227. 落城と獣人
姉の視線の先を追って王子もそれを見付けられた。
扉は実りの女神に傍近い、赤すぐりの茂みの中に隠されていた。
隠し扉の縁は直線ではなく赤すぐりの枝や葉に沿って切られていて、閉めるとそこに扉があると知っていてさえ見付け難い程に、精緻な造りだった。鍵穴も下向きに咲いている花の中に隠されていて、しかも床に頭を付けて見上げなければ分からないような位置にあった。
実際初めてそこに侵入した時、工事記録を読んでいたのにも拘らず、扉と鍵穴を見付けるまでにわたしは手間取った。
その時扉が薄っすらと開いていたのは、わたしが事前に開錠しておいたからだった。礼拝所まで自分が同行出来なかった場合を考えて、扉の場所が分かるようにしておいたのだ。
この戸を開けていいのかと、イゼル様と王子が確認するようにわたしを見上げられた。真っ直ぐにお二人と瞳が合った時、胸が締め付けられた。
「……二十分程歩きますが、出口まで一本道です」
どこかでそうしなければならないことは、お二人とも分かってはおられたとは思う。
それでもその話を始めるのは簡単ではなかった。
言葉を紡ぐのが難しくて、喉から石を押し出すかのような苦しさがあった。
「―――――わたしがいると他の獣人に気付かれてしまいます。この先はお二人で行かれて下さい」
ようやくの思いでそう告げると、緊張がその場に満ちた。
「数日凌げるだけの食料と道具を出口の近くに置いてあります。服も用意してありますので、その服は着替えて下さい。身分が分かるような物はお持ちにならないように。手洗いだけ不自由されると思いますが、わたしが迎えに参るまで、外に出ずにお待ちください」
本当は一秒たりとも離れたくなかった。
だがわたしがいては、地下にいても他の獣人に見付かってしまう。そして見付かれば、獣人を帯同しているお二人は王族か高位の貴族であると告げているのも同然だった。
イゼル様とリル様は、何も言わずにわたしの話を聴かれていた。
「通路の出口は、城の裏の崖の中腹です。ヴァルーダの獣人や兵が来ることもほとんどないと思います。外に出られても大丈夫だと思える時に迎えに参ります」
そこまで話した時に、地面から微かな振動を感じた。
おそらく城壁が崩れ出している。
すぐにヴァルーダの獣人達が壁を越えて来る。
わたし達は無言で互いを見つめ合った。
これが最後になるのではないかと思うと、魂が引き千切られるようだった。
最初に動かれたのはリル様だった。
「リュート」
そうわたしの名を呼んで、王子はわたしを抱き締められた。
右手に灯りを持ったまま、わたしは左手で王子を抱き締め返した。
不意にリル様と過ごした月日が脳裏に甦った。
たった11年の記憶だ。その先にまだ何十年もの人生がある筈だった。
失いたくなかった。
言葉が出なかった。
ただ無言で抱き合って、無言のままわたし達は離れた。
そしてイゼル様と瞳が合った。
灯りを床に置いた。
動くことも息をすることも忘れたかのようなそのひとに手を伸ばした。
懐かしい香りがする柔らかな体を自分からきつく抱き締めた。
決して失うまいと。
お互いの体温を確かめ合うように、イゼル様の手はわたしの服を掴んでいた。
日頃は同じ年頃の少女達と何も変わるところがないのに、時にはっとする程の強さや気高さを見せるイゼル様は、陛下との約束を守る覚悟をお持ちなのだと分かっていた。そんな残酷なことも、決してさせたくなかった。
不安と恐怖で胸が苦しかった。
離したくない。
魂の底からの叫びに逆らって、わたしはそのひとから手を離した。
実りの女神の横の扉を押すと、蝶番が微かに軋む音がした。かざした灯の中に、土が剝き出しの隠し通路がオレンジ色に浮かび上がった。奥は暗くて見えない。
両親も親しい人達も国も、全てを失い、切り捨てた末に、穴倉のような暗がりに閉じ込められるのは、きっと精神的にきつい。姉弟が一緒にいられることが、せめてもの救いだと思った。
「灯りを」
わたしが言い終わらない内に、お二人は素早く屈まれて、扉の内側に用意していた燭台とランタンを手に取られた。
そしてわたしが持つランタンからリル様が手にされた燭台に火を移し、ろうそく一本だけのその燭台から、イゼル様が持たれたランタンに火を移した。
どうか二人を―――――――
人間の神話を信じている訳ではなかったが、壁画の夫婦神にわたしは祈った。
必ず迎えに。
そう思った時に、獣人の気配を感じた。
バンッ!
「えっ?!」
「!!」
突然扉が閉まり、リル様が驚きの声を上げ、イゼル様が庇うように弟を抱き締められた。
「――――――――――――――!」
なぜこんなに早く。
獣人が来る――――――――――――――わたしに気付いていた。
来週はおそらくお休みしますm(_ _)m
皆さまどうかよいお年を。
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