208. 狩る
朱色で描かれた円。その円の中だけ、数字がない。
ここが始点だからじゃないか?
宙に座る竜人に尋ねてみると、少女も同じことを考えていた。
これはクロッスス村を始点とした何かの指標ではないか。
だけどなんの?
料金か、距離か。
その地図には、表題も説明書きらしきものもなかった。
ざっと見た限りでは、円の大きさは四通りくらいだった。クロッスス村とその周りの円は、一番小さいサイズだと思う。
試しにナギは、サイズの大きな円の中で、クロッスス村に一番近い物を指差してみた。
「ラスタ、これなんて書いてある?」
「うむ?」
小さな相棒はナギの知らない領地と村の名前を告げた後、円の中の数字を読んでくれた。
「数字は二だな。」
「二?!」
意外な数だった。距離ではなさそうに思える。
よく見ると、近辺の幾つもの円にも同じ数字が書かれていた。円同士は近い位置にはあるが、クロッスス村からの距離は、やっぱり同じには見えない。
でも「二ガルダ」とも考えられなかった。
恨みを買う程に不当に安いらしい麦畑の日当が、三十ガルダだったから。二ガルダは、いくらなんでも安過ぎる気がする。
二十ガルダとか、二百ガルダとかか――――――?
そろそろ夜警の男達が戻って来るかもしれない。
だがナギは諦められなかった。
この地図が理解出来れば、きっと自分達の助けになる。ここに描かれているのは、この国の仕組みの一つだと確信に近い思いがある。
ヴァルーダ語が読めれば。
ラスタに端から読んでもらうのでは、時間が掛かり過ぎる。
歯痒い思いがしたが、ナギはクロッスス村から少しずつ遠ざかりながら、気になる場所だけ選んではラスタに翻訳して貰った。
と。すぐにまた既視感を覚えるものに出遭った。
「この円、館の地図と同じ……?」
「館の……?ああ、あの印か?」
クロッスス村からゴルチエ領を通って王都へと伸びて行く線があり、その線上に、一番大きなサイズの丸が八つ並んでいる。
執務室の地図と、同じ場所?
ブワイエ家の地図でも、王都へ向かう道沿いの地名に丸で印が付けられていた。あれも八つだった。
「印が付いていた場所の名前は、半分くらいなら覚えてるぞ。」
「ほんと?!」
記憶力に優れた少女のお蔭で、ナギの推測はおそらく正しいとすぐに分かった。
ラスタは地名を五つも覚えていて、その全部が目の前の地図に記されている地名と一致したのだ。
「大きな町ってことなのかな……」
二つの地図の、同じ場所に印が付いている理由はなんだろう。
時間がない。
見知らぬ場所の闇が胸の底の恐怖を掻き立てる。
焦る気持ちを押し殺し、灯色に染まる地図を、少年は食い入るように見つめた。
何度かラスタと意見を交わし、やがてナギは結論を出した。
――――――――――円の中の数字は、多分配達に要する日数だ。
大きな円はその地域の拠点であることを示していて、例えば大きな円の中の数字が「八」日であったら、そこに繋がる小さな円に記されている数字は、だから「九」日や「十」日なのだ。
だがその結論に自信は持てなかった。
数字がクロッスス村からの配達に掛かる日数だとするのなら、早過ぎるのだ。
地図の距離感を、ナギはヤナの大きさを基準に測っている。
ヴァルーダの二十分の一の大きさもなさそうなヤナですら、遠方に手紙を送れば届くまでに一カ月以上掛かるのが普通だった。
クロッスス村から王都への配達が「二十五」日というのは、あまりに早過ぎる。
もっともそれを早いと感じたのは人間の少年だけで、竜人少女は「人間だとこれが早いのか?」と、少年とは正反対の理由で困惑していたが。
獣人を使っている……?いや、それだと逆に遅過ぎる……?
馬を使っているとして、馬を途中で替えられるとか、道と道沿いの設備が
物凄く整っていれば可能なのか―――――――――――?
そう考えた時、広場の石畳と番所で見た村の絵地図が脳裏に閃いた。
楕円を半分にしたような広場の弧の側から、放射状に伸びていた村の道。
その内の一本、広場の直線の側に接していた道だけ広場と同じ色の白色で塗られていて、舗装されているのだと思った。そして白い線は広場のずっと上、地図の端まで続いていた――――――――――。
あの道はどこへ続いている?
「ナギ?」
少年は左へと動き、もう一度ブワイエ領の地図を確認した。
東西に細長い領地が、かなり詳細に描かれている。たくさんの道が茶色で描き込まれていたが、クロッスス村から西へと伸びる道の、一本だけが白く塗られている。白い道は途中で分岐して、それぞれ北方と南方へと向かっていた。ブワイエ領の外へと。
この道が円を繋ぐ線だとしたら。
あの線が、全て舗装された道だとしたら。
「ラスタ―――――――――――――――――――」
王都へもゴルチエ領へも。
この国では、舗装された道を選んで進むだけで、目的地に簡単に辿り着けるのかもしれない。
そして「配達局」は、必ずこの道沿いに造られているのかもしれない。
◇
ブワイエ領からじゃなく、ゴルチエ領の「配達局」で手紙を出せるのなら、日にちは大幅に短縮出来る。
でも舗装された道を辿れば「配達局」に辿り着けるというのは、まだ仮説だった。ラスタの食事や寝床が、計画通りに確保出来るのかもやってみなければ分からない。
全員の運命が懸かっている。
無謀で危険な賭けにならないように、確認が必要だった。
ラスタ―――――――――――――――――――
竜人少女に「ただいま」と「お帰り」が言えるのは、明日の夜だ。
ラスタが一日で往復出来る距離まで。その距離を限度として、二人は偵察を実行することにしたのだ。
◇
特にハンネスとばったり出食わしたりしないように、ナギは慎重に行動した。
だが異変は、朝の内に起きた。
朝食を食べ終えたナギが麦畑に向かおうとすると、どこから調達したのか、前庭に何頭もの馬が集められていた。
矢筒を背負った使用人の男達もいて、そんな様子は以前にも見たことがあった。
しばらくして騎馬の一団が館を出発し、北側の森へと入って行くのを見た時、麦畑は騒めいた。
一団の中にはハンネスとクライヴに、サドラスまでいた。
「久しぶりねぇ……」
「最近なかったよな。」
物珍し気に言い合う村人達と一緒に、すっかり背が高くなった麦の間から、ナギは森の奥へと消えて行く騎馬隊を見つめていた。
狩りが行われるのだ。
馬を駆り、獲物を探して弓で射て、時には野外で火を起こして煮炊きもする。狩猟はそのまま全て、戦の訓練になる。
戦地では、射る対象が人間になるだけだ。
ぞっとした。
ヤナが攻め込まれ、ヴァルーダの騎馬兵に里が襲撃される光景が頭に浮かんだ。
狩りに出た一行が帰って来たのは夕暮れだった。
運が悪いことに、ナギがちょうど牛小屋に向かおうとしていた時間だった。なんとかやり過ごしたかったが、門を入った直後に、少年は騎馬の集団に追い付かれた。
「ハンネス様!」
クライヴの制止する声が聞こえて、見るとハンネスの乗る馬が歩を速めていた。ナギへと迫って来る。
「!!」
馬は穏やかな生き物ではあるが、人間の何倍も重く強い体で鉄の固まりを振り降ろす彼らは、存在自体が、容易く脅威にもなれる。
まずい……
全身が緊張した。




