22. 残酷な朝
◇ ◇ ◇
ナギが馬小屋の世話を終えた頃に、ブワイエ一家の朝食はもう始まっていた。
「新しい奴隷はもう台所にいるの?」
「そうらしい。」
「まあ手ぐらい動かせそうよね。働いて貰えないと、損だわ。」
へルネスとその妻の会話を、四人の子供達は興味深げに聴いていた。
毎日が緩慢に過ぎる田舎領地では、少女奴隷の買い取りは、久しぶりの刺激的な事件だった。
奴隷に使用人部屋を使わせることを最後まで反対していたヘルネスの母が、まだ不満げに口の中でぶつぶつと何か文句を言っている。
十人掛けの大きな食卓には陶製の白い皿と銀のカトラリーが幾つも並べられ、一家のそれぞれが希望した食前の飲み物を、女中が注いで回っていた。
麦畑が見える大きな窓を背にした一番奥の上座にヘルネスが座り、へルネスの左手側に妻と二人の娘が、反対側に母と息子達が、それぞれ上座から年齢の順になるように座るのが、一家の習慣だった。
まさしく「手ぐらいは動かせそうだ」と女中の一人が訴えてきたため、少女の奴隷を早速働かせることを許可したのはへルネスだった。
「あの怪我いつ治るのかしら。」
末の娘がそう言いながら、ミルの怪我の跡をなぞるように、自分の左手を右肩から真っ直ぐ下に向けて動かして見せた。
明らかに揶揄するような雰囲気で、異国から攫われて来た13歳の子供を案じる様子は、微塵もなかった。
二人の息子達が妹に同調して下卑た声で笑った時、ダイニングルームの扉を料理長が入って来た。
ダイニングテーブルは部屋を入って右寄りにあり、一家の食事中は給仕の使用人達が頻繁に出入りするため、木製の重厚な扉は大抵開けっ放しにされていた。
入り口と斜向かいの位置に座っているヘルネスが、真っ先にジェイコブの姿に気付いて、怪訝な顔をした。
家長の様子を見た家族も戸口を振り返り、やはり不審げな表情をする。
小太りの料理人は、台所で一家の食事の支度をしている筈だった。
少し前に今朝の卵料理について、家族それぞれの希望が女中を通して伝えられていて、いつもと同じようにその要望は見事なまでにばらばらだったから、ジェイコブは今頃は料理にかかりきりの筈なのだ。
テーブルの下座に立った料理人は、主一家の刺すような視線を浴びて、ごくりと一度唾を飲んだ。
それからせりふを棒読みするかのような、緊張した口調で切り出した。
「実はですね……………」
ナギが卵を割ったと言う話を聴き、家族は一斉に、口々に文句を垂れた。
特にヘルネスの老いた母と二人の息子は、口を極めて少年奴隷の不始末を罵った。
この時一家は前菜を食べ終える所で、続いて出てくる筈の卵料理にちょうど気持ちが向いた頃だったのだ。
ジェイコブは困難をなんとか解決しようとする誠実な苦労人であるかのように、訥々と代替案を提示して見せた。
「野菜や牛乳を足してオムレツやスクランブルにしてよろしければ、全員分ご用意出来ますが…………」
領主は眉を吊り上げながら、その提案を受け容れた。
それから料理長に奴隷に与える罰を告げ渡した。
◇ ◇ ◇
ジェイコブは足取り軽く台所へ戻って行った。
上手く罪を逃れることが出来て、小躍りしたい気分だった。
太った料理人は、日頃は前日の余った卵を予備として置いていた。
ブワイエ一家に、菓子などを急にリクエストされることもあるためだ。
卵は大抵は、ジェイコブと台所を手伝っている女中とで毎日のように盗み食いしていても、問題が起きない程度に在庫があった。
それが昨日はたまたま、雌鶏達があまり産まなかった。
更にヘルネスの老母と二人の娘達の要望で、大量のクッキーを焼いたため、珍しくストックに余裕がなくなってしまっていた。
そんな時に限って今朝の一家の要望が、一人で卵を三個も使うようなオムレツだったり、一人で二個の目玉焼きだったりして、そのオーダーは卵の個数ぎりぎりだった。
奴隷がいて助かった。
機嫌よく仕事場に戻ると、調理台の上にその奴隷の朝食だった物が載っていた。
床から拾い集められた筈の物は、元の状態を再現しようとしたかのように皿の上に盛られ、盆に載せられていた。
食べるつもりなのか。
雰囲気でそう分かり、ジェイコブはちょっと目を瞠った。
ナギの姿がない。
床の上は完全に片付いておらず、物置にモップやバケツを取りに行っているのだろうと思った。
戻って来て調理台の前に立った太った男の横顔を、ミルは怯えながら見つめていた。
男の顔に残忍な笑みが微かに浮かんだ。
おもむろに、男は皿の上の物をもう一度床の上にぶちまけ、そして今度は念入りに踏み潰した。
ミルは思わず椅子から腰を浮かした。
だがあまりの残酷さに、声も出なかった。
連日ひやひやの滑り込み更新です………。
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