214. 秘められたこと
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アメルダとハンネスがどんなに危険な存在であったとしても、ヤナかヴァルーダのどちらかが滅びかねないとしても、今はここを動けない―――――――――
闇の中で、ナギは見えない天井を見つめた。
ミルの体はまだ多分、脱出の過酷な旅には耐えられない。
もしミルがこんなことになっていなかったら、自分は仲間達を諦めて脱出を早めていたかもしれない、と思う。
それがよかったのか、悪かったのか。
一縷の希望に縋って、ラスタを巻き込んでいる自分は身勝手だ。
「――――――――――――――――」
左腕の中で、小さな竜が息づいている。
まだ微かだが、少しずつ闇が薄くなり出していた。
朝だ。
あまり眠れなかった。
まだ数分は横になっていても大丈夫だと思うが、ナギは諦めて体を起こした。
そして戸惑う。
「ラスタ――――――――――――?」
黒竜はいつもナギより早く目覚めて少年を起こしにかかるか、そうでなくても、ナギが身じろぎしただけで朝は目を覚ますのに。静かな寝息は聞こえているが、暗がりに青い光が灯らない。
ラスタの体力を過信してしまったのかもしれないと気が付いて、はっとする。
実年齢1歳の、竜人と人間の合いの子の体力は観察して考えるしかなかった。
人間の1歳児や10歳児よりずっと体力がありそうだと思っていたけれど、もしかして無理をさせてしまった?――――――――――――いや、もしかしたらラスタは、無理をして「配達局」を四軒も廻ってくれたんじゃ。
ラスタ―――――――――――――――――――――
濃灰色の世界に辛うじて見える黒竜の丸い背中を、そっと撫でる。だが少し後悔した。
いつもの半分くらいの大きさで青い光が灯った。
「ごめん、起こしちゃった?」
「『おはよう』だ」
黒竜がいた場所に現れた竜人少女は、寝惚けまなこで何かむにゃむにゃとそう言った。
やっぱり疲れてるんだ。
ラスタのこんな姿を見たことがない。
まだ寝かせておかなきゃ駄目だ。
「ラスタ、足枷だけお願い。」
「むう」
ナギが鉄の輪を急いで足に嵌めると、竜人少女は半ば目を閉じたまま、がちゃん、と鍵を閉めてくれ、それからそこにぺたんと座ったまま、舟を漕ぎ出した。
「ラスタ。」
「うむ」
少女の頭が前後にゆらゆらと揺れ、数往復の末に、とすんとナギの胸に着く。
そして胸の中ですぅーっと、静かな寝息が聞こえた。
「竜は意識の一部が常に起きている」と言ってたけど―――――――
ほんとにこれ、起きてるんだろうか?
ナギがそろそろと自分の体をずらすと、少女はずるずると床の上に横たわった。
無理させたんだ――――――――――――――
顔だけ左を向けて俯せに眠る少女を、ナギは胸が痛くなる思いで見つめた。
もうすぐ鍵当番が来る筈だがいつも通りなら扉を開けはしないだろうから、今朝はこのまま、ラスタには寝ていて貰おう。
「えっ」
その時異変に気が付いて、ナギは思わず声を上げた。
「服」の形が崩れている―――――――――と、いうより、溶けてる?
長い髪の間から見えている少女のズボンが、形を失おうとしている。
ラスタの「服」はドレスの時もズボンの時もいつもたっぷりとしているのに、一瞬前まであったドレープがほとんど消えていて、細い足に貼り付く薄い膜のようになりつつある。
「服」の形が保てなくなってる……?
