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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第三章 獣人とひと
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209. 一人の夜

 じゃっ……


 足を縛る鎖が音を立てる。目の前に騎馬が迫っていた。引きかけた足を、ナギはそこに踏みとどめた。


 ハンネスが馬を完全に支配出来ているのなら、危ないと思う。

 でも馬にも意思がある。

 障害物があれば彼らはよけるし、馬が群れを作り、仲間意識や序列意識を持つ動物であることも知っていた。



 館の馬達は、多分自分を攻撃しない。



 果たして馬は、乗り手に逆らって急減速した。


「おいッ!」


 馬の背が激しく弾み、ハンネスが怒号を上げる。馬は細かく歩を刻んで勢いを殺し、最後には右に大きく逸れてナギをよけた。


「!」


 ひづめが地面を穿うがつ重い音がする。


一頭の不安や恐怖は、あっと言う間に仲間に伝播する。それも群れを作る生き物によく見られる特徴だ。


 矢筒や獲物の鳥を背負った男達が、慌てて自分の乗る馬をなだめようとする。馬達が一斉に前脚や後ろ脚で跳ねて、前庭に土埃が舞った。

 どの男達も必死だ。一頭がパニックを起こせばそれもあっと言う間に伝播して、更に酷いことになるからだ。


 一番動揺しているのはハンネスの馬と、そのすぐ後ろに続いていたサドラスの馬だった。


「ハンネス様!」


 時ならぬ騒動の中で、老臣のしわがれた声が響く。

 兄弟の馬達が絡み合いながら円を描き、次の瞬間にはハンネスが悲鳴を上げていた。


 サドラスの馬が、ハンネスの腕を咬んだのだ。馬は噛む力もかなり強い。


 突然の事態に反応が追い付いていないのか、サドラスはどこか馬のするがままに任せているかのようだった。


「鎮まれ!」


 結局二頭を引き離したのは、真っ先に自分の馬を制したクライヴだった。老人は騎乗したまま、サドラスの馬の手綱を取っていた。


「くそ!おい、落ち着け!」


 まだ興奮している自分の馬に、苛々とハンネスが叫ぶ。その時跡継ぎ息子のに、同じ場所に立ったままでいる奴隷の姿が映った。


「何見てやがる!さっさと行け!!」


 仕掛けてきた側とは思えない言い草だった。


 怒りを覚えたがこの場から立ち去れる機会を逃すべきじゃない。


 無言で一礼し、少年はきびすを返した。



 馬が怪我をしなくて、よかったと思う。




 騒ぎを後ろに聞きながら木戸を入った時、背中を汗が伝った。


 騎馬の一団は、まだすぐそこにいる。

 ハンネスが心変わりを起こさない内に遠ざかった方がいい。


 じゃらっ……


 重い鎖の音がした。



  足枷を外さずに済んでよかった。



 そう思った時には、額にも汗が滲んだ。



 鉄輪の小さな蝶番ちょうつがいには、そのねじさえ外してしまえば後は釘でもあれば分解が可能となるような、構造の要となっている部分があった。


 小さな竜人はその構造を解き明かし、鍵となるねじを外してくれた。


 見た目の変化はない。


 足枷を外した時に鉄輪の内側を余程よく見でもしない限り、気付けないようなねじだった。


 もちろん奴隷を使役する側にとったらあってはならないことだろうから、足枷を外すのは、最後の手段だと思っていた。



 人馬の声が背中を追って来る。


 少年は振り返らずに、牛小屋を目指して歩いた。




 光が失われだしている。


 牛小屋はがらんとしていた。


 時々この時間にも現れてナギを驚かせることはあったが、夕方の牛小屋にラスタがいないのは、普段と同じなのに。館の周囲にもラスタがいないと思うと、違う景色に見えた。


 牛を追う声が、もう近くに聞こえている。


 それからすぐに牛達が帰って来て裏口の扉が閉ざされ、牛小屋は暗さを増した。



  水を汲みに行かないと。



 バケツを取り出そうとして、「部屋」の前でナギは動きを止めた。



 いつもの木の床とわらの布団に、六段の梯子。



 当たり前だが、今そこにラスタはいない。



 王都や国境に近付くと、獣人の数が増える。だからラスタがそこに近付けるのは、他の獣人に気付かれにくいというラスタが小さい間だけだ。


 そういう意味でも、自分達には時間がなかった。


 今ならまだ、ラスタは安全にヴァルーダの中を動ける。特別な問題が起きなければ、計画通りにごはんと寝る場所も確保出来るだろう。



  初めて一人で寝ることになって、寂しがらないだろうか。



 一番心配なのは、そんなことだった。




  ラスタ―――――――――――――――――――――――




 「部屋」の床に手を触れると、祈るように少年はうなだれた。



 寂しいのは自分も同じだ。


 ラスタより、きっと自分の方が酷い。





 生まれた日から、いや、奴隷狩りに遭った時、宝石のような小さな卵だった時から、ラスタはずっと自分を支えてくれていたのだと今更に気付いた。





◇ ◇ ◇


 領主の息子と白髪の男が部屋に入って来るのを見た時、ミルの顔から一気に血の気が引いた。


 反射的に腰を浮かし掛けたが、逃げる先なんてない。


 縫い物をさせられていた奴隷の少女は懸命に自分を落ち着かせると、ドレスと裁縫道具を持って、ただ静かに席を立った。


 窓際の長机で薬草をすり潰していたゲートリーデが、無言でミルが空けた席に移動する。


 老女と向かい合う椅子にどかりと腰を降ろすと、領主の息子は不機嫌に右袖を捲った。手首から肘の辺りまで、真緑の痣になっている。



  何があったんだろう。



 部屋の隅からその様子を見ていたミルは目をみはった。


「馬に咬まれた。」


 しわがれた声で状況を説明したのは、あるじの左に控えた白髪の男だった。


 老婆は黙ってうなずくと、黙々と治療を開始した。


 その横で何か奇妙に感じて、クライヴは室内に視線を走らせた。


 部屋の雰囲気が変わったと思った。


 薬草の壺や瓶や棚で相変わらず雑然としている部屋だが、どことなく、以前にはなかった明るさがある。


 この場所で見たことがなかった鮮やかな色が、男の目に入った。


 長机の上のガラス管に、青や白の小さな花々が活けられている。


 あれ以来そこに花を飾るのは老女のお気に入りになっていて、部屋の花は絶えたことがなかった。



  ゲートリーデが花を飾るとは。



 これまでになかった様子に老臣は困惑した。


 と。


はさみ。」


 老婆がそう不愛想に呟くと、奴隷の娘が「はい」と反応した。娘が近くに寄って来て、老女が示した位置で包帯にはさみを入れる。


 白髪の男は、更に困惑を深めた。


 どうしても一人で出来ないような処置でない限り、ゲートリーデが他人ひとの手を借りることは、ほとんどなかったからだ。


 ハンネスともクライヴとも目を合わさずに老婆が要求したことだけをこなすと、奴隷の娘は静かに下がった。


 ふと押し黙っているあるじを見やると、ハンネスの目はミルの姿をじっと追っていた。



「―――――――――――――――――――――」



 一瞬、あり得ない考えが老臣の頭に浮かんだ。



  何を考えている。



 自分で自分の思考に衝撃を受け、背筋が凍った。





  あり得ない。


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