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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第三章 獣人とひと
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199. 養育係の陰謀とハンネスの子(2)

 クライヴの若い頃、貴族同士の結婚は今よりずっと政略的だった。


 家同士の都合で突然離婚させられることもあれば、その反対に、大きな問題があっても離婚出来ないようなことが当たり前に起きていた。


 子供が出来ないなどは「大きな問題」の最たるものだが、必要な道が塞がれれば、人は抜け道を見付け出すものである。先人が散々通って、最早公道同然と言える抜け道は、既に存在している。


 平たく言えば外で子供を儲けるのだが、庶子や養子とは少し違う。

 生まれた子供は公的には、あくまで夫婦の子として通すのだ。


 学識を買われて、クライヴは若い頃から貴族社会で重用されていたが、父母のどちらかが実の親ではないと噂されている貴族の子弟は時々いた。だがそれは公然の秘密のようなもので、問題になることではなかった。

 最近ではあまり聞かなくなった話だが、「受け入れられない」と言う程社会が変わった訳でもない。


 「王国のもう一つの王家」と言われる家から押し付けられたアメルダとの離縁は難しい。

 夫婦関係の改善も望めないのであれば、早く手を打つべきだ。明日あすにも相手が見つかるというような話ではないのだから、急いで相手探しを始めるべきだった。


 そんなことを思い詰めていたせいで、先刻さっきは目の前の女中に、無意識に年齢としを尋ねそうになっていた。


「そう簡単には」


 思わずまた言葉がこぼれてしまい、マッカに再びちらりと見られる。奇異に思われてはいるだろうが何も尋ねられなかったので、クライヴはそのまま口を閉ざした。


 自分で思う以上に自分は危機感を抱いているらしい。考えなしに言葉が出るなど、普段の自分からすればあり得ないことだった。


 マッカに少し遅れて食事を終えたクライヴは、ティーポットから綿わた入りのカバーを取り外した。添えられていた小さなナプキンで白いポットの持ち手を掴み、磁器のカップに茶をそそぐ。華やかな香りと白い湯気が円卓に広がる。口に含むと鼻に抜けるような甘味あまみと香ばしさが、茶葉の価値を知らせた。まだ十分に熱い。


 食後のお茶の時間を二人の老臣は無言で過ごし、クライヴは自分の思考の中に戻って行った。



  領内に誰かいなかったであろうか。



 高望みが無理だとしても、誰でもいいとまでは言えない。知性と容姿はそれなりの水準であってほしい。そんな娘がいる、話を受けてくれそうな家はあっただろうか。


 館の女中から見付けるのは難しかった。


 ブワイエ家には若い女中がいない。


 なぜなら領主の館が、出戻りとか行かず後家とかいった、いわゆる「訳あり」の女達の受け皿となっている面があるからだ。田舎領地には、女一人で生きて行けるような仕事が少なかった。

