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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第三章 獣人とひと
194/239

194. 二つの国の夜


 そこに書かれている言葉を、竜人少女がヤナ語で読み上げる。


「あ」


 やがてある言葉に突き当たり、状況を理解した時、ナギの喉を声が突いて出ていた。


 しばらくの戸惑いのあと、手にしていたろうそく一本だけの燭台を円卓の上に戻し、少年は、部屋の奥の扉に向かった。

 扉に耳を付ける少年を、目隠しを外した竜人少女が見守る。


 扉の向こうからはなんの音も聞こえない。



 きぃ……



 数秒を置いて、少年はそっと扉を押し開けた。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 同じ頃。


 ヤナの地はようやく夜を迎えていた。



「体に気を付けて、泣いてはなりません。」


 王城では国王夫妻と王太子夫妻が、王の孫である幼い王子に密かに別れを告げていた。


 床に膝を付き、我が子を抱き締めて「泣くな」と言い聞かせる王太子妃の声が、涙声だった。

 突然に家族と分かれることになった少年は、母の言い付けに必死に応えて歯を喰いしばっていたが、目の周りは真っ赤だ。


 やがて夫と義父に促され、母親は遂に立ち上がった。


「どうか王子を守って下さい。」


 王太子妃の祈るような言葉に、王子の後ろに控えていた二人の青年が小さくうなずく。

 ヤナ人は髪色も瞳の色も黒いが、青年の一人は赤味の強い茶髪で、一人は白金髪だった。



 大型だが質素な馬車に、やはり質素な身なりの王子が、前後を数名の人間の従者に挟まれて乗り込んで行く。


 まだ10歳にも満たない年頃に見える。


 自分の状況をどこまで理解出来ているのだろう。



 ヴァルーダとの対決を選んだヤナの王家は、最悪の事態に備えて王太子の嫡男である幼い王子だけ、別の地に移すことにしたのである。



 食料や資材を納品する業者のための石畳の停車場には、日中は何台もの荷馬車が停まっているが、この時間は空っぽだ。広い停車場を照らしているわずかで、ほとんどが闇に包まれていた。少数の者達だけが、乏しい灯りの中を動いている。

 家族の見送りはない。こんな所に国王一家が来ては、騒ぎになってしまうだろう。


 今夜のことを知らされているのは、城内でも一部の者だけだ。


 王子と人間の従者達を馬車に乗せた<人狼>と<かぜ豹>が、獣人なかまの気配がする高い位置の窓を見上げる。


 二人の従者の光るに、窓辺の青年はただ黙礼した。



 <人狼>と<かぜ豹>は、一体で人間の兵士数百名を殲滅することもある程戦闘能力に優れている。その上闇でも見えるを持つ彼らは、火すら灯さず、夜でも昼のように馬車を操れた。要人を密かに移動させるなら、彼らは適任だろう。



 ギィ………



 車軸がきしむ音がした。


 すぐに鉄の輪とひづめの音が、その微かな悲鳴を踏み散らす。金属の硬い音が夜の停車場に木霊した。


 見送る青年は、去って行く馬車に記憶の中の景色を重ねていた。背中まで届く金色の長い髪が夜風に揺れる。



「――――――――――――王子は発たれたか。」


 そこまでじっと黙っていたもう一人の獣人なかまに声を掛けられ、青年は振り返った。


「俺も明日あす発つ。お主に挨拶だけしておこうと思ってな。」


 巻き毛の青年がそう言って微笑わらった。


「――――――――帰国するのか。」

「挨拶だけはしておきたいからな。」


 応える茶髪の青年の声は朗らかだ。


 陽気で人懐っこい<あらし鰐>には人間の友人も多そうだった。

 

 獣人によっては、人間ひとの世で数十年を過ごした者もいる。「恩返し」のあと、なんの未練もなく人間ひとの世を去る者ばかりではない。生まれ育った場所や付き合いのあった人々に、愛着を持つ獣人も少なくないのだ。


 挨拶のためにわざわざ帰国すると言う仲間を、金色の髪の青年は眩い思いで見つめた。


 ふと<あらし鰐>の表情が曇った。


「………お主はまだ去らぬのだろう。俺はこの先のことは詳しく聞かされてはおらぬのだが、どうするつもりだ。」


 人間の友人や、お主のことが心配だ、とその表情には書かれていた。


「……すぐには決着しない。水害が王都に至るのに、ひと月程掛かるだろう。」

「水害だけでヴァルーダの王都を破壊出来るのか?」

「うまくすれば、あるいは。だが難しいだろう。ヴァルーダの王都にいる獣人は種族も数も、未だかなり多いからな。それでもこの水害がヴァルーダに与える影響は甚大だろう。被害の回復にかなりの人手と資金が掛かるし、水没した地帯はヴァルーダの穀倉地帯だ――――――収穫直前の。」


 <あらし鰐>が口を挟むことがなかったため、金髪の青年は淡々と続けた。


「トラム・ロウの沿岸から離れた農業地域もこれから潰して行く。兵がぶつかり合うのは、そのあとだ。ヴァルーダに弱点があるとすれば――――――――――」


 人間の争いに深入りし過ぎている仲間を、<あらし鰐>は硬い表情で見つめていた。心配してくれているのだと分かって一度言葉を切ったが、もう引き返すことは出来ないし、そんなつもりもない。ただ静かに、彼は続けた。


「―――――――――一つには、あまりに多くの国と国境を接していることだ。水害と食糧不足に苦しむヴァルーダに周辺諸国の獣人が一斉に襲い掛かれば」




 風が吹き込み、長い髪を洗う。窓を振り返り、金色の髪の青年はその奥の闇を見つめた。




「――――――――――――――――――あの国を、滅ぼせるかもしれない。」


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