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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第四章 ある獣人とあるひと
224/239

224. 捧げた想い


城壁の兵士達の絶望が空気を伝わって来た。

落城が近いと、ひしひしと感じた。



どうお応えになるか――――――――――半ば祈るような気持で姫に告げた。



「………郭壁かくへきの外まで繋がる隠し通路があります」



胸の中で、姫がはっと息を呑まれた気配があった。腕の力を緩め、わたしはとび色の瞳と見つめ合った。



「………リルを―――――――――リルを逃がして……!」



ご自分のことは覚悟されてしまっていたのだろう。かすれる声で必死に紡がれたその言葉は、わたしの胸をえぐった。



「―――――――――――――――あなたも一緒です」



それだけは、譲れなかった。




せめてイゼル様とリル様を。叶うならご一家の全員を。

その時のわたしはまだ、陛下と王妃様のことも諦めきれていなかった。


最初に掴むことが出来たのは、王妃様の居場所だった。



合いの子の獣人達の卵がある場所――――――――国王ご夫妻の部屋。


そこはヴァルーダ軍の、最終目標地点だった。



ほぼどの国でも、獣人の卵は国王の私室周辺で保管されている。

合いの子が生まれた瞬間に国王がいなければいけない訳ではないのだが、卵や生まれた直後の獣人が奪われることを、どの国もそれだけ警戒しているのだ。


国王が部屋を空けている間は王の家族や、信頼の厚い側近が部屋に詰めていることが多い。


そこに王妃様は留まられていた。


そこがご自分の最期の場所だと、王妃様も心を決めてしまわれていたのだろう。



行政の主要な機能とご一家の私室が同居する建物は、「赤すぐりのみや」と呼ばれていた。


国の中枢であるその場所は、地下広間があった場所より奥まった位置にあり、わたしとイゼル様は城壁から遠ざかる方向へと向かった。


途中、井戸がある場所で一度足を止めた。


イゼル様はわたしの背中をずっと気にされていて、傷口を洗うためだった。


包帯や薬のたぐいの多くは負傷兵が運ばれていた地下広間に移してしまっていたので、手に入る治療道具は近くにはなかった。


その時には背中にかなりの痛みを感じるようになっていたが、どうすることも出来ない。


「姿を変えれば包帯は取れてしまいますから」


そう言って、わたしは剣でご自分の服を裂こうとされたイゼル様を止めた。


わたしの背中を洗って下さったイゼル様はその時、王子の短剣を提げられていた。

郭壁かくへきが突破された」という報せを聴いた時に、王子が姫に渡した物だった。

11歳の王子の体格に合わせて造られた小振りの剣は、女性のイゼル様にも扱い易い重さと大きさだった。


あの時先に自分で背中を確認しなかったことを悔やんでいる。


傷の酷さが分かっていれば、わざわざ姫に見せはしなかっただろうに。


泣きそうな表情かおをされたイゼル様から傷を隠そうと、わたしは「服」で傷を覆った。


「服」を作る力は獣人の種族によっても個人によっても差があって、不得手な獣人は人間の服をまとうことも多かったが、わたしは、「服」を作る能力には長けていた。


「大した怪我ではありません。すぐに治ります」


人間より獣人の体の方が強くて治癒も早いのは本当なので、ある程度の説得力はあった筈だが、告げた言葉を信じて貰えたのかは分からない。


こめかみに浮かんだ汗に気付かれないかとひやひやしながら微笑わらって、わたしは立ち上がった。



わたし達をはぐくんだ、懐かしい山中の城。幾つもの思い出がある場所を、イゼル様とわたしは走った。


赤すぐりの宮に辿り着くと、文官達すら武装していた。きっと彼らも、気持ちを決めていたのだろう。


陛下の部屋近くでは、陛下の側近だった方々を数人見掛けた。



陛下がいらっしゃる。



扉を開ける前に、そう気付いた。


城壁にいらしたはずの陛下が、部屋に戻られていた。





「イゼル!!リュート!!」

「お母様!!」


死が迫る状況にあってもなお、わたし達は再会を喜び合った。


扉を開けてすぐの部屋は大きなソファなどが置かれた居間で、ご家族や側近が集える空間となっていた。


王子だけいらっしゃらなかったが、陛下と王妃様のお姿はそこにあった。


陛下は鎧姿だったが、かぶとは外されていた。

イゼル様と王子の濃い髪色と瞳の色は陛下譲りだ。


家族の絆を思わせるそのお姿を、苦しい思いでわたしはみつめた。


「リュート……まだいてくれたのか」


呟くように、陛下はそうおっしゃった。


「お話したいことがあって参りました」


陛下に脱出のお気持ちがないことは分かっていた。切り出したわたしの声は、強張っていた。

部屋にはわたし達しかおらず、タイミングとしては、だが最善だった。



「陛下…………郭壁かくへきの外まで繋がる隠し通路があります」



そう申し上げると、陛下と王妃様が息を呑まれた。



古書の整理をしていた時に、わたしは城の古い時代の改築記録を見付けていた。パレタイルは歴史の古い国で、城壁内では増築と改築が繰り返されていた。


そして古い工事書類の中に、隠し通路が造られた記録があったのだ。


郭壁かくへきの外へ逃れたとしても、それで安全が保証される訳ではない。パレタイルがその時にどんな状況に陥っているか、戦が進んでみなければ分からないことだった。陛下に脱出されるおつもりがないことも分かっていた。