 館の中で起きていることが外部に漏れにくいというメリットも大きいのだが、退職者がほぼ出ないため、若い新人が入ってくることもない。

 朝食を配膳してくれた先程の女中も、30代の後半だろう。



  何が起きている………



 手を止めて、クライヴはカップの中を見つめた。


 まるで破滅に向かって坂道を転げ落ちているかのように、次々と悪いことが起きている気がする。


 振り返ってみるとアメルダが来てからだと思えたが、この時クライヴの脳裏に元凶としてちらついたのは、なぜか奴隷の少年の姿だった。



  「逆」も起き得る。



 迂闊にもその時になって気が付いて、養育係は背筋を凍らせた。



 ハンネスとアメルダが公的には夫婦である限り、事実がどうあれ、アメルダの子も「夫婦の子」となり得るのだった。





 二人の息子の着席が遅れたせいで、ブワイエ家の朝食はいつもより遅い時間に始まった。


 こんな非常時だ。

 遅れてやって来た兄達を見て、末の妹だけは苛立たし気な表情かおをしたが、さすがに何も言わなかった。


 テーブルの周囲に控えていた女中の一人が遅参した二人の許へ行き、食前の飲み物を尋ねる。


 と。


「ハンネス兄様、血が出ていませんこと?」


 年長うえの妹がいぶかしむような声を上げ、室内の注目が一斉にハンネスに注がれた。卓上に置かれたハンネスの左手に、確かに赤い染みがある。



  余計なことを言いやがって。



 ハンネスが左手を隠すように引こうとした時、隣から「ふん」とわらう声が聞こえて、跡継ぎ息子は顔に血を昇らせて弟を振り返った。


 怒りに任せて二射目を放ったあの時に、矢羽根が親指の付け根を掠めていたのだ。


 家族をだいぶ待たせた席で、一触即発の様相を見せる息子達にヘルネスがうんざりとした表情かおをする。


「ゲートリーデを呼べ。」


 投げやりな声で領主に命じられ、二人の女中の内の一人が一礼して部屋を出て行った。


「そう言えば、ミルはまだゲートリーデの部屋にいるの?」

 場の空気を意に介さず末の娘が尋ねると、老母が領主むすこを睨んだ。


「さっさと地下牢にお戻し!」


 母の不平をヘルネスは渋面で聞き流した。


 ヴァルーダでは年寄り程奴隷の扱いが苛烈な傾向がある。

 奴隷の供給が潤沢で、使い捨てにしていた頃の感覚が抜けきらないのだ。


 ヘルネスが幼かった頃、この館にも奴隷が三人いた。


 今の場所に移築する前は実は牛小屋は二階建てで、二階が奴隷達の部屋だった。それも昔の話で、今や奴隷の値段は上がる一方だ。


 不機嫌に押し黙った息子に、老母はまだぶつぶつと何かを言っていた。



 薬箱を左手に提げた老女中がダイニングルームに現れたのは、一家が卵料理を食べ終えようとする時だった。


 じゃらっ……


 鎖の音がして、全員の目が入り口に向く。

 老女中の後ろに、なぜか奴隷の少女が立っていた。


 部屋に戻されようとしていた少女と部屋のあるじが、廊下で行き会った結果だった。


 食卓をじろりと一瞥した老女は、薬箱を押し付けるように少女に渡すと、無言で部屋に進み入った。怪我人の近くに薬箱を置く場所がないと判断したらしい。


 老女が片手で提げていた木の箱を、ミルは戸惑いながら両手で抱え、それから状況を理解して、老女の後ろに付き従った。


 薬箱の幾つもの引き出しの中には沢山の小さなガラス瓶が入っていて、重量はかなりのものだ。これを片手で持ち運ぶ老女中を、ミルはちょっとだけ尊敬している。


 老女中はじかに向き合ったハンネス以外には分からない程に微かに一礼すると、患者の手を取った。卵料理の皿が下げられる中で、ハンネスの治療は黙々と進んだ。


 ほぼされるがままに、憮然として老女中に左手を委ねていたハンネスは、すぐそこに立つミルを途中でちらりと盗み見た。奴隷の少女はゲートリーデの後ろで、ただ静かに視線を伏せ、薬箱を抱いていた。


 三日前の台所の一件後も何度か姿を見掛けていたが、ミルが快復してから、まだ一度も言葉を交わしていない。


 古着でももっとましな服があるだろうに少女は随分酷い服を着ていて、だいぶやつれていた。


 財力のある家では、家内で働く奴隷にもそれなりの恰好をさせている。ヘルネスがミルの服を変えたのはアメルダのためであったのに、それがアメルダの気に召さなかったようなので、少女は以前よりも劣悪な服を着せられていた。


 まともに装えば、なかなかに美しい娘であるはずなのに。


 密かな楽しみをアメルダに潰されたような心地がして、苛々した。


 その時、少女が少しだけ顔を上げた。


 少女のが窓の向こうの麦畑を見ていると気が付いた時、跡継ぎ息子の胸に怒りが噴き上がり、熱となって体の中をドロドロと焼いた。




◇ ◇ ◇


 ナギとラスタが書庫から鍵が消えていることに気が付いたのは、その日の夜だった。


 それから二人は館を捜し回ったが、何日経っても鍵は見つからなかった。


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