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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第三章 獣人とひと
198/239

198. 養育係の陰謀とハンネスの子

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「……そなたは――――――――――」

 らしくもなく考えなしに言葉が出てしまい、クライヴは口をつぐんだ。


「―――――――――――何か?」

 二人分の配膳を終えた女中が、いぶかしむようにクライヴを見る。向かいに座る老人もちらりと目を上げた。


「いや、済まぬ。頂こう。」


 金褐色の髪の女中は困惑顔で一礼すると、空になったワゴンを押して部屋を出て行った。

 円卓を囲む席に残ったのは高齢の男二人だけだ。

 奇妙に思いはしたようだが、マッカは何も訊かずにスプーンを手に取った。

 余計なことを言わない、訊かない、あるいは聞かなかったことにするのは、貴族の家に仕える人間が身を守る術だ。「都合の悪い人間」になったが最後、主人の胸先三寸でその身はどうなるか分からない。


 クライヴも無口だがマッカは更に無口で、老人二人の食事はほぼ黙々と進む。


 跡継ぎ息子の養育係であるクライヴと、先代の頃からここに仕えて領地の運営を補佐しているマッカの待遇は、ほかの使用人達と少し違っている。

 二人の食事場所はあるじ一家のダイニングルームのすぐ隣で、小さな部屋だが窓には絹のカーテンが掛けられ、絵画や置物などの高価な工芸品が室内を彩っていた。


 食事の間じゅう女中が付いて世話してくれるようなことはなく、前菜も主菜もまとめて出されるが、スープはあるじ一家と同じものが供されるし、ほかの料理もあるじ用の食材を流用して作られており、皿の内容は贅沢だ。


 時間がやや遅めなのは、二人の食事が作られるのが台所がやや落ち着いた頃、ブワイエ家の食事が終わりに近づいた頃だからだ。ヘルネスやハンネスに呼ばれればすぐに対応しなければいけないこともあり、ゆっくり食べることは出来ないが、大した問題ではない。



 すね肉と香味野菜を煮込んだ琥珀色をしばらく無言で口に運んでいたクライヴだが、この朝は、気になっていたことがあった。


「……マッカ殿。昨日きのうは一日外出されていたとか。」

「……ヘルネス様のご指示で。」


 それで二人の会話は途切れた。


 こんな非常時ときにこんな年寄りをどこに向かわせる必要があったのか。


 さすがに疑問に思うが、マッカからは最小限の言葉しか返って来なかった。こんな場合は質問を重ねても、答えはほぼ返って来ない―――――――――――つまり訊くなと言うことだ。


 労力の無駄はせず、クライヴは引き下がった。


 あるじの用事は最優先であり、二人の老臣のどちらかが食事の時間にいないことは珍しいことではない。クライヴがこの席に着くのも、三日ぶりのことだった。



  ここまで事態がこじれようとは――――――――――――――



 冷たい怒りと共に、クライヴはあの日のアメルダの姿を思い返した。



◇ ◇ ◇


「わたくしにベッドもない場所で寝ろと言うの?」

「そうして頂かざるを得ませんな。」


 倒れられたハンネス様をソファで寝かせろというのか。


 そう言い返したいところをこらえて応じると、アメルダは血が昇った顔で睨み付けて来た。


 クライヴが主人の妻を台所から連れ出したのは奴隷の少年から引き離すためだったが、ハンネスを寝室で休ませたあと、クライヴは、咄嗟にアメルダを利用して偽装工作を施した。


 一階ではその時、主立った者を集めた領主ヘルネスが、非常事態にどう対応するべきか協議していた。跡継ぎ息子が中座したままそこに戻らないのは、まずいに決まっている。


 だがハンネスが倒れたと知られるのもまずかった。


 突然倒れるような病を抱えていると知られれば、跡継ぎは次男のサドラスにという話になりかねない。

 どうにかこの場を乗り切れないかと考えたクライヴは、アメルダを病人にすることにしたのだ。


「ハンネス様は、アメルダ様に付き添っていることに致します。」


 ――惨劇の知らせを聞き体調を崩した新妻を自室へと運び、付き添う夫――


 意図したことではなかったが、クライヴの作り出したこの言い訳は、ヘルネスを納得させたのみならず、わずかではあったが、喜ばせた。


 倒れた妻と()()に及ぶことはないとしても、新婚夫婦が同じ部屋で過ごしているだけ、進歩だと思われたのだ。


 実態は、半歩の進歩もなかったが。



  この先も二人の和解はないかもしれない。



 ソファの上で傲然としているアメルダに向き合った時、クライヴの中に激しい怒りと冷たい諦めが同時に湧き上がった。


 傲慢で自己中心的な貴族をクライヴは山程見て来たが、アメルダはその中でも最悪の部類だった。


 曲がりなりにも自分の夫が倒れたというのに、不平顔で腰を降ろしているだけで、病状を尋ねようとすらしない。自分の運命がハンネスと紐付いていることだけは理解している様子だったのは、まだしも幸いだった。


「あの女を追い出せ!」

 ベッドの中でハンネスがそう声を荒げたのも無理もなかったが、それは得策ではなかった。


 クライヴもはらわたが煮えくり返る思いだったが、結局ハンネスは、夕方にはベッドをアメルダに明け渡した。倒れた原因は不明なままだが、ハンネスの体調自体はすぐに回復したからだ。

 表向きには病人はアメルダであったため、止むを得なかった面もある。

 三日の間ハンネスの部屋には若夫婦の食事や洗濯の世話をするための女中が、ヒルデ以外にも出入りしていた。


◇ ◇ ◇


 甘いソースが掛かった肉を切る。

 薔薇の花びらの砂糖漬けが皿の端に添えられていた。


 ハンネスの養育係としてブワイエ家に雇われて四半世紀。


 ハンネスはもう養育係が必要な年齢としではないが、ハンネス専属の侍従のような立場として、クライヴの雇用は続いていた。そう遠くない未来だろうが、マッカが死んだ時にはその後を継いでほしいと、内々にヘルネスから告げられてもいる。


 今の暮らしは平民出の自分が手に出来る生活の中では最高の範囲にあり、それを与えてくれたブワイエ家に、クライヴは忠義を尽くすつもりだった。


 ブワイエ家の将来だけを純粋に考えるのなら、跡継ぎは次男のサドラスでもいい。


 だがこの家の跡を継ぐのは、自分が人生を懸けたハンネスであってほしいという思いも、養育係は捨てきれなかった。




  お世継ぎが必要だ。ハンネス様の。




 状況は今、差し迫っている。


 トラム・ロウの氾濫に国王が関与しているのかを確認するため、ヘルネスは王都に向けて早馬を送っている。結果、氾濫が他国の攻撃であったと分かった場合、再び戦となるかもしれない。


 トラム・ロウ東岸の領地は昨年の戦に参加していないため、今度は出兵を求められる可能性が高い。


 ハンネスはだが、おそらく出征を免れるだろう。


 貴族の家のまだ子のない嫡男は、申請すれば余程のことがない限り、従軍を免除されるからだ。

 問題は次男のサドラスが出征して、万一戦死した場合だった。

 そのに子供が出来ぬまま、もしハンネスが病にたおれたら、それでブワイエ家は絶えてしまう。



 あの冬の夜から、自分は突然こと切れるかもしれないと恐れていた。まさかハンネスの方が病にたおれることなど、クライヴは考えてもいなかった。




  お世継ぎがいる―――――――――――なるべく早く。




 クライヴは、アメルダに見切りをつけつつあった。



 当主や跡継ぎ息子に子が出来ぬ時――――――――――一昔前に時々使われていた手段があった。


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