それでもそれでご一家をたすけられる可能性がある。


そう思い、わたしは密かに準備を整えていた。


わたしが告げる隠し通路の話を、王妃様と陛下は硬い表情で聴かれた。


やはりどこかの時代のパレタイルの生真面目な王が、隠し通路の存在を封印してしまっていたのかもしれない。

陛下は通路の存在を黙殺していたのではなく、ご存知ではなかったようだった。


要点だけをわたしは短く語った。

だが話を聴き終えると、陛下は小さく首を横に振られた。


「わたしは今この国で、最も死に値する人間だ」


陛下の横に立たれていた王妃様も無言だった。



「リュート。これまでよく仕えてくれた。わたし達はもう十分に恩を返して貰った。そなた達の世界に帰り、どうか無事でいてほしい」


穏やかにそう言われた陛下の横で、王妃様が微笑まれた。


「リュート。今日までありがとう。元気でいてね」


「王妃様……陛下……!」


説得の言葉を思い付くことが出来なかった。


その時。



「お父様!」



床に両膝を付き、イゼル様が頭を下げられた。



「お父様。お願いです。どうかリルを。リルだけでも――――――――」



ご夫妻の表情が動いた。



「どうか!!」



涙声で言われたイゼル様に並んで、わたしも膝を付いた。



「陛下‼王妃様‼」



どうか。まだ11歳の王子を。そしてイゼル様を。



その時にはわたしはもう、たとえ陛下に拒まれてもイゼル様と王子を連れて行くつもりだった。



王妃様は硬い表情でわたし達を見つめられていた。だが陛下は、無言で背を向けられた。


聞き届けて頂けない。そう思った。


が。



「お父様!お母様!」



絞り出すようなイゼル様の声に、陛下はゆっくりと振り返られた。



「………………………………イゼル」



鎧ががしゃんと音を立てた。姫の前で、陛下が膝を付かれていた。


イゼル様が父上を見上げられ、数秒、その場に沈黙が落ちた。


陛下は少しだけ厳しい表情をされていた。



「敵に捕らえられれば、死ぬより辛い思いをするかもしれない」



「…………」

陛下のおっしゃられることは、わたしにも分かった。それでも少しでも生き延びられる可能性があるのなら、わたしはそこに賭けたかった。


陛下はやはり許しては下さらないのか。


絶望的な感覚に捉われ掛けた時。陛下が言葉を接がれた。



「ヴァルーダの手に落ちそうになった時は、その身とリルの身の始末をその手で付けられるか」


「はい……!」



声を呑んだわたしの横で、食い入るようなで父を見つめ、イゼル様がそう応えられていた。



「リルは城壁の東塔にいる」

陛下のお言葉で、リル様がおられる場所が分かった。



それからイゼル様は、陛下と王妃様と順番に抱き合われた。


そして後ろ向きに歩いて、姫は背中から部屋を出られた。


お二人の姿を、瞳に焼き付けようとするかのように。




―――――――――――――――――――陛下と王妃様をお連れすることが出来なかった―――――――――――――――――――



扉の外に出た時、望みの半分を切り捨てたことに、わたしは打ちのめされていた。



「――――――リュート」



立ち尽くしていると、イゼル様に名を呼ばれた。涙で潤んだ瞳が、わたしを見上げていた。



「髪を一本だけ貰ってもいい?」


「いくらでも」



少し驚きながらそう応えた。


獣人わたしたちの髪は自然に抜けることもほとんどないため、偶然に手に入るようなこともほぼないと言っていい。だがイゼル様が髪をねだられたことはなかった。


「一本でいいの」


小さな声で、姫はそう言われた。

わたしは姫の手が届くように、その場で片膝を付いた。

少し考えるような表情かおをして、何を思われたのか、一拍置いてイゼル様はご自分も両膝を付かれた。


王子の短剣で姫はわたしの左耳の後ろ辺りの髪を切られた。



二人で立ち上がると、イゼル様はご自分の左の手首にわたしの髪を添えて差し出された。




「着けて欲しいの」

「――――――――――――――」




懐かしいとび色の瞳が、真っ直ぐにわたしを見つめていた。





姫の手に髪を結んだ。




最初に固結びをして、それから蝶結びに。




そう結べば取れなくなると、分かっていた。




「………ありがとう」




囁くようにそう言って、イゼル様は結ばれた髪にそっと手を触れ、それから手首を袖で覆われた。


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