わたしは耳を貸さなかった。
――――――――――――行きません。お二人を置いて、どこにも。
金属の重い音が重層的に聞こえた。複数いる。階段を降りて来る。人間の兵士もいるのだと、その時に分かった。獣人の気配はずっと一つだけで、それは変わらなかった。
違和感はあった。
陽が落ちて視界は失われつつあったし、パレタイル城はかなり複雑な構造だった。なのに彼らの襲来は、あまりに早かった。突破した城壁から、真っ直ぐにそこに来たかのように。
壁画と向かい合う両開きの扉が開いたのは、それからすぐだった。
わたし達は壁画の前の壇上に立ったまま、礼拝所に雪崩れ込んで来たヴァルーダ兵を迎えた。
鎖帷子や鉄の胸当てだけの兵ばかりだった。全身を覆う鎧を着けている者はおらず、その姿でそれ程階級の高くない兵達だと分かった。
獣人は、人の姿で一番先頭にいた。皮膚から鎧を作るのは困難なため、一番軽装だ。
「王族か?!」
兵の一人が叫ぶ。
その瞬間。
目の前の獣人が姿を変え、腕を払った。
兵士の首が幾つも飛び、激しい音と共に大量の血が噴き出した。
むっとするような臭いと、土砂降りのような響き。
わたしは降り注ぐ血から、背後のお二人を守った。