少し動揺する。
寝ているから?それとも疲れているからなのか。
ラスタの「服」は元々服ではないのだが、「だからいいや」、とは思えない。
慌てて藁を被せようとして「素肌に藁は」と躊躇い、「いや『服』があっても素肌な訳だけど」、と無駄なことを考えながら、ナギは「部屋」の隅から紺の服を取り上げた。
小さな少女の背中に自分の上着を掛けると、ナギの服はまだ、少女の肩から膝まで覆うことが出来た。
「まだこんなに小さい」、とも「もうこんなに大きい」とも思う。
紺と金の服の重ね着はだんだん暑くなり出していたから、ちょうどよかった。
自分の服の上から、ナギは改めて少女に藁布団を被せた。
雄鶏が薄闇を切り裂く声で鳴いた。でも小さな竜人は、すぅすぅと安らかに眠り続けている。静かに頭を撫でると、温かかった。
「………」
ヤナに帰り着いても、もう安全は待っていない。
最悪の場合、故郷に帰り着けない内に故郷の方が消えてしまう可能性もある。
ここを脱出したとして、その先どうなってしまうのか最早分からなかった。
ただ同じ死ぬのなら、異国で奴隷として死ぬより、もう一度家族と会って、故郷で死にたいと自分は思う。
でもそこに、ラスタを巻き込むことは出来ない。
ラスタはまだ、お母さんがいる獣人の世界には行けない―――――――
その日までどうしたら、ラスタを守れるんだろう。
「獣人の国は海の向こうにはないぞ。」
ラスタにきょとんとした表情で言われた時は驚いて、そして瞬時に自分の間抜けさに気付いた。
「獣人の国は、東の海を渡った先にある」
子供の頃から、ナギ達はずっとそう聞かされていた。誰からそう聞いたのか、だが分からない。昔からそう言われていて、疑問に思うこともなかっただけだ。
「人間の間でそんな伝説があるのは知っていたが、まだ信じられていたのか。」
困惑気味のラスタに「王族とかは知ってる筈だぞ」、と続けられて息を飲んだ。
知らずにいた世界が、突然暴き出された衝撃だった。
隠されていたんだ。意図的に。
獣人についての知識を、権力者たちはやっぱり隠している。
獣人と人間の間に生まれた子供は、小さい頃は人間の血の影響を受けるが、大きくなると純粋な獣人と変わらなくなる。そうなるまで獣人の世界には行けないのだと、ナギはその時にラスタに聞かされた。
何かの決まりごとがあると言うのではなかった。「物理的にその世界に入れない」のだと。
獣人が人間との間に生まれた卵を人の世界に置いて去るのもそのためだった。
卵であっても合いの子は、獣人の世界に入ることが出来ないのだ。
ラスタはまだ、獣人の世界には帰れない。
ラスタが獣人の世界に行ける、その日まで。
自分達はどうすれば――――――――――――――――――
藁布団から覗く、小さな少女の横顔を見つめる。
こんな場所でこんな時なのに竜人少女の寝顔は安らかで、天から降りて来たかのように綺麗だった。
それからしばらくして、牛小屋の鍵が開く音がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
広場に市が立つクロッスス村の朝は賑やかだ。
他の村や領地から来た行商人も、村の商人組合に料金を払って許可を取れば店を出せる。
屋台が建ち並び、呼び込みの声が上がり、村の女性や子供達がその日に使う野菜を買ったり、遠くから来た珍しい物に目を留めたりしながらお喋りに花を咲かせ、情報を交換し合う。
最近の話題は村で続いている奇妙な出来事だったが、今日は新たな話題が提供されて、人々の関心は完全にそちらに移っていた。
何ごとがあったのか、どケチ領主の使いが今朝早く村へやって来て、干し肉と古着を大量に買い取って行ったのだ。
「昨日他の領地から誰かが来たって話じゃない。やっぱり何かあったんじゃない?」
「だいぶ値切ったって話でしょ。ほんと金に汚いんだから。」
「ほんと、館の奴らのどケチぶりってきたら――――――――あら。ねぇ……」
市場の前に寄り集まっていた女性達の視線が、広場の端に移る。
黒い服の女がそこを歩いていた。
領主の館で働いている使用人は、ほとんどが領内の村の出身者だ。だから村人達は、使用人達の顔と名前をほぼ全て把握している。
やって来た女は領内の出ではなかったが、奴隷の少女以外では数年ぶりに館に加わった新顔なので、それはそれで、あっと言う間に人々に記憶されていた。
「いらっしゃい――――――――あら、また何か?」
古着屋の女房は、戸口を入って来た客を見て戸惑う顔をした。
薄黄色の髪の、表情のない女。花嫁が実家から連れて来たという女中。
つい先刻、荷馬車で乗り付けた館の使用人が大量に買い叩いて行ったばかりなのに。
板張りの床にハンガーラックがずらりと並び、壁際の棚には鞄や靴が並ぶ店。
次期領主夫人の女中は、すかすかになったハンガーラックを無表情に見回した。
「女物のいい服があれば見せて下さい。」
「いい服?」
先刻の使用人は高い服には見向きもしなかったのに。でもそのお蔭で、「いい服」だったら残っている。とは言えいい服は、元から数が少ないのだが。怪訝に思いながら古着屋の女房は、花嫁の女中を店の隅に案内した。
そこに女性物の、少しだけ値の張る服が十数着固まっていた。
「どのくらいの背丈で――――――――あら?まぁぁぁぁぁぁっ、一着なくなってるよ!何を持って行ったのかと思ったら!」
「……盗まれたのですか。」
「いえいえ。この村では最近、精霊が出るんですよ。」
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